第二十八話 厄災からの逃亡
それは一瞬だった。ファイアドラゴンと呼ばれた恐竜のような怪物が吐き出した火炎は、騎士団を舐めるように包み込んだ。通りすぎた火炎の後には、消し炭になった騎士団の亡骸が横たわる。それを見たビルスタークが叫んだ。
「回避! 回避だ!」
そしてマージがすぐに魔法を唱える。
「煉獄結界!」
すると騎士団達の前に光る膜が現れた。
「ビルスターク! 態勢を立て直すのじゃ!」
「は!」
騎士達が動き出すと、ファイアドラゴンの口から再び火炎がまき散らされる。だがそれはマージが張った煉獄結界により騎士達には届かない。騎士団は残った兵力を再編成し、ファイアドラゴンを囲む。
「あたしが魔法で足止めをする! 腹を狙え!」
マージの指示の下で、騎士が飛びかかる準備をしたその時だった。
バリン! マージが張った煉獄結界が突然割れて崩れてしまう。
「いかん! 全員退避!」
騎士達がサッと回避行動をするが、ファイアドラゴンの三度目の炎が一部に降り注いだ。炎が過ぎ去った後には焼けた亡骸が残る。
「どういう事じゃ! 結界が破られる!」
するとその時、門からまた魔獣が現れた。それを見たマージは絶望の表情を浮かべる。
「ケルベロスじゃと!」
それは三首の獅子で、よだれを垂らしながら門をくぐって入ってきた。そんな修羅場にヴェルティカがやってきてマージに聞く。
「ばあや! これはなに!」
マージは苦悶の表情を浮かべて言う。
「まるで地獄の門が開いたようだねえ…」
「そんな…」
「ヴェルや。取り乱さずに聞きな」
ヴェルティカはコクリと頷いた。
「この都市は明日を迎える事が出来ない」
「そんな…」
そしてマージは俺に向かって言う。
「コハクやヴェルを守るのじゃ」
魔獣達が騎士を蹂躙し始めた。ビルスタークとアランがどうにか逃げ延びながら戦っているが、その数をどんどん減らしていく。俺はとにかくヴェルティカの前に立ちはだかる事くらいしかできなかった。
どうすればいい?
《この状況を打破する施策はありません。確率があるのは単独逃亡かと》
アイドナが最悪な情報を伝えて来る。
みんなで逃げればいいのでは?
《逃げ場がありません。近隣にも怪物がうろついております》
俺がアイドナと話をしている時、ファイアドラゴンの口が屋敷の方に向かう。
「くっ!」
目の前の三つ首の獅子の対応に追われ、マージが結界を張る余裕は無い。一気にベランダにいる父親と母親を焼き尽くしてしまった。
「いっいやあああああ!」
ヴェルティカが屋敷に走ろうとした時、マージが言った。
「コハク。いつか厄災を打ち破って恨みを晴らしておくれ」
「なにを」
「この者達を安全な地へと運びたまえ! 転移!」
そう叫んで俺とメルナとヴェルティカが光に包まれた。マージは笑いながらヴェルティカに言う。
「お前が生きていれば、再興はなる!」
バグン!
三首の獅子がマージの胴体から下に噛みつき、マージは腹の下が全て無くなってしまった。俺達が完全に白い光に包まれる直前に聞いた、半身になりながらのマージの言葉。
「エクスプロージョン!」
・・・・・・・・・・
次の瞬間、俺達は静かな森の中にいた。
「えっ?」
「なっ!」
メルナは俺にしがみつき、ヴェルティカは泣きはらした顔であっけに取られている。
「ここは…どこだ?」
森の…中?
《明らかに先ほどまで居た庭先ではありません》
飛ばされた?
《そのようです》
ヴェルティカがへなへなと地面に座り込んで呆然としている。その時だった。
ガササササ!
と森の奥で物音がしたので、俺はそちらに目を向けた。
なにかいる。
《大きな質量を感じます》
「ヴェルティカ。とにかくここを離れるよ」
だがヴェルティカはボーっとして瞳の焦点が合っていない。俺は声を出さずに、ヴェルティカを揺らして意識を戻す。
「魔獣だ。逃げよう」
ヴェルティカがフラフラと立ち上がり、俺が肩を貸した。するとメルナが言う。
「森なら私に任せて」
「わかった」
メルナが先を行き、俺達がそれについて行く。時には止まるように言われ、時には足早に過ぎるようにした。草むらに隠れ再び歩いて先を急ぐ。すると突然崖っぷちに出た。
メルナが言う。
「コハク! あれをみて!」
メルナが指を指す先を見ると、遠くに火柱が上がる都市が見えた。それを見たヴェルティカの瞳に光が戻ってくる。
「パルダーシュ! パルダーシュが燃えているわ!」
どうやら俺達は一瞬で、あの都市からこの山まで飛ばされたらしい。マージが何かの魔法を使って、俺達を逃がしてくれたらしかった。
「しっ! 落ち着いてくれ。魔獣が集まって来る」
ヴェルティカが再びへたり込んでしまった。しばらくそこでヴェルティカが落ち着くのを待っていると、唐突にヴェルティカが言った。
「助けなきゃ! みんなを! お父様とお母様を」
あの状況ではどのくらいの人が生き残っているのか見当がつかない。だが俺達に行く当てもなく、俺はこの世界の事を全く知らない。メルナはまだ子供だし、唯一ヴェルティカが判断をすべきだろう。だが俺達三人であの都市を救う事が出来るだろうか?
おれが頭の中でぐるぐると考えているとアイドナが伝えて来る。
《現状あそこに戻る事は百パーセントお勧めしません。かつ、この距離を徒歩で行くとなると、恐らく数日を要するでしょう》
だが頼る所が無いぞ。
《死ぬ可能性は軽減したい》
確かに…。だがヴェルティカは都市の皆を助けるつもりでいる。
《優先順位は森をぬけて下山する事です。あのような化物に遭遇したら今度こそひとたまりもありません》
そのとおりだ。
「ヴェルティカ。とにかく山を降りよう。ここで魔獣に食われてしまっては、生き延びた意味がない」
「…分かった…」
そうしてようやくヴェルティカが立ち上がって歩きだす。メルナが先を行き、おれはヴェルティカに肩を貸しながら歩いた。それから休まずに歩き続けたが、とうとう朝日が昇り始める。その時ヴェルティカが言った。
「コハク…ごめんなさい。もう歩けない」
ヴェルティカが言う。どうやら限界が来たらしい。
「メルナ。このあたりに休むところがないか探そう」
「うん」
少し歩き崖の下に窪みを見つけ、俺達はそこに身を潜める事にした。雨風は多少しのげるだろうが、ゆっくり休めるかと言ったらそうでもない場所だ。
「俺が魔獣を見張る。ヴェルティカとメルナは休め」
「私は大丈夫。でもヴェルティカはもう無理」
見ればヴェルティカが横たわり目をつぶっている。そこでメルナが言った。
「ちょっと水を持ってくる」
「動かない方が良い」
「森は任せて」
メルナは手に持っていたものを俺に渡して来た。それはマージがメルナに持ってこいと言った、魔導書と呼ばれるものだった。メルナは足早にその場を立ち去り、残された俺は周辺を警戒して見張る。しばらくしてメルナが木葉で作られた袋状のものに、水を浸して持ってきた。
「ヴェルティカ。水を飲んで」
俺が寝ているヴェルティカを起こし、メルナが木葉に溜めた水を飲ませた。コクコクと水を飲んだヴェルティカは少し落ち着いたようだ。
「ありがとうメルナ」
「まだ先は長いし、とにかく休むと良いよ」
「ええ…」
そしてとうとうヴェルティカが眠ってしまった。するとアイドナが警報を鳴らす。
《どちらも起きていてはダメです。交代制で休まないといずれ身動きが取れなくなります》
わかった。
「メルナ。メルナが先に休んでくれ。時間が来たら起こすから交代で見張ろう」
「わかった」
そうしてメルナはヴェルティカに寄り添うように横になる。突然の事にどうしたらいいかわからなくなるが、俺は頭の中でマージの言葉を思い出していた。
ヴェルティカを守れ…そして恨みを晴らせか…。
正直な所、非力な俺が何処までそれを遂行できるか分からない。だがこの地で最後に託された指示を、何故か放棄する気にはなれなかった。本来なら全く合理的ではない判断であるが、なぜか俺はそうしなければならないような気がするのだった。