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君が金魚鉢を持つと花火のように“パっ”と開いたその顔が歪む  作者: 豚煮豚


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9


 あれからずっと体調が優れない。

あれからというのが何時(いつ)を指しているのか。

沈黙の中で分かり合えないことを分かり合ったあの時。

あの時からあまり調子はよくなかった。

それに、重陽の節句で菊酒(きくしゅ)を呑んでからお酒に逃げることが増えた。

一升も買ってしまったから空けようとして日常的に飲むようになった。

菊酒を飲んだのは現実から逃げるためだった。

あのときはまだこれほどまでに壊滅的ではなかったはずなのに。

お酒が身近な存在になってしまったことでそこに行けば救われるようになった。

その救いとは露のような救いだ。

壊れやすいという言葉すら過大なほどの脆い救い。

しかし、それがないと辛い。

いつになったら白旗を上げられるのか。

このままでは玉砕戦だ。

どちらにも多大なダメージを与えて終わりの空しい結末だ。

それがわかっていてもなんにもならない。

ひたすらに体調だけが優れていない。

だからといってなんにもならない。

なんにもならないということが自分の日々の全てを語っていた。

なによりも雄弁に事実だけを述べている発言が存在する。

それを直視することはあまりにも現実的で生々しかった。


 現実にうちひしがれていた僕は低気圧を感じていた。

不穏な空気が頭に“ジワジワ”とした痛みを与える。

それに似合うような天気。

ずっとこの空気に呑み込まれていた。

天気予報の通り、台風がやって来た。もしも全てが天気予報の通りなのであればこの台風は数十年に一度とも言えるような強い勢力を持つ台風のはずだ。もちろん、それを真に受けてなどいない。ただ、どこかに期待している気持ちはあった。

窓の外の不穏な空気が心を揺さぶる。

雨足は強くなっていくばかりだ。

自然と実家のことが思い出される。

向こうにとってはもう台風の心配など無用だ。

むしろ両親が都会にいる僕のことを心配しているかもしれない。

心配するのであれば今日でなくて一昨日だった。

大丈夫だっただろうか。

両親にも久しく会っていない。

会ったらきっとその老いによってまた世間体を気にするようになる。

向こうでの生活は大丈夫なのだろうか?

ここが大丈夫だったとしても向こうが駄目になってしまってはいけない。

いつまで経っても都会に慣れることができない僕にとっては帰る場所が失くなることは想像するだけで胸が痛くなることだ。握りつぶされるかのようだ。

想像するだけでそうなのだとしたら本当に起こったらどうなる?

実家は古くて脆い。

建て付けの悪い扉、縁側のある庭へ行くためのガラス戸。

窓を叩く雨粒は(やかま)しい音を立ててあらゆる行動を阻害しようとしてくる。

神経を尖らせ、普通の生活を送れなくさせる。

台風を愛している人などいるはずもないが、神経質な僕は台風が嫌いだった。

向こうではもうすでに過ぎ去っている台風。それなのになんの連絡もない。ニュースでもなにもやっていない。ということはなんにもなかったということだ。今になって心配する意味などどこにもない。全ては終わってしまったことだ。心配ならば先に対処するべきだった。全てにおいてそうだった。


 自然の猛威を克服してしまった都会にとって台風とは単なる季節の行事に過ぎない。管理されている世界においては川など氾濫するような物ではない。

管理社会というよりも社会管理だ。

人間を管理することなく、社会を管理することで人間を統治している。

危険ではなくなったからこそ二百十日(にひゃくとおか)は多くの人の意識から消えてしまった。

あらゆる物が姿形を失っている。

あるべき形が変化してしまっている。

天変地異が起こったようだ。 

この最中(さなか)にいる僕たちはかき乱される。

天と地が入れ変わってあらゆる物がシャッフルされた。

ガラガラポンされた世界にはなにも残っていない。

いつかは太陽すらも消えてしまうだろう。

いや、いつかは太陽すらも管理下に置かれることだろう。

建前のような文化だけがある。

そんなものに本音を預けることはできない。

モニターに写った太陽を見たときの感動。

美しい景色が映し出された写真を見たときの心の動き。

それは本物の太陽の下に居るときの感動と比べると低次元なものだ。

本当に美しい景色の中に景色として存在することの感動と比べると低次元だ。

それでもそこにはたしかに感動があるのが厄介だった。

結局のところ、人間は偽物を美しいと思うのだ。

偽物の角であったとしてもヒエラルキーの上位に立てるように。

偽物であったとしても動物である人間はそれによって本質的な価値を見出だすことができる。しかし、そこに本質はない。


 吹き飛ばされてしまえばいい。

最近はそのようなことばかりを考えている。

ある種の破滅を味わった僕はそれに惹かれていた。

全員が同じように生活の基盤を根底から覆すような破壊に遭遇したらどうなるのか。きっと、そうすれば本質的に価値のある物に気づける。贋作に感動することもなくなる。不自然な自然が全部なくなる。

飛花落葉(ひからくよう)の言葉通り、堅牢で不動に見えるこの街にも儚さはある。

完璧に見えるその存在を前にすると狼狽えることもある。

それでも、やはりこの街も記憶の中の懐かしい実家も変わらない。

あらゆる物は不二(ふじ)であり、同じ物など存在しない。

存在するのは本物と偽物だけだ。

余りある資材が模造品を量産するならばそこには趣向も魂もない。

空っぽなのは人間だけで十分だ。

社会の中にいる人間の空虚さに引っ張られて物まで空虚になる必要はない。

そんなことをしてはあらゆる物が人間と同じような価値を持つ物になってしまう。そんな世界にあるのは表面だけだ。


 そんなことを思いながら窓の外を眺める。

その強風は室内に居ても目視できるほどの勢いだった。

そこに歪な希望を乗せる。

くだらないことを全て壊してまともな世界を再構築してくれないだろうか。

台風の報道は思っていたよりも信じるに足る物だった。

いつものように数十年に一度の台風と言っていたニュース。

オオカミ少年のように思っていたそれは真実味を帯びてきた。

それは言葉通りの物だったのかもしれない。

移り変わらないはずの街。

まだ台風がやってきてからそれほどの時間は経っていない。

それなのに見慣れた近所の道路が冠水しているところを映像で見た。また、このままの降水量が続くと川が氾濫するという報道を見た。すると、ある程度は治っていたはずの精神がまたおかしくなる。動悸よりももっと曖昧な部分に異変が訪れる。それはまるで首を絞められているみたいだった。異常なほどの汗が額から流れる。

どうしてしまったのか?

なにがトリガーになっていて、なにをすれば元に戻るのか。

自分という存在がやるべき対処法とかなんなのか?

それが理解できない自分。

その反面、自分がどうしてしまったのかをなんとなく理解している僕もいる。

感覚だけの世界であればこれは当たり前の運動だ。

これは過去に経験したことがある異変だ。

明らかな異常は昔の日常だ。

この街に馴染めなかった僕への罰だ。

罪に対して罰が与えられているだけだ。

贖罪は終わらない。

おそらく反省が足りないのだろう。

未だにこの街に未練を抱いているところからもそれは読み取れる。

内省を繰り返さないといけない。

どこまでも深く掘って自我に到達しないといけない。

本来の人間とはそういう生き物のはずだ。

生活を維持するためだけの表面に甘んじているのはもう人間ではない。

単なる機械だ。もはや機械よりも機械的だ。


 街は磨礱砥礪(まろうしれい)していた。

磨り減った粉を日々摂取している。それによって人々はこの街の要素を取り込み、より相応しい人物になっていく。そういう成分が空気中に含まれている。深呼吸をしない僕はそれが足りなくて壊れた。

経年劣化という純粋な変化。そして、石を穿(うが)つような雨粒。それらは壊れない街を壊そうと必死になって日々を積み重ねていた。

これほどまでにくだらない物はないと思ってそうしていた。

その渦中にいる都会の人間は無垢なだけだった。

可哀想なほどに純粋な存在だけがここにいるのだ。

となると、扇情的な物に操られるのも仕方がない。

空っぽの器にあらゆる情報が雪崩れ込む。

すでに悟りの中にいる人々がそれに飲み込まれる。

精査することなくそれを受け入れる。

そして、建前を真に受けた人々が街を闊歩(かっぽ)するようになる。

雑念だらけの僕にはそんなことをする余地すらない。

俗っぽい街だと思っていた。

しかし、本当は正反対の場所だった。

生きている意味よりも時間を潰すことを選んでいる。

それはつまりこの世の中に対して未練など抱いていないということだ。

そもそもこの街に来ることを選択した過去がその純粋さを物語っていた。

思えば純粋だったはずの僕もいた。

今ではそんな面影すら見えない。

この部屋には誰もいない。

深呼吸が足りていない。


 時間は今も流れていく。

それが流れていくことだけを祈っていた。

ここは想定していたよりも自然な場所だった。

少なくとも自然とはこの程度で淘汰されるほど脆い物ではなかった。

不安と焦りだけで吐きそうになる。

誰もいない孤独な部屋でこの荒波を乗り越えることができるのか?

どれほどに仲違いをしていたとしても一人でなければ。

おそらくもう終わってしまった彼女がこの場所に居てくれたのならば。

呉越同舟(ごえつどうしゅう)ではないがきっと協力することができていたはずだ。

そうだ。この街の日常には苦難が存在しない。だから、ちょっとしたことで関係性という物が崩壊してしまうのだ。しかし今日は非日常だ。

甘いことばかり考えていた僕が想定していたよりも遥かに勢力の強い台風。

それは完全に治水されていたはずの川を氾濫させようとした。

予想よりも現実的にその危機が迫ってくる。

聞いていただけではわからない。

実際に経験しないとわからないことがたくさんある。

それを待っていたはずなのに壊れそうになる自律神経。

避難する勇気もない僕にはあらゆることが恐怖だった。

歩くことができない。

ここにいる以上は外に向かえない。

居るしかない場所に居ながら眠れることを祈る。

この祈りは届いてくれないと困る。

どうしようもなくなってしまう。

ゴミゴミとした思考をしている僕の心に危機が迫ってきた。

洗い流してほしかった。

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