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終わり


 お釈迦様は箱の外に行くことで自然になることができた。

我々はこの巨大な箱の中から抜け出すことができない。

地球の果てまで行っても、そこには社会しかない。

不自然な箱の中でしか生きられない。


 露往霜来(ろおうそうらい)

(つゆ)()き、(しも)()るという四字熟語。

露の秋から霜の冬になるということ。

時間が過ぎるのは早いということ。

白露(はくろ)から飼うことになった金魚。

それといつの間にか冬を共にしていた。

ここにいる金魚は自らのヒレを“ヒラヒラ”と踊らせる。

気がつくともう冬になっていた。

思わぬ形で共同生活をすることになった。

それももうすぐで終わりだ。

僕の人生は誰にも理解することができない。

誰かに理解されるような感覚ではない。

社会的な人にとってはきっと根本(こんぽん)の部分で受け入れがたい物がある僕だ。

自覚するほどに自分という存在は自然だった。

表面的な不自然こそあれど性根はどこまでも自然だった。

それゆえに腐ることもある。

この世界とはそういう物だからだ。

そんな人間がこの街で生きていけるとは到底思えない。

僕のことを理解することができる人間などどこにもいない。

もっと、自然な場所に行かなければならない。

しかし、社会とはどこも不自然であり、もはや自然などどこにもないのだった。ここは誰かが管理している箱だ。その中にいる人間は金魚鉢の金魚と同じだ。


 全てを失ったように思える。

そんな状態に置かれたせいで茫然自失(ぼうぜんじしつ)の僕がいる。

この場所に居る間はきっとこのままでしかいられない。

心が無いように振る舞うことしかできない。

本当はあらゆることがわからないのに、わかるフリをしなければならない。

しかしこの場所に居るのももうすぐで終わりだ。

終わらせるのが遅すぎた。

この街での記憶は全てが醜い物であって不自然な物だった。

全てに作為があった。

もしかすると人間とはどこまでも醜い生き物なのかもしれない。

だから、自然だろうが不自然だろうが気持ちが悪いのだ。

どうせそういうもんだ。


 共有されていたはずの価値観。

同じような性行があるという認識。

それは勘違いでしかなかった。

似た者同士というのは表面的なことだけだった。

人間として作り上げた不自然が似ているだけだった。

奥底にあるのは全く別の考え。

別の人間だった。

揣摩臆測(しまおくそく)された幻覚の上に存在していたのはなんだったのか。

思えば触れ合うことすら積極的にはしなかった。

それなのに奥底に触れられていると勘違いしていた愚かな二人がいた。

いや、きっと愚かなのは僕だけだ。

なぜなら、最後はわかっている彼女からの提案だった。

提案といえるほど優しい物ではなかったが、そうだった。

狐につままれたような気持ちになっている僕すらも幻覚だったのか。

幻覚が消えた。

それはきっといつも惨めな僕のことを承認してくれた彼女のことだ。

(さち)から嫌われている僕の不幸を見ていた彼女のことだ。

きっと幻が消えた先にいた僕を直視して幻滅したのだ。

消えた幻が表皮(ひょうひ)を目の当たりにさせる。

人間の姿はあまりにもグロテスクで見るに堪えない物だった。

だから、消えた。

気体になってしまった。

それと付き合っていかなければいけない僕は消えない。

自分が自分である以上は消えることができない。

消えるためには死なないといけない。


 思考は巡れば巡るほど疑心暗鬼(ぎしんあんき)のような成分に変わってしまう。それは他人を信じられない僕を生み出す。考え事はいくらでもできる。それを止めることはできない。自らの思考の成分は“ドンドン”と疑心暗鬼的になっていく。どこかに敵がいると思えて仕方がない。見えている人の中にいる見えない敵と戦っている。

暗く、深淵の入り口まで行ってしまった僕はひたすらに金魚を眺める。

誰一人としてここには信じられる人がいない。

唯一信頼できる可能性がある両親ですら信じられていない。

脳機能の変化。

それによって働けなくなった僕。

過去から離れることはできない。

いつまでも自分の影の中にある。

しかし、これでもまだマシだ。

十分に可能性がある状態だ。

ここから発狂しそうなほどの不幸がやってこないことを祈るだけだ。

後もう一押しで自分の思考の成分は純粋な物になってしまう。

その純粋さは人間には要らない物だ。

純粋であるがあまりに、人間にとって有害な物質に変化するからだ。


 矯角殺牛(きょうかくさつぎゅう)な結末を迎えた僕は元に戻りたい。

妥協するということを考えなかったあまりに全てがダメになった。

どこかで自分を曲げなければいけなかった。

向こうに妥協してもらわなければならなかった。

破鏡(はきょう)は破鏡でしかない。

そもそもの目標設定が間違っていた。

世間体のための存在として彼女を認識していたのが誤りだった。

二つとない物だったのだ。

代替品が存在しない個体だったのだ。

個体である彼女にとってかけがえのない僕にならなければいけなかった。

姿を変えた僕は流れる血液を止められずに亡くなった。


 世界は陰と陽でできているという考え方がある。

これにはどちらがいいということはない。

陰陽のバランスが取れている状態がもっとも素晴らしいという考え方だ。

もし仮にその属性がどちらかに傾くと世界は急変することになる。

陰であろうが陽であろうがそれが極まると世界は急に逆の方へと転じるようになる。それがこの世の真理であると、根拠もないのに誰かが言っていた。

しかし、根拠がないからこそ純粋な物になるのだ。

根拠がないからこそ神様はそこに宿ることができるのだ。

それは非常に自然な物だということだ。

陽が極まれば陰になり、陰が極まれば陽になる。

陰的な僕の生活とはそういうような物だった。

陰的な彼女と一緒に居たことで二人は陽へと転じてしまった。

もしくは本当は陽的な彼女が居たのに、陽的になろうとする僕が居てしまったことで陽が極まって陰へと転じてしまった。

それがいいことなのかはわからない。

ただ、そういう自分たちが居たというだけだ。


 瞬間瞬間で興味が切り替わる僕が居た。

一日一日生まれ変わる僕が居た。

欲しがるばっかりで満たされない僕が居た。

それはきっと本当はあらゆる物がほしかったからだ。

あらゆる物が欲しいという願望がありつつも、そんなことは実現しないことも知っていた。願望だけではどうにもならないことを知っていた。

だから、全てを心の奥底に隠していた。

覚めることなく眠っていただけだった。

そこにはたしかに不思議な思いがあった。

それをどうすることもできなかった結果、致命的なまでに孤独になった。


 深呼吸をする必要があった。

それが足りていなかった。

だが、深呼吸をするにはこの街の空気はやはり汚い。

取り込むべきではない空気は取り込むべきではない。

用心深い僕は染まらないようにしていた。

この空気で生きていける人間にはなりたくなかったからだ。

しかし、それでは生きていけない。

生きていけないから去ることになる。

当たり前の話だった。


 自然とはサイクルであり、同じ物など決して存在しない。

崩壊した後に似たような物が生まれているだけ。

自然にあるのは類似した物だけだ。

全てが唯一無二であり、特別な一つしかない物だ。

もちろん、社会もその自然の摂理(せつり)の中にある。

しかし、社会とは不自然な場所だ。

あらゆる物が壊れないように、崩壊しないように作られているからだ。

都会はいつまでも都会であり続ける。

なぜならば崩壊しないようにみんなが必死に作り上げている物だからだ。

だから、唯一無二のような顔でそびえ立っている。

崩壊してしまうことが恐ろしくていろんなリスクを取り除こうとしている。

人工的な代謝によって強制的に変化を生み出す。

あくまでもコントロールできる範囲内で問題を発生させる。

そんな不自然な場所なのに、自然のように類似した物を大量に生み出す。

一つとしかない物だって再現性がある。

ここにいる人間はみんな似たようなことをしている。

似たような顔をしている人たちもいる。

似たような服を着ている人たちもいる。

その全てが唯一無二だった。

あらゆることは不自然であり、自然とはかけ離れている。

社会とはそういう場所だ。

どうでもいいはずなのに崩壊への恐怖からくだらない物を守り続けている場所だ。

もうここには居たくない。

居ることができない。


 人の気持ちがわからないという弱点はいつまで経っても治らない物だった。

これは生まれ持った遺伝子と、育ってきた環境でできあがった物だ。

だから、自分の本質とも言える物だった。

数十年という長い時間をかけて築いてきた物だ。

それが自分なのだ。

今もこうして青い金魚鉢を眺めている。

管理されていないとすぐに死んでしまうくだらない金魚がそこにはいる。

金魚鉢の花のようになっている上部は未だに割れたままだった。

新しい箱を買いにいくほどの余裕はなかった。

それに、そこまでの優しさもなかった。

もうすぐでこの金魚は死んでしまう。

紅白模様の美しい金魚はこの世界から居なくなってしまう。

なぜなら、エゴの塊である僕が殺すからだ。

どうやって殺すのかはまだ決めていないが殺そうと思えばすぐに殺せる物だった。

それをしなければならない理由は荷物になるから。

そして、いらない思い出があるから。

それと少しの反抗心があるから。

あの人に言われた通りにしてなるものか、というほんのわずかな抵抗力が残っているから。そんな自分勝手な理由で殺されてしまう金魚を見ていた。

箱の中に居るとはそういうことだ。

社会の中に居るとはそういうことだ。

これはよく言われる表現だが、『生きているのではなくて生かされているだけ』なのだ。

それだけの存在にしかなれなかった。


 花が咲いている青い金魚鉢によく似た色のコップ。

藍色の透明なコップで金魚を掬った。

わずかな水の中で金魚は恟然(きょうぜん)とする。

箱の外にも箱があったからだろうか。


されども。

去れども追えない影が一つある。

去れども消えない人が一人居る。

それはたしかに残り香となって

この街に一つ影を落とした。

されどもなんにも街は変わらぬ。

変わらぬように変化を続ける。

影は建物の影に呑まれた。

その中で姿形を失う。

されども心に影は落とされ

決して癒えない傷に変わった。


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