第三十九話 魔獣の痕跡
冒険者達は周囲を警戒する為、馬車の周りに散開している。斥候のベントゥラが先行し、馬車の周辺にボルトとフィラミウスが歩き、ずんぐりむっくりのガロロが後方を歩いて全体をその視野に収めていた。
商隊は離れる事無く、こじんまりとした陣形になっている。
すると前方の方から口笛が高々となった。
ピィィィィィ!
「なんだ?」
「なにかしら?」
俺とヴェルティカの声がそろう。直ぐに馬車が止められたので、俺は後ろから降りて前を覗いた。するとボルトとフィラミウスが商人の所にいて、後ろからガロロが歩み寄ってきている。俺はガロロに尋ねた。
「これはどうしたんだ?」
「恐らくは魔獣の痕跡を見つけたんだな。ベントゥラの合図があったから、報告を待っているところだと思うぞ」
ガロロの言っていた通りに、ベントゥラがやってきて何かを話している。俺もガロロと一緒にそこに行った。
「魔獣の足跡を見つけた。それも多数だ」
「なんのだか分かるか?」
「二本足だ。ゴブリンかコボルトかと言ったところだろう」
「こんなところにか?」
「街道に足跡がいっぱいあったぜ」
俺は、よくわからないので聞いてみる事にした。
「ゴブリンやコボルトは危険な魔獣なのか?」
「こんな平地じゃどうってことないが、洞窟の中で囲まれたら厄介だな。そもそもがこんな人里に近いところにいる魔獣じゃない」
「そうか」
そして商人が言った。
「痕跡があったんなら、引き返すべきじゃないかね?」
するとボルトが言う。
「都市まではもう少し、だがそろそろ陽が暮れる。いったんこの付近に野営地を見繕って、俺とベントゥラで都市の様子を見て来る。あまりにも危険だとわかったら引き返すってのはどうだろう? 情況的にはすぐにでも引き返さなければならない事態だがね」
だがその時、後ろから声がかかった。
「ここまでで十分です。ここからは引き返されるがよろしいでしょう。私だけで行く事にします」
ヴェルティカだった。ヴェルティカとメルルが降りて来て今の話を聞いたのだ。それにはボルトが答える。
「しかしだなあ、お嬢様。万が一魔獣だらけだったら危険だ。流石に調べてからの方が良いと思うぜ」
「いいえ、魔獣の痕跡があったと分かった以上、知り合ったばかりのあなた方を連れて行く訳にはいきません」
「とは言ってもだなあ…、せめて冒険者を雇うなりしたほうがいいぜ」
「正直に言いますと、屋敷に戻らねば私達は一文無しです。それでは冒険者に手付金も払う事が出来ません。それで雇える冒険者はいないでしょうし、いたとしても低ランクの冒険者になります。それを連れてパルダーシュに行くならば、このまま私達だけで行っても同じです」
それには誰も反論できなかった。
するとフィラミウスが言う。
「でもあなた方だけで行ったところで、万が一凄い魔獣が居たら終わりですわ」
ガロロも言う。
「そうじゃ。こんな人里近いところに、ゴブリンやコボルトがおったという事は、もしかするとその周りにもっと恐ろしい魔獣が居てもおかしくはない」
確かにそうだ。そして俺達はその恐ろしい魔獣を既にみている。ここで説明を受けなくても分かっている事だった。だがヴェルティカは言う。
「分かっております。そしてその可能性は限りなく高い。ですから私は行くのです。生存者がいる可能性がある限り、私は行かねばならないのです」
「そんな事言っても…」
「これは貴族としての義務なのです。ですから私には、あなた方の命にも責任があります。私はここから先に進みますので、あなた方は戻った方がよろしい。目と鼻の先まで連れて来ていただいた事でも、充分に感謝いたしております」
ボルトが悔しそうな表情で言う。
「俺達は商人様を守らねばならない。それがギルドとして契約を受けた義務だからだ。ここで逃げたり乗り換えたら、次に仕事が貰えなくなってしまう。だからこれ以上は商人様の判断無しでは行けないんだよ。本当なら俺達が護衛してやりてえけど、残念ながらこれ以上は出来ねえ」
真剣な顔で言うボルトに、ヴェルティカが優しく微笑んで言った。
「ありがとうございます優しい冒険者様。ですがこれは私も本心で言うのです。ここからは引き返された方がよろしい。というよりも引き返すようお願いします」
「うーん…」
それを聞いたベントゥラとフィラミウスとガロロが顔を合わせて言う。
「どうですかね商人様。正直な所ここから先はお勧めできねえ」
「行くにしても、もっと冒険者パーティーを集めてからですわ。もしかするとスタンピードが起きたのかもしれませんし、一度戻ってギルドに報告しなければなりません」
「じゃな。わしら四人だけでは守りきらんかもしれん」
そう言われた商人は目をつぶり腕を組んだ。しばらく考え込んで口を開いた。
「すまんが命あってのものだね。悪いがここまでだ」
それを聞いてヴェルティカがニッコリ微笑んで言う。
「よろしいのですよ。義理立てなどないのだから、ですがここまで送っていただいた事感謝いたします。平和になったのを確認したら、パルダーシュ家を訪れるがよいでしょう」
「申し訳ないです」
話は決まった。だが、ヴェルティカが俺とメルナにも言う。
「あなた達もここで逃げなさい。ここからは貴族である私だけが参ります」
だが間髪入容れずメルナが言った。
「だめだよ! あんな化物がでたらヴェル死んじゃう」
「それは貴族のさだめ」
アイドナが言った。
《諦めのイントネーションが含まれています。彼女は滅びたであろう自分の家と運命を共にする覚悟が出来ているようです》
なんだって? わざわざ死にに行くのか?
《そのように判断できます》
なぜ?
《それが貴族のさだめと言っておりましたが、違います。恐らくは、これからたった一人残されて生きていく気力を無くしているのです》
…わかった。
俺はヴェルティカに言った。
「お嬢様。メルナの言うとおりだ。俺達は何処にも行くあてがない、だから最後まで付き合う事にする。だがどうしても命の危険を感じたら、俺達と一緒に逃げてくれ」
「逃げるなど…」
だがそこで商人が言った。
「差し出がましいようですがお嬢様。生きていればこそです。血が絶えねば必ず再興はある、でなければ私はどこに請求しに行ったらよいのです?」
「……」
「もう一つ差し出がましいようですが、私達の持参した物資で旅支度をして差し上げましょう。お嬢様がたは裸一貫で出てきたようなものではないですか、それでは生き延びる事もままならない」
「……」
ヴェルティカが黙っていると、商人が従者達に言う。
「おい。お嬢様方が旅立たれるとおっしゃっておる! 金に糸目はつけんでいいから、旅支度をしてやろうではないか!」
「「「はい!」」」
従者達が荷馬車からいろいろと取り出して並べて行った。背負子の周りにいろんなものを並べて、次々に旅に必要な物を持って来てくれた。
「ポーションまで!」
「いいのです。我々の分は残してあります。食料と水、薬草、ポーション、マントを三枚、そして従者用に胸当て、そしてランタン、寝袋を一つを置いて行きます」
それを見てヴェルティカの瞳から涙がポロポロとこぼれ落ちて来た。
「ありがとうございます。こんなにしていただいてなんと感謝して良いか」
「それは後日。では我々はここから戻り、急いでギルドにこの事を伝えるとしましょう」
「お願いします」
「ご無事で」
すると冒険者達も集まって来て言う。
「無理はするな。そしてあんちゃんが守ってやれよ」
「わかっている」
「メルナちゃんも魔力は制限しなさいね。いざという時、動けなくなったらどうしようもないから」
「うん!」
物資を背負子に入れて、俺は胸当てをつけ三人でマントを羽織る。背負子は俺が背負いヴェルティカが皆に挨拶をした。
「ここまで本当にありがとうございました」
「本当に危ない時は逃げなされ」
「分かっています。ではごきげんよう」
最後に貴族のカーテシーで挨拶をしたヴェルティカが背を向け、俺達もそれについて行く。チラリと後ろを振り向くと、心配そうな商人達と冒険者が俺達を見送っていた。俺はスッと手を上げて皆に挨拶をし、後ろを振り向いて街道を進んでいくのだった。