第百七十二話 最重要課題の工場建築
俺達が考えていたよりずっと早く、リンデンブルグ帝国からの通達が届いた。
「石鹸、魔法薬、リンセコートの依頼数量か」
それを見て既にヴェルティカが、どれだけの売り上げが立つかを計算し驚いている。
「凄いわ。しかも契約に同意するなら、前金で半分お支払いすると書いてある」
それを聞いてマージが言う。
「あっという間に、隣のシュトローマン伯爵領の税収を超えるねえ」
ヴェルティカが嬉しそうだ。
「ふふっ。ふふふっ。うふふふふ」
そこで俺が言う。
「だが、こんなに大量に作るには、それなりの施設がいるんじゃないのか?」
「そうね。このあたりは調整が必要ね」
マージが言った。
「まずリンセコートの数量を調整しつつ、あとは金額交渉さね。相手は大量輸入で値下げ交渉をして来ている。だけどもう少し、金額を吊り上げられる事を想定しているはずさね。落としどころを見据えて、金額を決めたら合意だろうねえ」
《人員の確保が必要です》
「人が足りない」
「いいや。いるよ」
「どこにだ?」
「領民がいるじゃないか。農家に漁師に木こり、それのほとんどを雇い入れればいいんだよ」
「なるほど」
「じゃあ、旦那様。値決めをしてリンデンブルグに打診をしたら、私達は領民を集めて雇い入れる話をしなくちゃだわ」
「わかった」
俺達は話し合い値段を決め、ヴェルティカが書簡をしたためて配達人に渡すように言う。
「手早いな」
「相手が早く動いてくれてるのに、こっちがのんびりしていたら失礼でしょ」
「そういうものか」
「そういうものよ」
そしてすぐに領民に対しての御触れを作り始めた。この行動力は、俺とメルナを買った時にも発揮されていたらしい。そうと決まったらすぐに動くのが、ヴェルティカの凄い所だ。さらに使用人を集めて、出来上がった御触れを手書きで写させ始める。
そして出来上がった書類を束ね、意気揚々と言った。
「じゃ、私と旦那様と、風来燕のみんなで領内の村々に配っていくわよ!」
「分かりやした!」
「馬と馬車の準備をお願い!」
俺達は三台の馬車を用意し、俺とヴェルティカとメルナが一台、ボルトとベントゥラが一台、ガロロとフィラミウスが一台に乗って出発した。途中で三方向に分かれ、それぞれが村に向かっていく。
「楽しみだわ!」
馬車の中でヴェルティカが言うと、マージも楽しそうに答える。
「とにかく工場をつくらないとねえ」
「ええ。前金が来たらすぐ着工しましょう」
「そうだねえ」
俺達はまず、近くの村の村長の所に行く。作った御触れを提示し、希望者は男爵家に来るようにと言う。俺達は領内を周って、人を募っていったのだった。それは数日にわたり、領内全てに行き渡る。
それから数日後、直ぐにリンデンブルグ帝国からの返事が来て『全てこちらの要求通りにする』という答えが届く。しかも直々に使者がやってきて、前金を持って来たのだった。使者達は滞在する事も無く、さっさと返答の書簡を持って帰っていった。
「よっぽど、旦那様とのパイプが大事なのね」
「そう言う事さね。きっとリンデンブルグの賢者あたりが騒いでいるんだろうよ」
「えっ! 知ってるの?」
「ああ。もちろんさね」
「なんていう人なの?」
「ヴァイゼルってジジイだよ。生きてりゃあたしより年上さね」
「そうなんだ。ヴァイゼルという人が、王子に何かを教えている可能性があるということね?」
「じゃないかと思うのさね。それで前回もたせた石鹸、魔法薬、リンセコートに反応した」
「それでこんなに焦ってるんだ」
「コハクの存在が、王覧武闘会で知れ渡ってしまったからねえ。嗅ぎつけたようだね」
「そうか。そう言う事か」
そして俺が二人に言う。
「いずれにせよ、やる事は決まっている。石鹸、魔法薬、リンセコートを作る工場建設だ」
「そうね」
「木こりから木を大量に買う所からだな」
「ええ。私は陛下にお知らせしておくわ」
「それは必要か?」
「ええ。周辺の貴族から横やりを入れられたくないもの」
「流石だな」
「もちろん、お兄様の伝手でね。男爵からの直接の連絡は不遜だけど、辺境伯からの直々の書簡なら問題ないもの」
さすがだった。元辺境伯の令嬢というのは、この世界を生き抜く知恵を持っている。
そして俺達は領内の木こりや、伯爵の町から大工を雇い入れて工場の建設に動き出した。
木こりも一気に忙しくなったことで大喜びし、伯爵領から大工を呼んだことで、男爵領の食事処にも金を落とし始める。
領民で手の空いている者にも給金を出し、建築作業は更に加速した。既に御触れを出しているので、早く働きたいというものが集まって来たのだ。
男爵領が少しずつ賑わいを増しているある日、突然シュトローマン伯爵が訪問して来た。
とりあえず俺達は忙しいのだか、いちおう上司になるので時間を取って迎える。応接室に通して、俺達が部屋に入ると、早速シュトローマン伯爵が立ち上がって挨拶をしてくる。
「これはこれはヴェルティカ奥様」
「あの、旦那様はこちらです」
「あ、失礼。コハク卿、突然の訪問で失礼します」
「いえいえ。何かございましたでしょうか?」
「いえね、随分と活況だなと思いましてね」
「ああそれですか」
「何かございましたかな?」
「大したことではありません」
「ですが、我が領民が男爵領に出入りしていると耳にしています」
そこでヴェルティカが言う。
「あの、実はお兄様より援助がありまして、町工場でも作って加工品でも作ったらどうだと言われました。麦や芋ばかりでは税収が増えませんし、やはりシュトローマン伯爵にご迷惑をかける訳にも行けません。男爵領は男爵領できちんと自立するようにと、兄が申しましてね」
《辺境伯の威を借りてますね》
なるほどな。使えるものは何でも使うという事か。
「そ、そうでしたか。出来ましたら、事前に教えていただけていたらありがたかったです」
「いえいえ、弱小男爵がシュトローマン様のお時間を取ってまで話す事ではありませんわ」
「そのような事はありません。お時間ならいつでも作ります!」
ヴェルティカが軽く目を光らせ、するりと手紙を出した。
「こちらを」
シュトローマン伯爵は、その手紙を広げて目を見開く。
「これは」
「兄に伝えましたところ、そのうちシュトローマン伯爵様に、ご挨拶に行かないとなあと言っておるようです。ですので、その時が来たらと思っていたのですが…いかがです?」
「これは! なんと! ありがとうございます! いやいや、このようなお手紙を辺境伯様から頂けるとはなんともありがたいですな! では私のシュトローマン領でも、コハク男爵の領地の為にお力添えをしたいと思います!」
「本当ですか? それはありがたいです。私共の領地では人が少ないのです。給金はお支払いいたしますので、人夫のお手配をお願いできますと非常にありがたいです。助けていただければ兄も喜びます」
「そうですか! わかりました! では直ぐに手配をいたしましょう!」
「助かりますわ!」
結局シュトローマンは、ヴェルティカに丸めこまれて帰っていった。だがこの事で、より建築作業が捗り一月もしないうちに工場は完成するのだった。