第六話 身だしなみを整えられる俺
しばらくして馬車が停まり、外から声がかけられた。
「お嬢様。到着いたしました」
「はい」
そう言ってヴェルティカが俺達を見る。
「ごめんなさいね。奴隷は貴族と同じ場所には泊まれないようなの、だからここに立ち寄らせてもらったわ」
「いえ」
「……」
俺は特に不服は無い。とりあえず雨風しのげる場所があるなら、それでいい。だがメルナはどうだろう? 元々奴隷としての自分の身分を受け入れていないし、返事をしなかった事から考えても不服だと思う。
「ビルスターク」
「は!」
ヴェルティカの声に、馬車の扉が外から開かれた。だが俺は目の前に立っている男に衝撃を受ける。AIが支配する前世ではこんなものは見たことが無い。目の前で厳しい顔で立っている男の首から下が、銀色の鉄の装甲で包まれていたのだ。
《中世の騎士が戦の時に着用する、フルプレートメイルと言う甲冑です。剣を携えておりますので、八十パーセント以上の確率で本物の騎士だと想定されます》
騎士?
《辺境伯の娘と言う立場ですので、護衛に騎士がついておるのです》
なるほど。平等で犯罪の無い社会では、護衛など不必要だったが、身分の高いものには護衛がつくのか。
《護衛がいると言う事は、危害を加える可能性のある存在もいるという事です》
やはりノントリートメントの社会、危害を加える人間がいるらしい。俺がアイドナからの情報をもらっていると、ヴェルティカが俺達に言った。
「ここは我が領から遠い地ですので、あなた達の事を従者と見せる事が出来ます。だがその身なりでは、どう考えても奴隷なのです。同じ宿に入れるにしても、奴隷では入る事が出来ませんから、ここで最低限の身なりを整えます」
ビルスタークに手を引かれて降りるヴェルティカに続いてボルトンが降りると、メルナに手を差し伸べて来た。だがメルナはそれを無視して、ぴょんっ! と地面に降り立つ。苦笑するボルトンを横目に見ながら、俺も馬車の外に出た。
すると…騎士がいっぱいいた。改めて驚いてしまう。
「ではコハク、そしてメルナ。あなた達はここで生まれ変わるのです」
いや、俺はもう生まれ変わっているけどね。
《ここでヴェルティカの言う生まれ変わるは、奴隷からの脱却と言う事だと思われます》
分かってる。冗談だ。
《ならば脳内で完結させるのがよろしいでしょう。口に出しても、皆笑う事は無いと思われます》
いちいち腹立たしいAIだ。元より前の世界では、こいつらが人間を管理していたため、娯楽などと言う物は無く、人はただ生かされていた。だが俺はバグだったために、古い娯楽の禁書などを入手して読んでいたのだ。そのせいもあって、アイドナとは意見が合わない事がある。だがアイドナは自分を保有する俺の体の安全を最優先させるために、有利になる助言をしてくるようになっている。
だからこそ余計に腹立たしい。
そしてボルトンが俺達を手招きする。俺達の目の前にある建物は、ホテルには見えないが、ボルトンは先に行ってその扉の前に立った。
すると中から慌てたように扉が開かれる。出てきたのは中肉中背の、スーツを着た男だった。
「これはこれは! お待ちしておりました! ささっ! どうぞ!」
「うむ」
ボルトンを先頭にヴェルティカが入り、俺とメルナが続いて、最後にビルスタークと騎士が一人ついて来た。その騎士は何やら巨大なボストンバックのようなものを持っており、それを中肉中背の男に渡す。他の騎士達はどうやら、そのまま前の道路で待つらしい。
ボルトンが言った。
「それをこの二人に合わせて、お直しをしてもらいたい。職人は集めてもらってるかな」
「はい!」
するとその建物の中には、結構な人数が待機していた。そしてヴェルティカが言う。
「コハクはそちら、メルナはそちらに」
すると建物の中にいた人らが、俺とメルナに群がって来た。そのまま手を引いて、建物の中に入って行く。メルナとは別々の部屋に別れ、部屋に通された俺にその人らが言う。
「失礼します! お洋服を脱がさせていただきます」
えっ?
と思った時には、もう下着姿になっていた。鮮やかな手並みに俺は目を白黒させる。
手慣れてる。
《こう言った事を生業にした人間です。仕草や次の行動に無駄がないようです》
今度は女が俺の体に、何かひものようなものをつけており、何かを調べているように見える。
《採寸ですね》
服を用意するという事か?
《そうです》
ここの服は自動で伸縮しないのかな?
《恐らくこの文明では、そのような機能を備えた服は皆無かと思われます》
なかなか不便だ。
俺の体を測り終えると、今度は隣の部屋に連れていかれた。そこには白い大きな器のようなものが置いてあり、よく見ると中に水が蓄えられている。今度は別な女が言った。
「失礼します」
俺はあっという間に下着を脱がされた。そして女達がじっと俺達を見つめている。
《風呂に入るよう要求されております》
あ、臭いしね。なるほど。
俺はそのまま白い湯船に入る。お湯はまあまあの温度で、少しぬるめに設定されているようだ。すると突然、俺に粉のような物がかけられた。
なんだこれ?
《洗剤でしょう》
すると女達の手が伸びて来て、あっという間に泡だらけにされてしまった。しばらくごしごしとやられ、お湯が頭からかけられる。
「失礼します」
すぐに俺は手を持たれて立たせられる。風呂からあがると、乾いたタオルで体中をくるまれた。あっという間に綺麗にされ、部屋の椅子に座るように言われる。俺が座ると、何か布のようなものを体の前面にかけられた。
目の前にハサミを持った人間が立ったので、俺はノントリートメントに殺されるんじゃないかと焦る。
《殺意はございません。恐らくは髪を切るのかと》
そ、そうなの?
《九十九パーセントの確率で》
ジャキン! 俺の後ろ髪が切られた。それからはしゃきしゃきと、俺は髪の毛を切られ続けた。
《この世界に沿った髪型にされるのでしょう。切り終わった後はその髪型をインプットいたします》
そうだな。
そして髪を整えられた俺は、軽く頭を水で流されタオルで拭かれた。前世で味わった事の無い感覚だが、これはこれでめちゃくちゃ気分がいい。
「それではこれを」
《下着です》
みりゃわかる。
俺は預った下着を着た。若干だぶついているが、これはこれでいいのかもしれない。するとドアから人が入って来る。その人は手に服を持っていた。
皆がその服を俺にテキパキと着せてくれ、あっという間に終わった。そして俺の前に立ち鏡かおかれる。
なんだ? どうすればいい?
《頷くと良いでしょう》
俺はうんと頷いた。すると今度は、鏡のついた机に座らせられて髪の毛に何かをつけられた。それはいい香りがして、ぼさぼさだった髪が整っていく。
目の前にガラスのポンプのようなものが出てきた。
毒?
シュッ! するといい香りのする霧が俺を包み込んだ。
《香水のようです》
それは奴隷商で降りかけられた物より、ずっと心地の良い香りだ。すると後ろに立っている女が言った。
「終わりました」
どうやら一連の流れ作業が終わったようだ。
《恐らくは辺境伯の娘を待たせぬよう、最適な工程で行われたのだと思います》
なるほどね。待たせちゃいけない人なんだろうな。
俺は女達に連れられて、元の広いフロアに戻った。すると部屋の端でテーブルに座り、飲み物らしきものを飲んでいたヴェルティカが、立ち上がって俺のもとに来る。
「まあ! 素敵じゃない。見違えましたね」
「どうも…」
するとボルトンが来て言った。
「これをお持ちください」
それは肩にかけるカバンのようで、俺は言われるままにそれを肩にかける。
「これは?」
「従者が使う道具が入っております」
「そうですか」
すると俺に遅れて奥のドアが開かれた。そこから数人の女が出て来て、最後に黒と白のドレスを着た女の子が出て来る。
それをみたヴェルティカが声を上げた。
「あら! まあ! 可愛いメイドさん!」
ボルトンも声を上げる。
「ほう」
《とても整った容姿をしております》
あの子誰?
《メルナです》
俺は衝撃を受けた。とても可愛らしい女性だが、それがさっきまでボロボロだったメルナだという。アイドナが言うのだから間違いないと思うが、肩まで切られた赤い髪の毛は綺麗にとかされ、エメラルドの瞳がきらりと光っている。造形も整っていると思うが、そのエメラルドの目が特にこの子を際立って見せているようだ。
「では参りましょう」
ヴェルティカが言うとボルトンが帽子を脱ぎ、ここの主人に挨拶をした。騎士が最初に出てヴェルティカが先に出る。俺とメルナがその後をついて行くと、ボルトンが最後に出て後ろを振り向いて言う。
「また利用させてもらう事もあるかと。良い仕事をしてくださいましたな」
「ははっ! ありがとうございます」
店の一同が深々と頭を下げて、俺達は再び馬車に乗り込むのだった。