第八十七話 素粒子AI予測演算スクリプトの精度
オーバースに呼ばれ、俺達が部屋に入って行くと、オーバース将軍とフィリウスが席に座ってこちらを見ていた。ビルスタークとアランがそばに立っており、ヴェルティカと俺は対面に座らせられる。
オーバース将軍は言う。
「ヴェルティカ嬢ちゃん。忙しい所すまないね、実は町で騒ぎになっていてな」
ヴェルティカが普通に答える。
「そのようでございます。なんでもパライズバイパーが揚ったとか」
「うむ。ヴェルティカ嬢ちゃんが贔屓にしている冒険者、風来燕が狩って来たらしいな」
「はい。それも伺っております」
「うむ…」
オーバースは何か腑に落ちないような表情だ。それを見てヴェルティカが聞く。
「何かございましたか?」
「いや…ギルドに行って聞いたんだが、風来燕はBランクの冒険者で、パライズバイパーを単隊で狩れるような力量じゃないらしい」
「幸運が重なったと聞いております」
「まあ、そう聞いてはいるがな…ちょっと気になる事があってな」
「はい」
すると、ズイっとオーバースが身を乗り出す。
「そこに、漆黒の鎧を着た騎士が混ざっていたというんだ。しかもその騎士は、この屋敷に入って行ったと報告を受けている。もうビルとアランからは話を聞いているんだがな、単刀直入に聞くが黒騎士の正体はお前で間違いないな。コハク」
すると脳内で素粒子AIのアイドナが言った。
《相手の言葉を踏まえ、無数の組み合わせをシミュレートします。ノントリートメントの心理は非線形要素が多いため、相手の言動や身振り素振りを全て視界に収めてください。相手の心理状態を演算予測し、場の状況を踏まえて浸透度や影響度を定量評価していきます。その後に最適なトークスクリプトを展開しますので、それを脳内に表示します》
わかった。
俺の視界に移るオーバースは、既に電子の線で表示されている。顔の表情や心拍数や体温、汗の分泌や視線に至るまで全て数値化して映し出されていた。
「そうだ」
するとヴェルティカの兄、パルダーシュ現当主候補のフィリウスが言う。
「言葉遣いが無礼であろう!」
だがオーバースがそれを抑えて言う。
「構わんよフィリウス。俺は真実を知りたいだけだ」
「しかし!」
するとヴェルティカがフィリウスに言った。
「申し訳ありませんお兄様。私の教育不足にございます」
「ヴェル…」
「だからいいって! フィリウス。俺はただ話を聞ければいい!」
「わかりました」
そしてオーバースは再び話し出す。
「漆黒の鎧は例の魔導鎧で間違いないな?」
《身体強化鎧を魔導鎧と言い換えました。恐らく王に話す時に分かりやすく言い変えているのでしょう。では素粒子コンピューティング起動、トークスプリプトを展開しますので素直に答えてください》
わかった。
「その通り、あれは魔導鎧だ」
「あれは秘密ではないのか?」
「今、パルダーシュは切迫している。どうしても素材や資金が足りていない。俺はヴェルティカにこの身を捧げているんだ。俺はこの家の為なら何でもすると決めている」
視界に映るオーバースの眉のあたりが赤く光り、腕にグッと力が入って黄色く変化した。
「お前の意志か?」
「そうだが? もちろんヴェルティカが辞めろと言えば止める」
するとオーバースはヴェルティカに聞いた。
「やらせたのか?」
「はい。オーバース様」
「目立ってしまうぞ」
「分からぬようにと指示を出しております」
「ギルドでは実際に怪しまれていたようだ」
それには俺が代わりに答えた。
「大丈夫だ。風来燕は裏切らん」
「そこまで信頼できるのか? 風来燕は」
「俺と鎧の力を見せた。裏切ればどうなるかは分かっているはずだ」
「なるほどな、半分は恐怖か。それで、お前はどうだ? 裏切る事は無いか?」
オーバースの心拍数と体温が変わり、表情筋が強張る。
《あえての凄みです》
アイドナに言われ、俺は動じずに答える。
「あんたの器を信じているから言おう」
「ん? 俺を信じるだと?」
「いや。正確にはビルスタークを信じている。そのビルスタークがあんたを信じるならば、俺はあんたを信じる」
難しい顔をしていたオーバースが不敵に笑う。
「くっくっくっくっ、お前は面白いな。俺の威圧を受け流し、堂々とそんな事を言うか?」
《これは本気の笑です》
「今更、隠しても仕方がない」
「言ってみろ」
《トークは、ほぼ完了です。あとは結末まで確定するでしょう。素粒子AIのガイドを切ります》
いいのか?
《はい》
「俺は奴隷だった」
そう言うとヴェルティカとビルスターク、アランがピクリと動いて言う。
「コハク…それは…」
「いや。俺にはオーバース将軍の器が分かった。この人は何を話しても大丈夫だ」
これは…楔である。オーバース将軍はこれで俺達を裏切らない。
「くぁーーー! はっはっはっはぁ! 面白い! 面白い男だ!」
「その何の価値も無い俺を、引っ張り上げてくれたのが、ここにいるヴェルティカだ。このように俺は言葉遣いも知らないし、礼儀も教わっていない。だがそれでも側に置いて、信頼して俺を使ってくれている。俺はそれに応える義務…いや使命がある」
「おもしれえなあ。ビル! コイツはおもしれえ! 奴隷が使命なんて言うか?」
するとビルスタークが苦笑いしていった。
「恐れ入りますが将軍。コハクはもう奴隷ではありません。我々の仲間です」
「そうだったな。ゴルドス国を追い払った奴隷なんておかしいもんな。てめえ本当の英雄様かもしれねえな」
「俺は、そんな大それた者ではない。だが俺と妹の命を買い上げてくれたお礼は、一生かけて返す事にしている」
「ああ、あの魔法使いのお嬢ちゃんか?」
「そうだ」
するとオーバースは体の力を抜いた。既に光のガイドマーカーも消えている。アイドナが必要ないと考えてフリーにしたのだ。
「わかった。お前が裏切らない理由は充分なものだ。ただし一つ言おう」
「なんだ?」
「パライズバイパーを狩ったのが、お前ひとりでというのなら…」
「言うのなら?」
「お前は、単騎で中隊規模かそれ以上の戦力を持っていると言う事だ」
「そうなのか?」
「まあ戦をした事のないお前は分からんかも知らんが、お前という駒を戦場に一つ置いただけで、戦局がひっくり返るって事だよ。間違いなくそれを知ったら、陛下はなんとしてでもお前を欲しがるぞ」
そして俺がオーバースに言った。
「それが”魔導鎧”の効果だと知ったらどうだ? 俺よりも魔導鎧に目が行くのではないか?」
「だろうな。そこで聞きたいんだが、魔導鎧を使える人間はあと何人いる?」
「候補は作ってある。あとはそいつらに着せて実戦で仕上げていくだけだ」
オーバースはお手上げと言ったように手をひらひらとさせる。
「お前は…軍師か? それとも賢者様の生まれ変わりか?」
「俺は奴隷だ」
「クックックックッ! 面白いな…。ビル俺は本気で面白くなってきたぞ」
「そうですか?」
「これでお膳立てが見えた。コハク、まずは裸でも戦えるように鍛えておけ。いずれは魔導鎧のデモンストレーションを、陛下の前で行う事になるだろう。まあ見世物になるが、それで魔導鎧の価値が爆発的に上がる。魔導鎧の性能も、あげられるだけ上げておくんだ」
オーバースはマージと同じことを言っている。マージがこれを見越して考えたのか、もともと戦略家がこんな考え方をするのかは分からないが、全てお膳立てが出来ていたようにすら思える。
上手くいったらしい。
《予測演算の99パーセントが実施されました。素粒子自然言語処理およびノントリートメント素粒子脳科学、素粒子学習の能力が向上しました》
まさか、ここまで予測出来ていたのか?
《マージと話した段階でほぼ完成してました》
俺は改めて、この世界の賢者と素粒子AIの相性の良さを実感した。全てを計算ずくで進めていく魔導書とAIのおかげで、パルダーシュ復興最短ルートが見えてきたのだった。