第二百四話 アーンと王子と自国の状況
いきなり目の前で起きた出来事に、俺達は状況を把握できないでいた。プルシオスがへたり込み、アーンがしまった! という顔をしている。
そこで、ヴェルティカが慌てた声を出してしゃがみ込む。
「でっ! 殿下!」
ベントゥラが俺に回復薬を渡して来たので、直ぐにプルシオスの口を開けてそれを飲ませる。
「ぷっはぁぁぁ!」
「だ、大丈夫でございますか!」
「あ、僕はなにを」
そしてプルシオスの目の焦点が合って、アーンと目が合う。
「王子。すまないっぺ」
「う、うわ!」
「つい嬉しくてしがみついたっぺ」
「あ、アーン! 久しぶりだねえ」
「来てくれたっぺか」
「あの僕は、リンセコート男爵領の様子見と、魔導鎧の引き取りに来たんだ」
「おお。んだか! なら見てっておくれ」
「あ、ああ」
アーンが、プルシオスの腕を取って立たせた。あっけにとられていたヴェルティカが、冷静になって尋ねる。
「アーン。とても不敬だわ。殿下になんという事を」
するとプルシオスが手を振って言う。
「良いんだよ。奥方、これにはいろいろあるのだ」
「お二人は面識があるのですか?」
するとプルシオスが気まずそうに言う。
「ははは……。まあ王都にいる時にね」
「そうだっぺ! 王子はうちを好きだって言ってくれたっぺ!」
「えっ!」
するとプルシオスが、もっと気まずそうに言う。
「あ、あはは。そ、それは、まあ。あの……」
「なんだっぺ?」
「い、いや……」
「まずは鎧だっぺな!」
そしてアーンはプルシオスの腕にしがみつきながら、ドワーフの鉄工所の方に連れて行った。前に訪れた王宮使者達も、気まずそうな顔でそれについて行く。
どうやら何かを知っているらしい。
とりあえず鉄工所のそばにある、アーンの工房に行くと完成した強化鎧がニ十体並んでいる。流石はドワーフと言ったところだろう、あっという間にニ十体もの強化鎧を作ったらしい。
「おお! これが魔導鎧かい?」
「魔力のある者が着たら、力を発揮するっぺ」
「これは国宝級の物だからねえ、国外に流出する事の無いようにしたい」
「わかってるっぺ」
そしてヴェルティカが、思わずプルシオスに聞いた。
「あのー、殿下にお伺いいたしたいのですが」
「なんだい?」
「本当にアーンを好いておられるのですか?」
強化鎧の事よりなにより、ヴェルティカはそこに興味があるらしい。
「あのー。まあ、なんというか、あれだ。先ほどの事は許容範囲なんだけど、えーっと」
「あ、あの言いづらいのであれば結構でございます。失礼いたしました」
「いやいや。ハッキリ言うと酒を飲まなければ、いいかな?」
するとアーン以外のドワーフが目を逸らした。
なにかあるな。
《アーンがアルコールを摂取したのを見たことがありません》
確かに。
「酒? うちは酒はあまり飲まないっぺよ」
プルシオスが深く頷いて言う。
「ずっと飲まない方が良いよ」
何があったんだ?
《使者がアーンを連れてきた時、酒は気を付けろと言っておりました》
なんかあるんだろうな?
《そのようです》
そしてアーンが言う。
「それで王子は、いつまでいるんだっぺか?」
「今日帰らなくちゃならないんだ。王宮でもいろいろと忙しくてね」
「なんでだっぺ!」
「いろいろとあるんだ」
するとアーンがとても寂しそうな顔をした。
「わかったっぺ」
シュンとしたアーンを、プルシオスがなだめる。
「王族はそう簡単にはいかないんだ。アーン、気持ちは嬉しいけど、どうにもならないんだ」
「わかったっぺ」
プルシオスは、ずっと年上のアーンの頭を撫でる。
「そのうちまた会えるから、もっといっぱい魔導鎧を作っておくれ」
「わかったっぺ!」
そしてプルシオスは俺達に言った。
「あと、石鹸と魔法回復薬も買い上げるよ」
従者がトランクバッグを持って来て開いた。すると中には、金貨がびっしりと詰めてあった。
「それとあの大袈裟な馬車列には、鉄が詰みこんでいあるから、それを荷下ろししたい」
ドワーフの男達が集まり、従者について馬車に向かって行った。
そしてプルシオスはアーンに言う。
「どうしても鉱山の近くには行けない?」
「まだ師匠に学ぶ事が沢山あるっぺ」
「そうか……そうだよね」
プルシオスは悔しそうな顔をする。
「どうされました?」
「本当はね、陛下も僕もコハク殿には鉱山のある領地をと思っていたんだ。だけど貴族達がそれを良しとしなかった。コハク殿に鉱山を持つ領地を下賜出来れば、こんな手間暇をかけなくて済んだのに」
「そう言う事だったのですね?」
「すまないね。鉱山というのは王家の所有であっても、貴族の領地の一部でもあるからね。はいそうですか、と了承する事は無かったよ」
ヴェルティカが言う。
「殿下がお謝りになる事ではございません! 私も辺境伯の娘ですから、そのくらいの事情は重々承知しております。私共はむしろ、この領地が気に入っておりますのでお気になさらず」
「まあ僕らが気にしているというよりも、国益として損失が出るという事なんだけどね」
「それは……なんとも申し上げられませんが」
「まあ、現状はそれで行くしかない。気長に見て行かないといけない事もあるからね」
「殿下。王都やパルダーシュは魔獣の襲撃を直に受けておりますが、他の領地の貴族達はそれを体験していないのです。自分達にそれは起きない、対岸の火事であると思っているのです」
「まあ、民にあのような事を体験してほしくは無いけどね」
「はい」
そしてプルシオスが険しい顔で言う。
「ところで、あの事についてどう思う?」
「恐ろしい事であると」
「数か所であれが起きたとなると、他でもまたあり得るんじゃないだろうか?」
そして俺とヴェルティカは顔を見合わせる。
「王家ではそのように思っていると言う事ですか?」
「そう。結界石を直して警護を強化したものの、また何時あれが起きるか分からないと考えている」
そこで俺はプルシオスに言う。
「殿下。もうしばらくお時間をいただけませんか?」
俺の表情を見てプルシオスが頷く。
「何かあるみたいだね?」
「はい」
どこまで話せるかは分からないが、とにかくエクバドル王家がその事について懸念している事を知った。今まではどう考えているか分からなかったが、懸念材料は伝えた方が良い。
「では、工場の会議室にどうかお越しください。出来ましたら信用のおける者だけに」
「わかった」
そしてプルシオスが言う。
「僕はちょっとリンセコート卿と話がある! 鎧の詰みこみと準備を行っていてくれ」
「「「「は!」」」」
そうして俺とヴェルティカは、プルシオスと近衛兵を連れて工場の会議室に行く。プルシオスは近衛に向かって言った。
「ここで見張れ」
「「は!」」
三人で会議室に入り、プルシオスと対面で座る。
「聞かせてくれ」
「はい。三カ所であのような事が起きたという事は、これからも起きる可能性が高いという事です。それに自分はリバンレイ山で、あの時遭遇した蛮族に遭遇し戦いました。何とか撃破する事が出来ましたが、あれに普通の騎士は太刀打ちできないと思われます」
「そのようなことが!?」
「もうしわけありません。誰を信用していいかも分からず、内々で話し合って留めておったのです」
「それは正しい判断だね。貴族に裏切者がいないとも限らないし、その話が広がれば敵はそれを感知して、知恵を巡らせるかもしれないからね」
《どうやらこの王子もある程度の知力があるようです》
理解はできるか。
《はい》
「その事を国内に知らしめる術がありますか?」
「難しい。下手に不安をあおる事も出来ないし、パルダーシュ辺境領の時のように、他の領は手助けも感知もしない可能性があるんだよ。うちの国は、どうもその辺りが腐っててね」
「難しいですね」
「そうなんだ。王家ではその根回しでいっぱいいっぱい、その対策をするために何年かかる事やら」
《やはり情報は、リンデンブルグよりも無いようです》
国内の対応だけで、身動きが取れなくなっている。これが、ウィルリッヒが言っていた事か。
《そのようです》
そして俺が言った。
「殿下。パルダーシュの件から王都の事件まで、それほど期間は空いてません。次もそれほど長くはないかもしれません」
「そうか……そう思うか」
「はい」
「分かった。父に伝えてみよう」
「早急に」
「……まったく、楽な仕事じゃないな。コハク殿の話を聞いて、魔導鎧をもらい受けるだけだったのに」
そこでヴェルティカが言う。
「いえ。殿下に、来ていただけて良かったと思います。何卒軽視なさらぬようにお願い申し上げます」
「わかった。心しよう」
そうして、プルシオスが立ち上がり言う。
「急いだほうがいいという事だね?」
「そういうことです」
「では」
そこで俺が言う。
「あの捕らえたガラバダという者が、なんらかを知って居るはずです」
「ああ。あれね、拷問しても吐かないんだ。流石に殺しちゃまずいからね、ある程度で止めているんだが、時間がたつと傷が治っているんだよ」
「恐らくは体にも秘密があるかと思われます」
「わかった。調べてみよう」
そうしてプルシオスが部屋を出て、近衛と工場を出て行く。アーンが寂しそうな顔をしているが、プルシオスは頭をポンポンと撫でて馬車に乗り込んで行ってしまう。最後の馬車が出て行くまで、アーンはずっと見送っていたのだった。