第七十一話 極めて低い生存確率
遠くに見えていたゴルドス国の兵団は、だいぶ近くに寄って来ていた。俺達はそれを横目にしながら、せっせとゴルドスへの威嚇をする為の作業をしている。騎士と市民が北の城壁の上に並べた鎧に、俺がマージに言われて書いたスクロールを張り付けていく。ところどころに篝火用の松明が並べられ、スクロールが燃えないように鎧から離して等間隔に置いていった。
さらに、市民達は女子供も全員が鎧を着ており、少しでも数がいるように見せていた。
「急げ!」
アランが号令をかけて、騎士と市民が慌ただしく動いている。
そしてマージがメルルに言う。
「あたしが言う、詠唱を繰り返すんだよ」
「うん」
「風と地の力を借りて、命無きものを動かせ」
「風と地の力を借りて、命無きものを動かせ」
するとスクロールを貼った鎧が動き出す。その場から歩きだすような事はないが、まるで生きているかのように見える。
「次行くよ」
「うん!」
メルナがマージを背負ったまま向こうに行った。そして今度はアランが言う。
「フィラミウス、すまんが松明に火をつけてくれ!」
それを聞いた風来燕のフィラミウスが、松明に火を灯して行く。
「わかりました」
ぽっ! ぽっ! とたいまつに陽が灯り、アランとフィラミウスが歩いて先の松明をつけに行った。とにかく皆が必死で、俺はそれを見て何か不思議な感覚に捉われていた。
共有もされていないのに、皆が同じ方向に向かって動いている。
《生存本能でしょう》
生き延びるためにか。
《一人では生き延びれないが、皆でなら生き延びる可能性が高まると信じているのです》
十三パーセントなんだがな。
《いえ。現在は二十一パーセントになっています》
五分の一か。
《人々が一丸となって動く事で、その可能性が上がったのです》
不思議なものだ。
《前世のヒューマン(アイドナ搭載人間)なら、既にこの都市には誰もいなかったでしょう》
そうだな。この人らも、すぐ逃げれば生き延びられる人数は多少いるだろう。だが誰も逃げずに、全員で生き延びようと必死だ。
《これでノントリートメントの思考をまた一つ理解しました》
作業をしているうちに陽が沈み始める。あたりが薄暗くなり、松明の灯りに照らされた鎧達が動いていた。すると今度はヴェルティカがみんなに言う。
「女性と子供はもう屋敷に戻って! 明日の朝また来て頂戴!」
「「「「「はい!」」」」」
女と子供達が城壁を降りて行く。
「男性の方は交代で見張りに立ちましょう。半分の人はこちらで、ランドボアのシチューを食べてください」
「おお! 助かります!」
「じゃあ交代で」
男らが鍋の所にきて、ヴェルティカが皿に盛りつけていく。スプーンですくいそれを食べ始めた。
そこにビルスタークとボルトとガロロが戻って来る。
ヴェルティカが聞いた。
「どんな状況です?」
ボルトが言う。
「油壷は火にかけてきました。もしここに到達したら、ぶっかけてやると良いでしょう」
「わかりました」
そしてガロロが言う。
「ベントゥラが斥候で出てるでな。敵の様子を確認したら戻って来るでしょう」
「ありがたいです」
最後にビルスタークが言った。
「あとは、今夜が正念場です。来るなら今夜、もしくは明日の早朝を狙うでしょう」
「来るかな…」
「どうでしょう? 派手に篝火を焚いて動き回る鎧を見れば、王兵が到着したと勘違いもするでしょう。あとはこちらの兵力を探るべく、ゴルドスが動いてどうなるか。こちらの現状を知られれば、残念ながらそこまでです。王都からの兵は少なく見積もっても三日はかかるでしょうから、それまで耐えればどうにかなりますが」
「三日…」
それを聞いて、皆が絶望の声を上げている。だがそこでビルスタークが言った。
「最悪は我々領兵が殿を務めます。その間にお嬢様は市民を連れて脱出してください、上手くすれば二日以内に王兵と合流できるやもしれません」
「…わかりました…」
そしてビルスタークが言う。
「コハク! コハクはいるか?」
「俺はここだ」
「おう! 悪いがコハク、俺達の最後の望みを聞いて欲しい」
「なんだ?」
「市民を連れて王兵と遭遇する前に…、お嬢様を連れてどこかへ逃げろ。そしてどこか平和な地を見つけて、ひっそりと生きるんだ。お前ならお嬢様とメルナぐらいは守れるだろう」
それを聞いたヴェルティカが声を上げる。
「そうはいかないわ。あなた方を犠牲にして私だけが生き延びるなど!」
するとビルスタークがヴェルティカに手を伸ばす。ヴェルティカがその手を取った。
「お願いします。お嬢様、我々騎士団の望みだと思ってどうか聞き入れてください」
「だめよ」
それを聞いていた、シチューを食っていた市民達も言う。
「お嬢様! 騎士様の言う事を聞いちゃくれませんか! 私達パルダーシュの市民は、お嬢様にどれほど気にかけていただいたか分からない。どこかでひっそりとでもいいから、生き延びて幸せになってください」
「わしもそうお願いしたい! わしらが口裏を合わせましょう、お嬢様は戦に巻き込まれて死んだと。そうすれば追われる事もありますまいて」
「みんな…」
皆が命をかけてヴェルティカを生き延びさせようとしている。
そんな話をしているところに、風来燕のベントゥラが戻って来た。
「どうも」
ボルトが聞く。
「おお! どうだった」
「数はおよそ一万。だが恐らくは農民に鎧を着せた兵隊がほとんどだ。このあたりはビルスタークの旦那が言っていた通りだろう。だが厄介な事がある」
「厄介な事?」
「敵にどうやら魔導士団が混ざっているぞ」
「なんだと?」
「遠距離攻撃をかけるつもりじゃないか」
それを聞いたビルスタークが言う。
「こちらには弓兵がいない。反撃ができなければ、ここに兵がいない事がバレてしまう」
ボルトもガロロも難しい顔をして黙ってしまった。状況はかなり険しく、王兵が来るまで生き延びられるかが怪しくなってくる。その場が水をうったように静かになり、皆が次の言葉を探しているようだった。もしくは、誰かの言葉を待っているのかもしれない。
そこで俺は、こっそりと脳内でアイドナに尋ねるのだった。