第八話 柔らかなベッドで一夜を
辺境伯の娘ヴェルティカに買われた俺とメルナは、王都の滞在場所のホテルで、ヴェルティカと同じ部屋に宿泊する事になった。俺が兄妹だと言ったので、同じ部屋にされた事は仕方ないが、俺はメルナに申し訳なく思い聞いてみる。
「男と同じ部屋で悪かった。本来なら別々が良かっただろ?」
メルナがフルフルと頭を振る。
「奴隷だから、指示に従わなければならないが、メルナは自分を奴隷だと認めてないだろ?」
「そしたら、コハクも」
突然普通の返答が返ってきて驚く。奴隷の檻の中ではほとんど会話も無かったし、最初の頃とは少し違う雰囲気になったように感じる。体を洗ってもらい小奇麗にしたから、心に余裕が出来たのかもしれない。
《対象者はリラックスしているようです。体温心拍数共に牢に居る時とは違うようです》
そうか。彼女を連れて逃げれるかな?
《廊下の警備を倒し、宿泊施設の外で待つ警備を相手せねばなりません》
なるほどね。あいにくこの部屋には窓がないようだし、出るとすれば廊下かヴェルティカの居る部屋を通らねばならない。
《身体の危険を顧みず行動するのであれば、確率は上がります。ですがあなた単独でという条件で五十パーセント、彼女を連れてはゼロです》
「メルナ」
「うん?」
「ここから逃げたいとは思うか?」
するとじっと固まって考え込んでいる。逃げると即答すると思っていたがそうではないようだ。
「コハクはどうするの?」
「一人なら辛うじて脱出できるかもしれないが、メルナが一緒に行きたいと言うならやめておこう。確率がゼロになるからな、どうする?」
「逃げても行く場所がない、コハクについて行く」
「分かった。ならばここで様子をみよう」
俺達は脱出するタイミングを見計らう事にした。するとアイドナが言う。
《決定したのであれば、筋力トレーニングを再開させてください》
わかった。
メルナが見ているそばで、俺は腕立て伏せを開始した。もちろんアイドナの自動サポートがあるので、脳は休めながらやる事が出来る。だがメルナが突然聞いて来た。
「それなに?」
「筋トレだ」
「きんとれ?」
「体を鍛える事によって、有事に備えている」
「わたしもやる」
そしてメルナが腕立てを見よう見まねで始めた。だが体の芯が整っておらず、非効率なやり方をしている。俺は自分の筋トレを止めて、メルナに向き合った。
「もっと脇を締めて手は肩幅より少し広めに、体は真っすぐ。あげる時も降ろす時も、もう少しゆっくり。床ギリギリまで体を落として」
メルナが俺に言われたとおりにする。
「鼻から息を吸って、口から吐き出す。それを一定にリズミカルに、とにかく酸素を取り込む事が一番大切だ」
「すーはー、すーはー」
メルナは腕立てを十回もやると、ドサリと床に倒れ込んでしまった。
「初めてかい?」
「うん」
「上出来だ。荷物を運んだりするのか?」
「そう。薪とか藁とか、水なんかも運んだ」
「ならばきっと基礎的な筋肉はあるんだ。慣れればもっと回数をこなせる」
「わかった」
俺が再び筋トレを始めると、メルナも休み休み続けた。しかしメルナは途中でギブアップし、座って俺のトレーニングを見ている。
「見ているならば、手伝ってくれるか?」
「どうすればいいの?」
「背中に乗ってくれ」
俺が言うとメルナが俺の背中に座り、そのまま腕立て伏せを始める。じきにぽたりぽたりと汗が落ちて来るが、拭う事もせずにトレーニングを続けた。それからしばらく続け、今度は腹筋の強化に入ろうと思いメルナに言う。
「降りてくれ」
だがメルナは降りなかった。そっと体を横にずらして転がすと、どうやら俺の背中で寝ていたようだ。
《彼女は良いウエイトになります》
ならスクワットに変える。
メルナを両手に抱きかかえ、俺はゆっくりと膝の屈伸を繰り返した。メルナが居る事で、その後の筋トレも程よく負荷をかけてすることが出来た。ぐっすり眠っているようなので、彼女をベッドに寝かせて体の柔軟を行う。
《そろそろ休息に入りましょう》
ああ。
そして俺はもう一つのベッドにもぐりこみ、すぐに深い寝息を立てて眠りにつくのだった。
《そろそろ起きた方が良いでしょう》
アイドナに言われ体を起こす。
朝か?
《そろそろ日が昇る時刻です》
よし。
そして俺は再び筋トレを始めた。するとその音に気が付いたメルナがあくびをしながら起きる。
「起きたか?」
「うん」
返事をすると、すぐにメルナが俺の隣りに来て筋トレを真似し始める。小さい体で、なかなか根性があるようだ。しばらく筋トレを続けていると、アイドナが言う。
《外部で足音。おそらく鉄の甲冑がすれる音がしますので、騎士が来るようです》
了解だ。
俺は小部屋の扉を開けて、デラックススイートの入り口を見る。
コンコン! とノックされたので俺がドアを開けた。
「おお! コハクか! いきなり開いたからびっくりしたぞ」
そこにいたのは、騎士のビルスタークだった。後ろの扉が開いてボルトンがやって来る。
「おや。コハク、もう起きていたのか」
「ああ」
そしてボルトンがビルスタークに言った。
「これからお嬢様は朝食となり、それが済み次第すぐに出発するそうです」
「わかりました」
そしてビルスタークが出て行った。ボルトンが俺に言う。
「コハクとメルナには、お嬢様の身の回りのお世話を教える。こっちに来なさい」
「わかった」
「……」
俺とメルナはボルトンの後ろをついて部屋に入る。するとヴェルティカは既にドレスを着ており、身支度を終わらせていた。少し待つと朝食が運ばれてきて、俺とメルナはボルトンに言われるままに支度をする。するとヴェルティカが微笑みながら言った。
「ボルトン。彼らは私と同じ食卓で食事をします」
「は? しかし…」
「かまいません」
「かしこまりました」
俺達は言われるままに、ヴェルティカと同じテーブルに着く。
「眠れましたか?」
「はい」
「……」
「メルナもそんなに怖がらないで、とって食べたりしないから」
「…うん」
俺は疑問に思った事をヴェルティカに聞いてみる。
「なぜ奴隷にこんな待遇を?」
「奴隷? 奴隷だとは思っていないわよ」
「でも奴隷商で買われた」
「ああ。それはいいのよ。私があなた達を買うのは宿命だったのだから」
意味が分からなかった。
どういうことだ?
《わかりません。情報を得てください》
「宿命とは?」
「そうね…。それは家に帰った時に分かるわ」
《情報が不足しております》
んなこた、わかってる。
それ以上尋ねる事も無くなり、俺がスプーンを取ってスープを飲む。するとメルナが俺の真似をして、スプーンを手に取りスープを飲み始めるのだった。
「やはり兄妹ね。仲がいいわ」
本当は違う。俺はメルナがどう思っているのか気になり、表情を窺うと何故かニッコリ笑っていたのだった。