第九十五話 最初の対戦
ボルトのエキシビジョンの後に、対戦カードの発表が行われる。それを聞いて準備の為に控室に行く者もいるようだ。
すると…。唐突に声がかけられる。
「おい。おまえ」
それは受付の時に、俺とヴェルティカに絡んだ男だった。
「なんだ?」
「残念だよ! お前と一回戦であたればボロボロにしてやったのにな。どうやら他の奴とらしいじゃないか! お前が一回戦を勝ち上がって来たら俺だったんだがなあ。残念ながら、お前みたいなひょろひょろには一回戦突破も無理だろうよ。俺がやってやりたかったのに残念極まりないぜ」
「そうか」
そう答えたが、何か気に入らないようだった。
「てめえ。そんな覇気のねえ様子で、随分余裕ぶっこいてるじゃねえか。貴族の金で出場枠を掴んだ奴なんか目障りなんだよ! 奴隷の分際で武術大会に出るなんて本当に腹立たしいぜ」
「そうか」
男のこめかみに血管が浮かび上がっている。こんなところで俺に無駄口叩いている暇があったら、自分の対戦に集中したほうがどれだけ合理的か。なのにわざわざここで足を止めて、ずっと意味のないことを話し続けている。
《男の体温上昇と血圧上昇、筋力のこわばりを確認。二秒後に攻撃が来ます》
そう言ってアイドナが、俺とそいつの間にガイドマーカーをひいて知らせる。俺は一コンマ数秒でスッと立ち上がった。すると俺が座っていたところに、男の拳が空振りする。不意に攻撃対象が居なくなった事で、男はよろけて石段に突っ伏してしまう。
「コハク。暴力はダメよ。出場枠が消えてしまうわ」
「分かっている。何もしない」
だが男が起き上がって、血走った眼をこっちに向けて来る。
「…てめえ…」
また飛びかかられるかと思った時だった。違う方から声がかかる。
「おいおい。一時の感情で試合を棒に振る気か?」
《ドルベンス・ベーリクード 剣聖です》
赤点滅の一人だな。
《はい》
だが頭に血が上っている男が食ってかかる。
「なんだあ?」
「あっちを見ろ。憲兵が見ているぞ」
男がそちらを向く。すると確かに騎士がこっちを見ていた。
「ちっ! 俺がぶちのめしてやりたかったのに」
「他の誰かがやるだろう」
「くそが」
そう言って男は観覧席を出て行った。ドルベンスはスッと視線を外して、再び自分の席に戻ろうとする。そこにヴェルティカが声をかけた。
「ありがとうございます」
だがドルベンスは一瞥をくれただけで、何も言わずに行ってしまった。
《剣聖の感情も穏やかではありません》
なるほど。俺に対して良く思っていないという事だな。
《むしろドルベンスはあなたより、食ってかかった男を守ったようです》
なるほど。まあなによりだ。
《はい》
「ヴェルティカ。俺は試合を見たい、とにかく気にする事はない」
「分かった…」
ワアアアアア! と歓声が起きたので俺達は闘技場を見た。すると一試合目が始まろうとしている。もしかしたら勝者が対戦相手になるかもしれないのと、これに出場する人間の力量をインプットしていかなければならない。
試合は拮抗していた。確かに訓練されている者の動きではあるが、ビルスタークよりもデータは低い。試合が終わり勝者の名前が高々と呼ばれている。次の試合も似たようなもので、同じくらいのレベルの者達の戦いだった。
《だいたいの力量のアベレージが分かってきました》
青色判定の者達だな。あれには負けないという事か。
《確実に》
そして次の試合。
点滅の一人だ。
《これで情報を入手できます》
試合が始まるが、前までの試合とは全く違っていた。なんと試合は一瞬にして終わってしまったのである。相手の剣を見切った方が、紙一重で避けての振り下ろし。それも相手の剣に向かっての振り下ろしで、相手が剣を落とした所に剣を突き付けて終わり。
早かったな。
《充分です。予測演算を開始します。さあ、そろそろシード選手が呼ばれるでしょう》
するとヴェルティカが言う。
「次の次よ。そろそろ行きましょう」
「わかった」
俺達は観覧席を下りて会場入りした。既に一つ前の試合が始まる所で、俺はその試合を間近に見る。やはり試合は拮抗していて、時間をかけて終了した。
《あのやり方だと、体力の消耗と怪我の心配があります》
そうはしないという事だな?
《はい、実力を見せる必要もありません》
わかった。
すると大男の司会が叫んだ。
「コハク! 前へ!」
「それじゃあヴェルティカ。行って来る」
「気を付けて」
試合をする場所まで歩いて行くと、今までの歓声とは違う雰囲気になる。罵倒するような声も聞こえており、どうやら俺は歓迎されていないようだ。ガンガンと鉄か何かが鳴らされており、不穏な空気に包まれている。
「ひっこめ!」
「奴隷風情が!」
「場違いなんだよ!」
するとアイドナが言う。
《非常に理想的な状態となりました。ここまで術中にハマってしまうとは、ノントリートメントはいかに操りやすいかが分かります》
だな。面白いようにひっかかるものだ。
《では仕事を》
俺が対戦者と向かい合うと。これまた対戦相手までもが無駄口を叩く。
「奴隷などとはやりたくないがな。さっさと片付けて次に備えさせてもらう」
ノントリートメントとは、何故にこうも非合理的なのか。ここで言葉を発する利点など何もない。
「そうか」
「なんと覇気のない! やりたくないのならば直ぐに終わらせてやろう!」
《職業は騎士です。レベルは青ですが数値を見ますか?》
ガイドだけでいい。
《了解しました》
すると声がかかる。
「両者準備は良いか!」
騎士が礼をしたので、俺も真似して礼をした。
《剣は一本で構いません》
俺が二本のうちの一本を腰から抜くと、相手も構えを取った。
カンカン!
「はじめ!」
すると騎士がすぐさま突進してくる。さっき話していた通りに、すぐに勝負を終わらせるつもりらしい。だがアイドナは予想を覆して、変な所にガイドマーカーを出した。
《床の窪みに剣を立ててください》
言われたとおりにスッと窪みに剣を立てる。
《敵の剣のラインを予測、避けつつ相手のつま先を強く踏んでください》
コンマ数秒の指示で、俺は予測されたガイドマーカーの敵のラインを潜り、つま先をドンとふんだ。
すると…。
体制を崩した騎士が前のめりに倒れ込み、その咽喉仏に俺がたてた剣の柄が突き立った。
「けくっ」
騎士は変な声を上げてズサササササ! と床に転び動かなくなる。
死んだ?
《いえ。危険な状態ですが、すぐさま治癒を行えば助かります》
わかった。
審判がまだ何も言わないので、俺が大声で言う。
「転んだコイツを治癒しないと、死んでしまう! 早く治療しろ!」
「は?」
「早く!」
すると大男の声が鳴った。
「て、転倒事故により勝者コハク!」
会場が騒めく。慌てて係員が倒れた騎士に歩みより、首に手を当てて手を振った。すると数人の係員が来て、相手の騎士を持ち上げて運びだして行く。会場がどよめいている中で、俺は何事も無かったように床の剣を拾って腰に挿す。そのままヴェルティカの元に戻った。
「力を全く使わずに済んだ」
「えっ? あれはわざと?」
「そうだ」
「本当に転んだのかと思った」
「違う。仕向けた」
「凄い…。今のを分かってた人いるかしら?」
「わからん。だが大勢を欺けてはいると思う」
「コハクは凄いね」
「そんなことはない」
そして俺達が再び客席に戻ろうとした時、俺につかみかかって来た奴とすれ違う。
「まぐれかよ! 本当に運だけは良い奴だな!」
俺とヴェルティカは相手をせずに奥へと進んで行く。他の出場者たちも異様な目つきで俺を見ているが、俺は何も感じる事がない。ガイドマーカーに従って動いただけだから。
《更に良い状況になりました。ノントリートメントがこのように扱いやすいものだとは》
教えてくれたマージに感謝だ。
不穏な空気の中を何事も無かったように歩き、俺とヴェルティカは再び客席に座るのだった。