第百七十三話 天工鍛冶師がやってきた
この男爵領で、初めて工場が建設された。そこでは特性の石鹸とリンセコートの製造がおこなわれ、魔法薬は原液を持ち出されるといけないので、秘密研究所のみでの製造となる。
工場にはヴェルティカがメイド三人を連れて行き、従業員の管理をどうするのかを教えている。リンセ毛皮の裁断は型紙を用意し、縫製はガロロが教え、特性石鹸はメルナが作成方法を教える事となる。原料が男爵邸から持ち込まれて、次々に製造工程に流れて行った。
いまのところ集まった人員は十名で、領内に出した御触れを見て来た人達だった。やりたいという人はもっといたようだが、今の仕事をやめるわけにはいかないと言っていたらしい。
《高額給金の提示をしたとしても、ノントリートメントには精神共有がかかっていない為、将来的な生活の安定が見えない。来たのは元より家の手伝いをしていた娘達で、お試しで来てみたのでしょう》
俺達の信用か?
《はい。信用されていません》
当面はヴェルティカ達が出入りをして、運営ができるようになるまで管理をするんだな?
《そうなります。都会のメイド達ですので、ある程度は切り盛り出来ると思われます》
工場は彼女らに任せ、俺とボルト、ベントゥラとフィラミウスは素材の回収に専念する事になった。今日も四人で山にリンセを狩りに来ている。
「今日は大量だ。コハクがパーティーに入ると格段に収穫量が上がるな」
「どうしても今日中に必要量を確保しなければならん。明日は、軽石の回収とカルデラ湖の水をくみに行かねばならないからな」
「しかし凄いよな。いきなり大国との取引なんてよ」
「これはオーバースのおかげだ。オーバースが王覧試合の席を俺にあけてくれた事で、こうも大きく状況が変わった」
「あの将軍……怖えけど、めっちゃいい人だよな」
「ビルスタークと旧知の仲であり、フィリウスとの関係性があってこそだ。あと俺達にとっては、風来燕の存在は大きい。お前達が居なければ、俺はこうはなっていない」
「そう言われるのは嬉しいけどな、俺達と知り合わなくてもコハクはこうなってたと思うぜ」
ボルトが言うとフィラミウスも頷く。
「本当にそうだわ。コハクは普通とは違うもの。奴隷が辺境伯令嬢と結婚するなんて聞いた事ないわ」
ベントゥラも腕組みしながら言った。
「フィラミウスの言うとおりだ。まるでこうなるべくしてなった、みたいな感じだな」
「そうよね」
なるべくしてなった…か。
《身辺に起きた状況を最大活用し、演算によって有利な選択をした結果です》
未来予測演算か。
《はい》
俺には、これらがアイドナがコントロールして引き寄せているようには思えない。だがアイドナは、すべて未来予測演算が引き寄せた結果だと言った。
俺達はリンセをそりに乗せて持ち帰り、秘密研究所の隣りに隣接してある倉庫に吊るした。倉庫に鍵をかけて、森を通過し屋敷に戻る。屋敷を囲う壁をぐるりと回っていくと、門付近に馬車と見慣れない人がいた。
そいつは子供で多分女の子だった。不安そうに門の中を探っている。
「何か用か?」
「あ、いや。もう先に入ってるっぴゃ。ついてきただけだっぺ」
変な訛りがある。
「中に誰かいるのか?」
「あー、王様のとこの人がいるだっぺ」
「入ったらどうだ?」
「連れて来られただけだっぴゃ」
すると玄関口から、身なりのいい奴が二人出て来た。その二人は見たことがあり、この男爵領に連れて来た王家の使用人だった。
「ああこれはコハク卿。奥方も不在という事で困っておりました」
「どうも。なに用です?」
「王命により連れて来たのですよ!」
「この子をかい?」
「こちらは、天工鍛冶師のアーン様です」
「天工鍛冶師を連れて来たのか?」
「王城に来ていただいたのですが、魔導鎧を作った人に会わないと何もしないというものですから」
「なら話をしよう」
すると王宮の使者は顔を見合わせてから、俺に言った。
「と、とにかくこちらに滞在をと、王が」
「滞在?」
「こちら書簡になります。それではよろしくお願いします」
「ちょっと」
「あ、お酒にはお気を付けください」
そう言って、使者は馬車に乗って行ってしまった。
ボルトが俺に言う。
「おいおい。勝手に置いてったぞ」
「そのようだ」
「そのようだって、お嬢様にも言ってねえのに」
「仕方がない」
「おまっ、なんで冷静なんだよ」
「どうしようもないからだ」
アーンは不安そうな顔で、俺達を見ている。そこで俺が声をかけた。
「俺が魔導鎧を作った」
「あんたが作ったんだっぺか!」
「そうだ」
「本当け?」
「本当だ」
「あの魔法陣を書いたのはあんただっぺか!」
「そうだ」
「想像とちがうっぺ! 随分若いんだっぺな!」
子供に言われるとは思わなかった。
すると次第にアーンの目がキラキラして来る。
「凄いんだっぺな! あの魔法陣は凄い!」
あたりが夕日に包まれてきて、道の向こうから帰って来るヴェルティカ達が見えて来た。
「ただいま……。あの、その子は?」
「天候鍛冶師のアーンだ」
「てっ! 天工鍛冶師! 一人でいらっしゃったの?」
「王宮の使者が連れて来た。だが滞在させてくれと言って、ここに置いて行った」
「置いて行った…て」
「とにかく泊めなくてはならない」
「まあ、それはそうね。ようこそ! このような片田舎迄いらっしゃいました! 狭い所ではございますが、ぜひ当家にお泊り頂ければと思います」
アーンがコクリと頷いた。俺達は天候鍛冶師のアーンを招き入れ、夕飯を食う事にする。アーンは強化鎧に興味津々のようで、来てから飯が終わるまでずっと魔法陣の話をしていた。俺に魔法陣の理論などは無く、アイドナが解析してガイドマーカーをなぞっているだけで、ほとんど答えられる事は無い。
「やっぱりそうだっぺな! 秘伝を簡単には教えてはもらえないっぺ」
「さっきから言っているんだが、秘伝というわけでは無いんだ。ただ書けるというだけなんだ。だから教えられることがなくて、ただ俺が書いたのを真似てもらうしかないんだ」
だが深く頷いてアーンが言う。
「そうだっぺそうだっぺ! 天啓でも降りなければあんなのは書けねえっぺ。何十年も師匠に従事してその片鱗でも見えればいいっぺ! 背中を見て覚えるというのは、鍛冶師の宿命だっぺな」
それにヴェルティカが反応した。
「な…何十年も従事すると言いましたか?」
「ん? 王様からは、あの魔法陣が書けるようになるまでと言われてるっぺ」
「そうですか……」
ヴェルティカは唖然とした。だが王からの命と言われれば言い返せる事はない。
そしてアーンが聞いて来る。
「その子供は二人の子け?」
メルナを見て言っている。
「俺の妹でメルナという」
「そうか。子供がいるのかと思ったっぺ。メルナちゃん。アーンおねえちゃんに何でもいうっぺ」
おねえちゃん?
「あの、それほど歳が違うと思えないが」
「ん? 何を言うておるっぺ? うちはもう四十八歳だけんど」
「「「えっ……」」」
「ああ、知らねえべ。ドワーフは長生きだっぺよ」
何処からどう見ても子供だと思っていたが、目の前の天工魔導士は四十八歳らしい。という事はこの中で一番年上、いや一番年上のメイド長より上だ。
意外な事実に俺達はあっけにとられる。
「とにかく、明日、魔法陣を書くところを見せよう」
「わかったっぺ! 楽しみだっぺなー」
そうして俺達は食事を終える。アーンには空き部屋を与えて、毛布やたらいとお湯を運び込んだ。そうして可愛らしい四十八歳は、男爵邸に住み着いたのであった。