第九十七話 AI未搭載人間の感情を学習
俺は今、だだっ広い試合会場の真ん中で、受付の時に罵って来た男と対峙している。第二回戦に進んだ結果、対戦相手が前の男になったのだ。一回戦を突破したという事は、コイツは普通の人間よりは強いのだろう。だがアイドナの演算判定は青で、労せず俺が百パーセント勝つ事が分かっている。
《ステータスを表示しますか?》
一応な。
名前 ズラド
体力 256
攻撃力 107
筋力 288
耐久力 183
回避力 110
敏捷性 105
知力 28
技術力 98
なるほど。体力と筋力と耐久力はアランよりも高い、だが他が格段に低いな。
《体格通りの数値です》
筋力、体力、と攻撃力は比例しないのか?
《しません。全てのステータスから割り出される総合値です》
そうか。あと名前はズラドって言うんだな。
《最初の紹介の時に記録しました》
俺は覚えていないのでこういう時に助かる。するとズラドが声をかけて来た。
「まぐれで勝ち上がるなんてな! 事故がなきゃ、お前なんか一発だったろうに」
この世界の人間は無駄口が多いな。
《意志の共有が出来ませんし、話さないと伝わらない文化だからでしょう》
非合理的だ。
《否定はしません》
「なんだぁ? 恐ろしくてだんまりかよ。まあこれで金で買った出場枠が無駄になるのは間違いない。あの、お綺麗な辺境伯令嬢の悔しがる顔が見れるな」
…どうしたらいい?
《今までのノントリートメントの言語から推測するに、「やれるものならやってみればいい」が妥当》
「やれるものなら、やってみればいい」
「ちっ! 身の程知らずの奴隷風情が、お前が死んでもまた新しい奴を買うだけだろうけどよ」
俺は答えなかった。それよりも、先ほど剣聖ドルベンスがやっていた人心掌握の為に有効な勝ち方。それが最も気になっている。
カンカン!
「始め!」
俺が剣を構え、ズラドもこちらに向かって構える。
《訓練はされているようですが、この程度なら初撃を躱して一撃で終わります。ですが観客の人心掌握の為に、ドルベンス同様な数回の回避行動します。ガイドに従い動いて下さい》
分かった。
シッ! 鋭い息を吐いてズラドが打ち込んで来るが、既に俺の動きは決まっている。その剣は俺がいたところを振りぬいて空振り、俺は数歩進んで振り向く。相手も同じように振り向いた。
「まぐれで避けやがったか…」
構わす俺が剣をかまえる。するとズラドが、今度は下段から跳ね上げるように剣を振って来た。それも同じように躱して数歩進むと、ズラドは止まらずに後頭部めがけて次の斬撃を上段から下ろして来た。しかしすでにガイドマーカーが引かれているので、それを見ずに寸前で避けた。
スカッ! カン!
剣は俺にあたらずに床を叩いた。
《殺すつもりで力を入れたのでしょう。勢いあまって床を叩きました》
なるほど。
「お前…少しはやるのか?」
だが俺はそれに答えずに、スッと前に剣を出した。冷静な俺に対して、ズラドの目が血走りおでこに血管が浮き出ている。
《より勝ちやすくなりました。こうなれば後は決着をつけて良いでしょう》
ズラドが来る。
「そりゃ!」
声を出して斬りかかってきたが、俺はそれをすり抜けずにズラドの剣を剣でずらして、首元に自分の剣を突き入れた。
《殺さない方がいいでしょう》
アイドナの指示に従い寸止めにすると、勢いあまってズラドの方から突っこんで来る。
「げっ!」
ズラドは辛うじて喉仏を潰すことなく、首の脇をかすめて過ぎる。だが結構な深さで斬れてしまい、バッと鮮血が飛び散った。そのまま俺はズラドの首に剣を突き付けた。一センチほど首にめり込んだ状態で、ズラドの動きが止まった。
《脅した方がいいでしょう、下手に反撃が来ます。殺せば人心掌握の妨げになります》
「このまま刺すか。それとも降参するか」
するとズラドが剣を下ろして言う。
「ま、参った…」
カンカン!
「勝者コハク!」
どよっ…。
ざわざわざわ。
ん? ドルベンスのように歓声は起きないぞ。
《やはり地位の問題でしょう。奴隷が勝つとは誰も想像しておらずに、意表を突かれた形になったのです》
効果はあったのだろうか?
《野次ではないので、変化は確認しました》
そうか…。
そうしてすぐに、ズラドの傷を治療する為に魔導士が来た。首から流れる血が止まり、ズラドはそのまま自分で歩いて会場を後にして行った。
俺も戻るか。
騒めく会場を抜けて、ヴェルティカの所に行く。
「素晴らしい試合だったわ。これなら剣聖に何も言われないはずよ!」
「ならよかった。次からの試合も見るから、指定の客席に戻りたい」
「そうしましょう」
そして俺が出場者の客席に戻る。
今度はヘイトは聞こえなかった。俺が入っていくと皆がシンとして、ただ試合会場を見ているだけに留まる。そして俺は自分の席に戻り、再び試合を眺めはじめた。
だが…。またも声がかけられる。
「貴様…馬鹿にしているのか?」
剣聖ドルベンスだった。また難癖をつけに来たみたいだ。だがそれにしびれを切らしたヴェルティカが答える。
「ちょっとよろしいでしょうか! 今の試合に何か問題でも!? 充分に良い試合だと思いましたけど?」
だがドルベンスはヴェルティカを無視して続ける。
「偶然ではない。完全に俺の試合内容を真似るとは、どういう事だと貴様に聞いている!」
何を言っているんだコイツは…。
「おまえは教えてくれると言ったじゃないか? 俺は五体満足で試合を終えたいからな、だからお前が教えた事をやっただけだ」
ピキピキピキ!
音がする様な血管の浮き出ようだ。
「貴様…愚弄するつもりか?」
何を言っているんだ? 愚弄などしていない。コイツが教えると言った通りやっただけだ。
《ノントリートメントの思考を解析しますと、恐らくは真似が嫌いなのでしょう。感動を与える動きがドルベンスの動きだと推測し、同じように動いただけなのですが、共有思考のないノントリートメントには理解が出来なかったようです》
「わかった。次はそうしない」
「くっ…貴様…どこまでも…。覇気のないお前のような奴が…」
覇気というが、どういうことだ?
《恐らくは気持ちの問題であろうと思われます》
「俺は勝ち抜くつもりだ。だからもう良いだろう?」
「……覚えておれ」
そう言ってドルベンスはまた観客席を出て行った。何故あのような感情になったかが理解できない。しかも試合ごとに、いちいち絡んでくるぐらいなら自分の事だけに集中すればいい。
《ノントリートメント故の不可思議な行動です。きっちりとヘイトを集められた結果ともいえます。正であれ負であれ相手の印象に残るというのは、全ての行動においてプラスに働きます。むしろ無感情無関心は効果を発揮しませんので、予想以上に効果が出たものと思われます》
これも人心掌握の一環か。
《はい。それもかなりの効果が期待できるでしょう》
確実性を上げられたという事だな。
《そうです》
ノントリートメントの人心コントロールに関しては、まだ学習中だと思うが、確率論で言えば既に効果は出ているらしい。
「コハク?」
「なんだ?」
「思いつめないで。いろんな人がいるわ、あなたはあなたの事に集中して」
いや。思いつめてはいないし、集中もしているつもりだ。だがヴェルティカにはそう映っているらしい、俺は最も効果の高い方法をとっているだけなのだが、ヴェルティカも共有がかかっていないので分からないらしい。
ノントリートメントは難しいな。
《現在の会話もインプットいたしました》
俺は、ただヴェルティカに微笑んで黙って試合を眺めるのだった。