第九十八話 奴隷剣士の剣舞
予選三回戦となり、俺とヴェルティカが会場袖で前の試合が終わるのを待っている。
「次を勝てば決勝戦進出か…」
ぽつりとヴェルティカが言うが、かなり心拍数が上がり緊張しているようだ。俺はと言えば、全く心拍数も上がらず筋肉の硬直も無い。アイドナのコントロールが働いているのか、勝手にそうなっているのかは分からないが、闘技場に来てから全く変わっていない。
「そうだな」
「コハクは緊張してないみたいね」
「していない。次も勝つのは決まっている」
これを突破すれば、俺の決勝大会への進出が決まる。流石に予選三回戦ともなれば、かなりの力量を持った者が相手のようだが、それでもアイドナの予測判定は青。
ならば百パーセント俺が勝つ。
すると前の試合の勝者が告げられ俺の出番が来る。俺が何事もなく試合会場に入ろうとした時、ヴェルティカが俺を呼び止めて言う。
「コハク! 危なかったら負けて良いからね! そのときは降参して! 無理して死んじゃだめ! 私達なら何とでもなるから、その命だけは大切にしてほしい!」
「ヴェルティカ、それでは目的を達成する事が出来ない。元より死ぬつもりなどないし、ただ俺が確実に勝つだけだが?」
「そうやってコハクは何の気負いもなく言うから、ちょっと拍子抜けしちゃう。でも本当に無理だけはしないで」
「ああ」
俺は歩きだし、三回戦の相手の前に立つ。相手はただ黙って俺をじっと睨んでいる。
今回の相手は無駄口が無いようだな。
《先の試合で力量を見たからでしょう。恐らくはこちらの力量を見図らっています》
ノントリートメントなのに、こちらの身体状況を伺っているという事か?
《正確な数値ではなく、目測で判断しているだけだと推測します》
そんな無駄な事をしている?
《はい》
俺がそいつの前に立つと、アイドナが新しい指示を出した。
《剣を二本抜いてください》
ん? 相手は青判定だが、それだけ強いのか?
《いえ、その為ではありません。大衆の印象操作です。ここまでの試合で二刀流は一人もいませんでした。当初は油断を誘う為に見せる事は無いと判断しましたが、今出す事によって出場者及び大衆や王に強く印象付ける事が出来ます》
そうなのか?
《決勝進出前に奥の手を出す。それだけ前の敵が強く、警戒していると思われるでしょう》
わざと警戒していると思わせる?
《そうです。そしてその警戒するほど強い敵を、奥の手を使ってまで倒す姿を見せる。すると観客は、決勝大会でも、その二刀流を見たいと思うでしょう》
なるほど理解した。
そしてアイドナの指示通り、対戦相手に対峙し俺は腰の二本の剣を抜いた。
「な、なんだそれは…」
相手がようやく口を開くも俺がそれに答える事はない。だが俺が剣を二本抜いたと同時に、目の前の対戦者だけじゃなく観客までがどよめいた。ざわつきが会場全体を埋め尽くし、全ての視線が俺に向かっている事が分かる。
《想定通りです》
そういうことか。
司会も試合開始の合図を忘れている。相手が気を取り直して俺に剣を向けた。
カンカン!
「始め!」
試合が始まると、ガイドマーカーの位置がいままでとは明らかに違う。
これでいいのか?
《はい。このとおりに》
俺はアイドナに従い、いつもとは違うガイドマーカーの位置に体を進め剣を置いて行く。かなり行動範囲が広く、今までの最小限で勝つ動きとは違った。
《心拍を上昇させます。アドレナリン、β-エンドルフィン、アナンダミド放出》
アイドナの調整のおかげで、楽しいという気分が湧き出て来る。無駄な動きが多い感じがするが、無理なく体を動かす事が出来ているようだ。
すると…。
ワアァァァァァァァァァァァ!
今まで受ける事の無かった大歓声が、観客席から起きた。
なんだ?
《あなたの動きにです》
そうなのか?
そうしているうちに、相手の息が上がり肩で息をし始める。ガイドマーカーの指示としては、かなり手数が多く、相手がそれをさばいているうちに苦しくなってきたようだ。
《フィニッシュです。柄で延髄を殴打してください》
ガイドマーカー通りに、俺は剣の持ち手の部分を相手の首の後ろに落とした。
ガッ! ドサリ!
相手がゆっくり倒れる。少し様子を見て審判が言った。
「勝者! コハク! 決勝進出!」
ドワァァァァァァァァァァ!
今までには無い大歓声が起きた。どう言う事かは分からないが、第二試合までとは全く違う反応だった。
これも予測か?
《はい。誤差なく結果が出ました》
そうか。
予選を通過した俺は、そのままヴェルティカの所に戻る。するとヴェルティカが目を輝かせて言う。
「凄かったわ! コハク! まるで舞いを踊ってるみたいだった! あんなことが出来たなんて知らなかった!」
いや。おれはアイドナの指示の通りに、ガイドマーカーに従って動いただけ。だがヴェルティカにそう映ったという事は、大衆にもそう映ったと判断して間違いない。
これが結果か?
《そうです》
未だ冷めやらぬ観客の騒ぎの中、俺とヴェルティカは控室に続く廊下を歩いて行く。出場者達が俺を見ているが、今までの敵意の目とは違う雰囲気が漂っている。計画はアイドナが意図している方向に向かっている事が分かり、更に次の段階に進んだことを理解した。武闘大会を勝ち進みつつも、人心掌握が進んでいるのだ。
《大衆の前評判が上がれば、おのずと王も興味を抱くでしょう。それを奴隷がやっているのだとなれば、脳の記憶領域に強く深く残るはずです》
いい方向に進んでいるというわけだな?
《そうです。そしてこの状況を維持しつつ勝ちあがる事で、冒頭でボルトが魅せたエキシビションの伏線回収に繋がります》
パルダーシュ辺境伯の、全ての評価が上がるということか。
《はい》
ならばあとは、決勝で勝ちあがるだけだ。
その時、通路の先にボルトが立っているのが見えた。
「ボルト。入ってきていいのか?」
「特別な出演者として、出場者の所に少しの間入れてもらえたんだ」
「そうか。エキシビションは見事だったな」
「いやいや。コハクから言われるとこそばゆいぜ。つうかよ、仲間達もみんな驚いてたぜ! あんな美しい戦い方を魅せられて、観客もめちゃくちゃ興味を沸かせていた。やっぱお前はすげえよ! ってみんなが言ってた」
「皆でここまで来たんだ。俺が失敗して、皆の努力を無駄にするわけにはいかん」
「また…お前は冷静だなあ。あんな舞いのような剣技を見せた男だとは思えねえよ」
「とにかく勝つ。待っていてくれ」
「おうよ! 午後の決勝も頑張れよ!」
「安心して任せておけ」
すると係員がやってきて、ボルトに声をかけて連れて行った。
「皆も驚いているようね」
「そのようだ」
「でも。無理はだめよ」
「俺は決められたように戦い、決められたように勝つ」
「まったく…。冷静なんだから…」
午後の決勝まで休憩時間が入るらしい。俺とヴェルティカは係員から食堂へと連れていかれる。そこには他の出場者もいるようだが、俺達を遠巻きに見ているだけ。皆が食べていたにも関わらず、俺が入って来たのを見て早々に出て行ってしまった。俺とヴェルティカは空いた食堂で、悠々と昼飯を食うのだった。