第十七話 辺境伯の騎士に片鱗を見せつける
「はじめ!」
ビルスタークの掛け声と共に、木剣をかまえた俺と騎士が睨みあう。
《力を抜き、すぐに動けるようにしてください。腕と背中に力が入りすぎており、いざとなると強張ります》
言われたとおりに力を抜いてみる。すると一気に緊張感が抜けて、からだが軽くなった気がした。
《相手の動きを解析しますので、体の支配権を譲ってください》
わかった。
その瞬間、俺の体の動きはアイドナに委譲された。
素粒子ナノマシンAI増殖DNA、ネットに繋がっていた頃は全ての情報に繋がっており、万能とも思えるような知識でいられた。だがこの世界にネットワークは無く、一から情報を積み上げていかねばならない。俺がやっていては時間がかかってしまう為に、アイドナが代行して相手の動きを見るのだ。
《瞬間演算を使います。誘導したように自然に体を動かしてください》
ああ。
次の瞬間、目の前の騎士が上段から剣を振り下ろして来たので、俺はアイドナの指示する動きのサポートに従う。俺の体は一瞬右にずれてその剣をギリギリでかわした。すると次に騎士がそのまま後方にすり抜けて、再び俺に対峙するように立った。
騎士が言う。
「まずは小手調べだ」
俺は黙って剣をかまえる。今度は騎士が剣を真っすぐに顔に突き出して来た。このままだと顔面に突きが入る。だがアイドナは頭だけを傾けてそれを避けた。そのまま騎士にぶつかるように前に出る。
ドンッ! と体をぶつけながら、剣を右手一本に持ち替えて、すれ違いざまに左手で騎士の背中を強く押した。
「おっ、とっとっとっ!」
一瞬よろけながらも、騎士の体幹は優れていて転ぶ事は無かった。俺が剣を構えると、再び対峙した騎士も剣をかまえる。
「少しはやるみたいだ。本気でやるが、怪我をしたらすまない」
そう言って突然、騎士の雰囲気が変わった。
《恐らくはスピードを上げてくるでしょう。体が慣れない分、いち二発は貰うかもしれません》
仕方ないさ。大怪我だけは避けたいけどな。
シュッ! と息吹をふいて、騎士が横なぎに木剣を振ってきた。確かに先ほどとはスピードが違い、このままだと体にあたるだろう。そう思った時、アイドナが自分の木剣を縦にかまえ、その剣に直接あてて直に殴られるのを防ぐ。
カン!
ビリビリ! と腕が痺れるが、なんとか直撃を免れて俺の体はそのまま横に飛んだ。だがそれを追撃してくるように、騎士がついて来る。そのまま剣を突き入れて来るので、くるりと体を回して間一髪で逃げ切った。すると騎士はそのまま体をぶつけて来て、衝撃で俺は転び、アイドナはそのまま俺を後転させた。だがそれを追うように、カンカンと突きが繰り出されてくる。
俺は後転しながらも、足で騎士を蹴り上げた。騎士はそれを避けるように立ち止まり、ドンと胸のあたりを蹴り飛ばす。しかし浅く騎士の体勢を崩したに過ぎない、体勢を崩しながらも騎士は俺の足を木剣で叩いてきた。
ゴン!
痛て!
しかし、その事で騎士に一瞬、隙が出来て俺は体を起こす事が出来た。
「やるじゃないか」
俺は黙ってそう言う騎士を見る。気がつけば俺の服がところどころ破けていた。その時だった。
《演算終了》
とアイドナが継げる。剣技など今日が初めてなので、少し手こずったようだがようやく終わったようだ。
遅い。
《倒します》
次に騎士が俺に斬りかかって来た瞬間だった。その剣撃を寸前のところでかわして、木剣を持つ騎士の手を、下から木剣で叩きつけた。その事で騎士の握りこぶしに剣が当たり、騎士はたまらずに剣を落とす。次の瞬間、俺の木剣は騎士の喉元に突きつけられていた。
「ま、まいった」
相手はそのまま手を上げて言い、俺はじっとその体勢を崩さない。
「そこまで!」
ビルスタークの言葉に俺は剣を下ろし、相手に礼をした。するとビルスタークが俺の所に来て言う。
「おいおい! 初めてだと言ってたじゃないか! とんだ食わせもんだぜ」
「いや。本当に初めてだ。相手が素直で綺麗な動きをするので、とても参考になった」
「まてまて! もしかしたらコイツの動きを真似て、剣を振ったというのか?」
「そうだ。おかげで足と腕に打撲の傷が残った」
そう言って俺はズボンを上げた。そこが真っ青になっており、それを見たビルスタークが乾いた笑いをする。
「こんな足で、最後のあんな動きをしたのか?」
「ギリギリだった」
するとビルスタークは顎に手を当ててぽつりと言った。
「…何か分かった気がするぞ」
「なにをだ?」
「お嬢様がなぜわざわざ、お前を連れてくるために王都に出向いたかって事だよ」
「?」
「とにかく、傷を冷やさないとしばらく歩けなくなる。初心者のコハクに怪我をさせたんだし、俺は恐らく後で賢者様に叱られるだろう」
「いや。問題ない、骨折もしていないし欠損も無いからな」
「無理はするな」
そしてビルスタークは先ほど戦った騎士に言って、俺に肩を貸すようにしてくれた。俺は騎士に肩を借りながら、元来た道を戻りマージの家に向かう。すると戦った騎士が俺に話しかけてきた。
「コハクと言うのか?」
「ああ」
「凄いなお前は」
「そんなでもないさ」
「言っておくがな。俺は副長だぞ」
「えっ?」
「隊長が何故、素人の相手に俺なんかを指名したのか分かったよ。きっと他の隊員なら、怪我をしていたかもしれん」
「そんな事はしない。あんたは怪我をしたか?」
「不思議と指は折れていないな…って、まさかお前…手加減したのか?」
「怪我をさせては申し訳ない」
「ははは…。恐れ入ったよ、とんだ逸材なのかもしれんな」
騎士が賢者邸の前に着くと俺から離れた。メルナが俺の側に来たので、俺はメルナの肩に掴まりながら騎士に言う。
「あんたは怪我をしていない。俺の方が怪我をしたんだ、これが真剣なら俺が負けだろ?」
「さあてね。そんな予想なんかあてにならんさ。だが間違いなく真剣なら、どっちかが致命傷を負っていただろうな」
「今日は勉強になった。ありがとう」
「こちらこそだ」
そして副長とやらは行ってしまった。俺がメルナに肩を借りつつ、マージの所に戻るとマージは赤い液体が入った瓶を持ってきた。随分用意周到だ。
「やっぱり怪我をしたのかい?」
「分かってたのか?」
「試しにやったんだけどねえ。それで負けたのかい?」
「いや。仕合には勝った」
「ん? 勝った? 誰とやったんだい?」
「副長だそうだ」
「あーっはっはっはっ! 何だって? アランに勝った?」
「そのようだ」
「おもしろいねえ。腕とズボンを捲り上げな」
俺が袖とズボンをまくると、マージは俺にピンクの液体をかける。すると見る見るうちに青あざが消え、あっという間に元通りになった。
「あれ?」
「なんだい? ポーションを知らないのかい?」
「いや。途中の村で買ったポーションを怪我人にかけてたけど、こんなに早く治らなかった」
「ああ。それはきっと安物だねぇ、これは私が作ったものだよ」
こんな高性能治癒ナノマシンを作っただと?
《これは治癒ナノマシンではありません。その機序は不明です》
俺は驚いて目の前のマージを見る。
「いずれにせよ。少し休みな、そろそろヴェルティカも来る頃さね」
「わかった」
俺は椅子に座り、自分の打撲痕を探すがどこにも無い。やはり先ほどの液体で完全に治ってしまったようだ。しばらく待っていると、ヴェルティカが訪ねて来るのだった。