第百八十八話 男爵領の大きな資金源
俺が書くような魔法陣は、天工鍛冶師のアーンしか理解が出来ないらしい。アーンには天から与えられた、驚異の理解力と観察眼という力があると言うが、それが無いとそもそも理解が出来ないのだ。
「鎧が出来上がったら、一旦、内側に魔法陣を彫るんだ」
「はい!」
「そして魔法陣が壊れないようにと、敵に渡ってしまった場合に盗まれないように、鉄を流し上書きするようにかぶせていく。その時に書いた魔法陣が溶けないように、魔法で庇いながらかぶせるんだ」
「はい!」
そこで俺がメルナと一緒に、実際に出来上がった鎧に強化魔法陣を刻むところを見せる。
「鑿で削るが、一定の強さと深さで無ければ壊れてしまう」
「当然だっぺ!」
「ドワーフだから分かっているようだな。じゃあやるぞ」
俺が鑿の柄に金槌を振るうと、鎧の内側に線が引かれる。
「やっぱり…下書きはしないんだっぺな」
それはそうだ。既にどう彫ればいいのかは、アイドナのガイドマーカーが記している。むしろ書いた方が難しいとすら言える。アーンにとっては、見えない魔法陣を削っているようにしか見えていない。
「見て覚えろ」
「わかったっぺ!」
そして俺はせっせと強化魔法陣を彫り込んだ。全て終わると、アーンが目をキラキラさせている。
「やはり……神の御業だっぺ。この魔法陣を理解するまで、かなり時間がかかりそうだっぺ」
「形と深さを完全模倣出来るまで、練習するしかないんじゃないか?」
「そうしてみるっぺ」
「まずは先に進めるぞ。ここに鉄を流し込んで魔法陣を閉じる」
「わかったっぺ!」
メルナがマージに教えてもらった魔法で、削った魔法陣を保護するような氷の保護膜を張った。そこに薄っすらと溶けた鉄を流し込んで、魔法陣が壊れないようにカバーをする。メルナがその上から水魔法で水をかけて冷却した。
ジュゥゥゥゥ!
「これで部品の一つは完成だ。後は書く部位ごとに、魔法陣の大きさを変えたりしていく」
「凄いっぺ。魔法使いの力がいるっぺな」
「そう言う事だ」
「いずれにせよ。魔法陣が理解できないっぺ、それを理解しないと彫れないっぺよ」
「とにかく魔法陣の形だけは練習して覚えるようにしよう。一枚だけ鉄板に書き記してある」
俺は二十センチくらいの鉄板に魔法陣を書いて、カバーをつけてペンダントにした物を渡した。
「これは門外不出だ。アーンの家宝にでもしてくれ」
「あ、ありがたき幸せだっぺ! 師匠! 一生の宝物だっぺ」
「くれぐれも漏えいする事の無いように」
「それなら心配ないっぺ! 封印の魔法が使えるっぺ」
「なんだそれは?」
するとアーンがペンダントに、さらさらとペンで魔法陣を書いた。それが一瞬光って見えなくなる。
「これでいいっぺ。あけてみるっぺ!」
俺がそのペンダントを受け取り、開けてみようとすると開かなかった。
「どういうものだ?」
「うちが命じないと開かないっぺよ。無理に開けたら中の魔法陣は壊れるっぺ」
そこで俺とメルナが目を合わせる。これを使えば、さらに強化鎧の魔法陣は守られる。
「アーン。出来上がった強化鎧の魔法陣にそれを施せ。そうすれば絶対に漏えいする事は無くなる」
「分かったっぺ!」
「あとはどこかに籠って練習すればいい」
「それは夜にするっぺよ。ドワーフの皆に、これからやるべき事を教えねばなんねえっぺ」
「まあそれは好きにしろ」
「ありがとうございますだっぺ!」
今度は、俺がアーンに頼み込んでいた物を受け渡してもらう。
「蒸留装置は出来てるか?」
「師匠の絵の通りに作ったっぺ! 工場の前の荷馬車に乗せてあるっぺ!」
「わかった。なら後は任せたぞ」
「任されたっぺ!」
そして俺達は鉄工所を出る。ドワーフの里では既にいろいろな物が作られていて、石鹸とリンセの衣装以外にも、魔法薬を入れる小瓶や石鹸や、リンセの服を包装する贈答木箱などがある。
鉄工所の前には試作鎧や武器などが並べられており、冷えたら倉庫へ運んでいくらしい。
ヴェルティカがニコニコだった。
「商品の値段をあげなくちゃ。プレゼント用の木箱なんて、それ自体が商品になるくらい凄いのよ。そしてこの魔法薬の瓶を見て! こんなの王家の香水が入れられるようなものだわ。岩で作った瓶はお値段据え置きでも、こんな美しい瓶に入った魔法薬なんて高価で売れるわよ」
それを聞いてマージが言う。
「いいねえ。ならそのうちに、おしゃれな酒瓶を作ってもらおうかね」
「いいわねえ!」
「ヴェルティカ。ここは一旦使用人に任せて、俺達はこれを酒蔵に持って行くぞ」
俺が指さす先に、二台の荷馬車に乗った巨大な蒸留装置があった。馬に繋がれているものの、アーンが言うには重くて運べないかもしれないと言っていた。だから俺はこの荷馬車の後ろを押して、馬が引っ張りやすいようにする必要がある。動きだしてしまえば、なんとか引いて行けるようだ。
「わかったわ」
「うん」
ドワーフ達が作ってくれた巨大な蒸留装置は二基あり、荷馬車には馬が二頭づつ繋いであった。最初の一台の荷馬車に、ヴェルティカが乗って手綱をひく。
「押すぞ!」
「いいわ」
俺が身体強化で押してやると、ゆっくりと荷馬車が動き出して馬が引き始める。二台目はメルナが手綱をひいており、俺はその後ろから力を込めて押した。
「押すぞ! 止めるなよ」
「うん!」
そして動き出した荷馬車は、ゆっくりと前進し始めた。それから俺は、歩いてそれをフォローしていく。ちょっとした石や段差があると、馬が止まってしまうのでその都度押してやった。
ようやく酒蔵に辿り着くと、強化鎧を着たボルトとガロロが待っていた。
「準備はしてある!」
「よし、ボルト! ガロロ! 重量があるから魔石のレバーを入れろ」
「「おう」」
二人が魔石のバックパックのレバーを入れ、三人で巨大な蒸留装置を酒蔵に運び込んでいく。二基の蒸留装置を設置するとマージが聞いて来る。
「どうなったね?」
「さすがはアーン、丁度いい大きさだった。後は火を入れて、実装してみるだけだ」
「よーし。それじゃ発酵液を注ぎ込んでおくれ」
大麦は領内にいくらでもあった。酵母は、ギルドからの物資の中にあり、オリハルコンのカルデラ湖の湧き水を使って発酵液を作ったのだ。はしごを使って俺が運び、蒸留器の中に流し込んでいく。
ボルトが言う。
「受ける樽はこのあたりかい?」
「そうだ。そこが注ぎ口になる」
「よっしゃ」
そしてフィラミウスが言う。
「じゃあ火をつけるわ」
いよいよ蒸留が始まった。しばらくすると、口からぽたぽたと樽に原酒が注ぎ込まれて行く。
ガロロが喜んでいる。
「きたのじゃ! おお! 酒じゃ酒じゃ! 酒の匂いがする」
実はガロロもドワーフの血を引いているので、酒には目が無いのである。樽がいっぱいになったところで蓋をして封をした。本来ならば数年寝かせる作業が必要なのだが、マージが知ってる魔法で熟成する事が出来るらしい。
とにかくドワーフに飲ませるための物ではあるが、どんな味になるのか分からない。
「酒に祝福を、最も速く成熟せよ」
メルナが樽に魔法をかけた。そしてマージが言う。
「これで一年分さね。メルナや、もう一度」
「酒に祝福を、最も速く成熟せよ」
「これで二年」
なるほど。そして同じことを繰り返す事十回、およそ十年間熟成したことになる。そして樽の蓋を開けて、柄杓で盃に掬い取りヴェルティカと風来燕達に渡す。正直な所、俺は酒の味が全く分からない。
「どうだ?」
強化鎧の頭だけを外したボルトが答える。
「酒の匂いは良いな」
ガロロも言った。
「そのようじゃ。とてもいい」
「とにかく飲んでくれ」
皆がコクリと一口飲む。皆がシーンとした。
「どうした?」
「な、なんだこりゃ」
「マズいのか?」
「いや……」
「うまい!」
「おいしいわ!」
「どうなってんだ?」
「詳しく教えてくれ」
するとヴェルティカが言う。
「これは多分山頂のカルデラ湖の影響かしら? 花のような果物の香りがして、ほんのりとした甘みがあるわ。ただちょっと強いかしらね。こんなのを、たくさん飲んだら立っていられないわ」
そしてガロロが大喜びして言う。
「コイツは凄いのじゃ! こんな酒は飲んだことは無い!」
「そうね。場末の酒場じゃあ、こんな高級なお酒に巡り合えないわね」
「そうか。ガロロが喜ぶんじゃ、ドワーフも喜ぶだろうな」
「折り紙付きじゃ!」
「わかった」
それを聞いていたマージが言う。
「どうやら使い方が大事なようだねえ。普通の水を使って熟成を短くしたものも作ろうじゃないか。安酒と高級酒の両方を作った方が良いさね」
ヴェルティカの目が光る。
「ええ。これは、貴族にも買っていただきましょう。ドワーフにも褒美の時に、カルデラ湖の水を使った酒を出して、いつもは普通の水で作ったお酒にするといいわ。その分手間暇がかかってないんだから、安く仕上げる事も出来るし。風来燕も、この事はここだけの話にして頂戴」
「「「「はい」」」」
なるほど。ノントリートメントにはノントリートメントのやり方があるんだろう。常に質の高いものを出す必要は無いという事だな。
《どうやらパルダーシュ辺境伯は、そうやって生き延びてきたのでしょう》
貴族の知恵か。
《そのようです》
ヴェルティカがキラキラした目をして、蒸留装置を見ながら言う。
「いよいよ。リンセコート領の大きな資金源が見えたわね」
風来燕達はその言葉を聞いて、ゆっくりと頷くのだった。