第二十九話 自由を感じる時
この世界に来てから、ずっと体力づくりをしてきた効果が出た。思いのほか体力がついており、ぶっ続けで歩いても体は動いた。だがヴェルティカはそうはいかなかった。歩き詰めでダウンしてしまい、今は俺の隣りで眠っている。太陽が頭上に上がった頃、メルナが起きて俺に言ってくる。
「コハク。一人で頑張っちゃダメだよ」
「もういいのか?」
「うん。じゃ、交代ね」
「わかった」
そうして俺は横になる。眠れば、アイドナが体の疲労カ所を修復してくれるだろう。深い眠りについている間に、アイドナが現状から算出される最適解を出してくれるはず。
俺が眠りについたかつかないかで、すぐにアイドナから警告が入る。
《森から何かが近づいてきます。移動して下さい》
わかった。
俺が目を覚ますとメルナが言う。
「もう起きちゃったの?」
「何かか近づいている。ここから離れた方が良い」
「えっ? 何も音がしないけど?」
だが俺の視界には、森の中でサーモグラフィーに赤く映る魔獣が見えていた。
「ヴェルティカを起こそう」
「うん」
ヴェルティカを揺さぶると、薄っすらと目を開けてぼんやりと俺を見た。
《発熱しています。意識が朦朧としているようです》
しかたがない。
「メルナ。ヴェルティカを背負う、手伝ってくれ」
「うん」
メルナに手伝ってもらい、ヴェルティカを背負った。そしてメルナに言う。
「マージに貰った魔導書を忘れるな」
「うん」
俺達はその窪みを離れて、山の下方に向かって歩き始めた。森に入って振り向くと俺達がいた辺りで、何かが動く気配が伝わって来る。
《おそらく発する匂いにつられているようです》
匂いか…。
《人間が微量に発する匂いに呼ばれているのでしょう》
俺がメルナに言った。
「俺達の匂いを嗅ぎつけてきているようだ」
「匂い?」
「魔獣は人間の匂いをかぎ分けているらしい」
「わかった。じゃあこっち!」
メルナが言うままに、森を進んでいくとさらさらと流れる水の音が聞こえてきた。
「川を越えれば多少は誤魔化せるよ」
「わかった」
俺達はざぶざぶと水に入り、そして反対側に登った。
「メルナは詳しいな」
「森で生きてたから」
「そうか。凄いな」
「えへへ、小川に沿って下るよ」
「わかった」
メルナが小川に沿って下り始め、俺もそれについて降りていく。しばらく降りて行くと、その小川は細い滝になってがけ下に注がれていた。下を見れば川が流れており、メルナがそれを見て言う。
「あそこまで下りよう」
「よし」
森を迂回して下の川に到着する。そして俺達は再びその川沿いを下って行くのだった。行けども行けども森は続き、俺達は一度川沿いで休むことにする。ヴェルティカを横たえ、メルナが自分の髪の毛を結っていたリボンを解く。それを水に浸してヴェルティカのおでこに乗せた。
「つらそう」
ヴェルティカの息は荒く、うなされているようだった。
《ショック性のものであると思われます。体温が下がっており休息が必要で、夜になる前に暖を取れる場所を探した方が良いでしょう》
「メルナ、火を焚いたほうがいい。ヴェルティカの体温が下がっている」
「えっと、じゃあ木を集めないと」
「わかった」
ヴェルティカから目を離さないようにして、俺達は枯れ木を集めた。
「えっと、火打石があればいいんだけど」
メルナが周りを探すが、それは見つからないようだった。
「メルナは魔法で火を起こしたよな」
「でもあれはマージが書いてくれた魔法陣があったから」
「魔導書に記されているのか?」
「たぶん。でもあまり字が読めない」
どうするか。
《マージの講義により、文字の解読は終了しております。本を広げて該当の場所を探しましょう》
「メルナそれを貸してくれ」
俺がパラパラと本をめくっていくと、アイドナが言った。
《止めてください》
ああ。
《火の魔法陣を視界に投影します。木の棒か何かで地面になぞってください》
幾何学的な模様が網膜に浮かんだので、俺は木の棒でその模様を正確になぞっていく。
《メルナに魔力を注いでもらいましょう》
「メルナ。ここに手を当てて燃えろと言ってくれ」
「うん」
そしてメルナが地面に書かれた魔法陣に手をかざした。
「燃えろ」
ボウッ! と火が起きた。そこに俺が薪をくべる。
「もっと木を」
俺とメルナが次々に木を置くと、火の勢いはだいぶ強くなってきた。
「よし、ヴェルティカを側に」
「うん」
俺が抱き上げヴェルティカを火の近くに寝せる。あまり近づけると火傷の危険性がある為、少し距離を置いて暖がとれる程度にした。ヴェルティカが突然叫ぶ。
「ばあや!」
驚いて俺達がヴェルティカを見た。どうやらうなされているようで、おでこに乗せたリボンが落ちていた。
「ヴェルティカかわいそう」
かわいそう…。メルナも同じような境遇だったのではないか? かわいそうという感覚が分からないが、俺の心の片隅がチクりとしたような気がした。
「良くなるだろうか?」
「わかんない」
「無理をさせてしまった」
「しかたないよ。魔獣が迫ってたし」
気がつけば太陽が沈みかけており、あたりが薄暗くなってきていた。ヴェルティカを心配するメルナの顔を炎が照らし赤く染めている。
「油断は出来ない。このあたりにも魔獣がいる可能性がある」
「そうだね」
するとアイドナが言う。
《危機管理システムを稼働します。音、質量変化、風向き、臭気、情報を感知し危険が迫った時に警告いたします》
わかった。
そばを流れる川のせせらぎと、爆ぜる焚火の音、そして時おり聞こえる動物の鳴き声。AIが支配する前世では感じた事のない感覚だった。
自由であること。それは危険と隣り合わせだった。守ってもらったり人から仕事を貰うという事は制限がつく、だが全て自分で自分を守り、人生を切り開くという事はこう言う事だ。自分の置かれた状況が、非常に危険であると言う事は分かっている。
だが俺は、何故か開放感を感じていたのだった。