第二百七十六話 戦場のような領地
敵部隊を足止めするための、湿地帯を作り出す工事は終えた。川から流れだした水が、既に底に溜まり始めている。数日もすればこのあたり一帯は水浸しになるだろう。
「じゃあ、いこう」
フィリウスの提言により、二つの領軍を部隊再編して王都に向かう事を決める。確かに、パルダーシュ兵の青備えと、リンセコート領の青備えを再編すれば、それなりに対応の幅が増えるとアイドナも言う。
行進する市民達を追い越して、シュトローマン領からリンセコートに入る。
「あれは……」
フィリウスが言う先を見ると、数頭の馬が歩いている。
「あの鎧は、王宮の!」
俺達が一目散に駆け寄りると、どうやらかなり様子がおかしかった。
「どうされました!」
気を失った人が馬に乗せられて、運ばれていた。周りにいた騎士が、フィリウスを見て叫ぶ。
「パルダーシュ辺境伯!」
「近衛が、こんなところまでどうしたのです?」
「は。王子を逃がし、ここまで逃げて参りました!」
「直ぐに治癒を!」
そして騎士達が王子を降ろし、ベントゥラが敷いた布の上に寝かせる。するとそこに、大慌てでアーンが飛びついた。
「こんなに怪我をして! 弱いんだから無理はするなって言ったっぺ!」
ゆさゆさと揺らす。
それに対し、騎士が慌てて言う。
「天工鍛冶師様! お、王子は死にそうなのです!」
「はっ!」
慌ててワイアンヌが持っていた回復薬を口に垂らし、マージが早口で言った。
「メルナ。回復魔法! フィラミウス! 水魔法で冷やすのさね!」
メルナが回復魔法を唱え、フィラミウスが王子の体を冷やしていく。するとようやく、ぐったりしていた王子がゆっくりと目を覚ました。
「あ、う」
「プルちゃん!」
アーンが声をかけた。するとぼんやりとしながらも、王子が反応する。
「あ、会えた」
「うちに会いに来てくれたんだっぺな! そうだっぺな!」
「あの、コハク卿は」
「そうかあ! やっぱうちの事が!」
聞いていないようだ。そこで俺が、しゃがみ込み王子の顔を覗き込む。
「ここにいる」
「……無事……だったか……」
「まずは、一度領にいこう」
すると、王子が手を動かし、俺の腕を握った。
「王都が……陥落してしまう……西側から……とんでもない……」
「状況はおおよそ分かっている。今から立て直すつもりだ」
「そ、そうか……やっぱり……君は凄いんだね……」
そしてそこに、フィリウスが声をかけた。
「とにかく急いで連れて行こう。王子を私の馬に!」
そう言うと騎士達が担ぎ上げて、フィリウスの馬に乗せた。フィリウスは、わき目も降らずにそのままリンセコート領に走って行ってしまう。アーンだけじゃなく、ビルスタークとアランが、慌ててそれについて行き、騎士達も馬に乗って走って行った。
それほどまで、王族は大事なのか。
《この世界では、そのようです。王族の滅亡と国の消滅を、同様に考えているのでしょう》
王族が居なくなっても、国は無くならないのにか。
《少なくとも、ノントリートメントはそう考えていないようです》
そうか。
そして、俺達も後を追うように自領に向かった。到着すると、ドワーフによるシュトローマン領の人らの避難場所が作られているところだった。
「問題は、受け入れ体制か」
「そのようだねえ」
その有様を見て、急ピッチで建設しなければいけない状況だと分った。直ぐにドワーフ連中に告げる。
「まだまだ人が来る! これからパルダーシュの人間も避難して来るぞ! 急がねばならん!」
するとアーンの父親が来て言った。
「お館様! 人手が圧倒的に足りてないっぺ!」
「何とかする!」
「わかったっぺ!」
そこで俺はすぐに、ボルト達に告げる。
「防衛に当たっていない騎士を、集めて来てくれ!」
「おう!」
「風来燕は手伝いを」
「「「おう」」」
王都の状況は後で王子に聞くとして、まずは受け入れ態勢を整えなければ。
「ヴェルティカ! ヴェルティカはどこだ!」
するとそこにいた、青備えのドワーフが言う。
「奥方様は、受け入れの現場の方です!」
「案内してくれ!」
そして俺とメルナがそこに連れていかれると、ヴェルティカとシュトローマン伯爵夫妻が、必死に住民たちの世話をしているところだった。
「コハク! 帰ったのね!」
「コハク卿!」
「戻った。これから、パルダーシュや他の男爵領の民も来る」
「そうなのね」
するとシュトローマン伯爵が言う。
「コハク卿。こういう時は、商人が使えます。あとは、ギルドの受付も逃げて来ていますが、彼女らにも手伝ってもらっているところです。使えるものは、何でも使わねばなりませんぞ」
「わかった」
それならば、ここに逃げてきている中にも、商人や商売人もいた。
「ここは任せた。俺はすぐに人員を確保して来る」
「はい!」
「わかりました」
そして俺はすぐに、下町に行ってあの闇ギャンブルをしていた奴らのところに行く。すると入り口の見張りをしていた奴が、俺に慌てて挨拶して来た。
「領主様!」
「お前達の力を借りたい。この村の人間を掌握している奴はいるか?」
「も、元締めが」
「俺を連れていけ」
「はい」
そいつに連れられて行くと、元締めがいた。騎士達からの取り立てから解放されて、今はあの賭博場は締めているらしい。
「村の皆に顔が聞くと聞いた」
「はい。いろいろと斡旋したりしてやした」
「いまから、次々と避難民がやってくる。だから、この村の全員の力を貸してほしい」
「わかりました! 助けていただいた恩を返させていただきます!」
「ドワーフたちが作っている避難所の入り口で、妻とシュトローマン伯爵夫妻が、商人達と共に受け入れの為の対応をしているんだ。出来るだけの人に手伝ってもらいたい」
「直ぐに声がけをします!」
「よし。正式な領民として頼む」
「は、はい!」
元締めと見張りの男が、走り去っていった。その足で、俺は王子が担ぎ込まれた救急所に向かう。そこも人でごった返しており、治療を受けている領民が大勢いた。
そこでメルナが言う。
「人がいっぱい」
「治療も、追いついてないんだ」
「パルダーシュから、魔導士も来るはずさね。それが来たら手伝ってもらおう」
「よし。まずは王子を」
そして奥の病室に入っていくと、フィリウス達が王子を囲んで話をしていた。どうやら王都の状況を聞き出しているようだ。
「王子は?」
だいぶ回復した王子が、俺を見て身を乗り出した。
「コハク卿! 話は聞いた! ここにもパルダーシュにも、奴らが来ているんだとか」
「そうです。いまシュトローマン伯爵領、パルダーシュ領の避難民の受け入れを急いでいるところです」
「すまないな」
「王都の民はどうなりました?」
「分らない。かなりひどい状況ではあった。だが、この事を伝えるために、私が送られた」
「軍はどうなっていますか」
「かなり甚大な被害を受けている。オーバースの率いる部隊が、辛うじて防衛を維持していたが、都市にも大きな損害が出た」
「進入されたのですか?」
「まだ進入はされてないはずだ。奴らは何かおかしな兵器をつかった。それで、都市が燃やされ始めた」
「どんな?」
「騎士達が言うには、空を飛ぶおかしなものが、油を撒いて火を放ったと」
《ドローンでしょう。木造という弱点を突いて、街に火を放ったのです》
そうだろうな。
王子が歯をギリリと噛みしめ、騎士達がこぶしを握って俯く。だが、感傷に浸っている暇はなかった。俺はすぐにフィリウスに、人手不足の旨を伝えるのだった。