第四十二話 大賢者の奇跡
あちこちに死体の残骸が転がる中を、俺のガイドを頼りに三人が進んでいく。するとようやく、アイドナが何らかの演算を終了させて俺に告げて来た。
《魔獣の体温や臭い、咀嚼音と習性などを算出しました。より魔獣がいる確率が低いルートをガイドします。風向きなどが変わった場合には足を止めてください》
了解だ。
そのまま街の中を進むが先ほどとは打って変わって、格段に魔獣に遭遇する率が低くなった。どうやらアイドナが俺の聴覚と嗅覚を調整したらしく、めちゃくちゃ音を拾うようになった。更にキツイのは嗅覚で、死臭漂う中を進むのにめまいがするほどだ。
《血流調整をします。意識を覚醒》
余計にはっきりと臭いを感知するようになった。ヴェルティカとメルナは気づいていないだろうが、俺だけが更に地獄モードになっている。だがアイドナは俺の嘔吐感までおさえつけており、吐く事すら出来ない状態だ。
《アドレナリンを増加》
俺の血中のアドレナリンが上昇し、興奮状態に陥って来た。
《エンドルフィンを分泌、快楽の記憶へ変えます》
クッソ…。こんなクソみたいな状況なのに、ワクワクするような感覚になって来た。強制的に体を勘違いさせて、俺は更に元気になってしまうのだった。AIとは便利ではあるが、俺の心境はだいぶ複雑だった。
《錐体細胞を強化、ロドプシンを分泌》
より一層暗がりが見えるようになり、死体がはっきりとしてきた。だが俺は体内の分泌物により、それらを見ても興奮しつつ冷静でもいられるという、おかしな状況になってしまう。だがそのおかげで完全に魔獣を見極め、速い速度で歩く事が出来ている。急に足早になった事で、ヴェルティカとメルナの息遣いが荒くなってきた。
《速度を落としてください。二人の息遣いで魔獣に気がつかれます》
わかったよ…。
二人はきっと、俺の体内でおかしなことが起きている事に気が付いていない。だがその過酷な状況もようやく終わりを迎える。
「辺境伯邸だ」
「や、やっと帰って来たわ」
「ヴェルティカ。あれはなんだ?」
高い壁の向こうの、丁度、屋敷の真上あたりに何か浮かんでいる。そこから円錐状に光が降りており、薄っすらと何かの幕が張られているようだ。
「入るわ」
ヴェルティカが言い、俺とメルナがそれについて行く。門は炎に焼かれており、あの時の龍の痕跡が深く残っていた。更に門から内部にかけて、騎士の鎧が転がっている。それは鎧が転がっているのではなく、中身が入った状態で転がっているのだ。
「酷い…」
「見るな。そのまま屋敷に」
ヴェルティカが震えながら進み、メルナも俺に強くしがみついて来る。どうやらこの屋敷内には魔獣が入り込んでおらず、俺達は騎士の死体を踏まないように先に進む。
「何かしら…」
ヴェルティカが屋敷を見て呆然としている。どうやら屋敷の屋根の上にある何かから光が降りているのだが、それが結界を作っているようだった。
俺達が屋敷に近づいて上を見上げると、その光を発している正体を見て愕然とした。
「ばあや!」
そう。屋敷の上空に浮かんでいるのは、体半分が無くなったマージだった。なんとマージは、自分の体が半分になってしまったのに結界を張っていたのだった。
「あれは…どうなってるんだ…」
さらに、突然メルナが持っている魔導書が光り出す。
「あっ!」
メルナが慌ててそれを押さえようとした、その時だった。
シャリーン! と屋敷を覆っている結界が解けて、上空に浮かんでいたマージがこちらにゆっくり降りて来た。
ドサッ!
下半身の無いマージは、めちゃくちゃ血色の無い白い顔をして目をつぶっている。
「ばあや!」
ヴェルティカがしがみつく。すると、なんとマージが目を開いた。
「…ヴェル、戻って来たのかい…」
「ばあや!」
「…メルナ…は…本を、もっているようだね…」
「ここにあるよ!」
「…地面に置いて」
メルナがマージに言われるままに、魔導書を地面に置いた。
そしてマージが言う。
「すまないねえ、ほとんど守れなかったよ…。あたしも終わりさね…」
「やだ! ばあや! 死なないで!」
「残念だね、魔力を全てを使い果たしたよ」
「そんな…」
「今は…あまり時間…がない」
「そんな! いやよ!」
ヴェルティカがマージを更にきつく抱いた。
「死ぬ前に…顔を見れてよか…た」
「ばあや!」
「メルナや、本を押さえておいておくれ」
「う、うん」
メルナは泣きながら本を押さえる。
「いい子だ」
するとマージは何やら唱え始める。するとその半分の体が明るく輝きだし、だんだんと星屑の集合体の様になってきた。
「ばあや! ばあや!」
「強く…生きなさい。コハク…二人を…守っておくれ!」
シャアン! とヴェルティカがしがみついているマージが光の粒子となり、それが流星の様にメルナが押さえている本に飛び込んでいく。まばゆい光と共にその粒子が全て本に吸い込まれた時、マージの姿はもうどこにも無かった。
「そんな…」
「マージ…どこいっちゃったの?」
俺もアイドナに聞く。
どうなっている?
《説明はつきません。ですが濃い粒子となり、そこの本にまとわりつきました》
確かに魔導書が、流れる魔粒子か何かで光り輝いている。
すると突然だった。
「どうやら定着したようだねえ」
「えっ?」
「は?」
「いま、何処から?」
「あたしゃここだよ」
なんとメルナが押さえている魔導書から、マージの声が発せられていたのだった。