第百六十四話 男爵領を変える為に
それから一週間ほどは、物資回収と秘密研究所の改装をし、夜は男爵領の運営について話し合った。マージが言うには、ここで結構な産業が生まれそうらしい。
今はヴェルティカと俺とメルナが、秘密の研究所で話をしている。
そして俺達はリンセの毛皮で作ったマフラーに、特殊効果がある事を知った。
「薄着でも温かいわ」
ヴェルティカがリンセマフラーを撫でながら言うと、メルナも頷いている。
それをサーモグラフィで見てアイドナが言う。
《体温上昇を確認。身体に何らかの影響があるようです》
そんな事があるのか?
《遠赤外線のような効果があるように見受けられます》
なるほど。
マージが言う。
「リンセには捨てるところがないんだよ。強力な牙や鋭く硬い爪は、矢じりや装飾品などに加工ができる。硬い骨は弓や杖になるし、肉は魔法薬の材料として使える。魔石がない代わりに血液には魔力が宿っていて、魔法の媒介としては優秀な素材だからねえ」
「なるほどな。だが乱獲すれば居なくなる可能性があるという事だな」
「そうだねえ。山に登った限りでは沢山いたようだけど、狩る数は決めた方が良いだろうね」
「もっと詳しく周辺調査をして、捕獲数を決めて行こう」
「そうしようかね。それよりも、その植物だよ」
テーブルの上には茶色く、こぶし大の丸い物が転がっている。俺達が再び森を探して、土を深く掘って見つけたものだ。テーブルの上にはニ十個ほど置いてあるが、マージはこれが貴重だという。
「そんなに貴重なのか?」
「そりゃそうさね。それはマギアのタネさね」
「効果は?」
「魔力のタネだよ。それを食べれば魔力が補給できるし、ちゃんとした加工をして薬にしてやれば、実戦でも使える魔力補給薬になる」
「凄いな」
「それが何故か、デコイノシシを使わずして見つけられた。そもそもリンセが生息しているおかげで、デコイノシシがいない。だから食べられる事も無く大量に埋まっている。こんな恵まれた地は他にはないだろうさね」
「このタネの効能を知っている人はいるのか?」
「知られていないのさね。あたしが研究して見つけたんだからね」
賢者がいるからこそ使える事が分かった。いろんな要素が嚙み合って、この山々が物資の宝庫になっているという訳だ。
そしてヴェルティカが言う。
「後は人手が足りないという事が問題ね」
「領民と話し合わないといけないさね。それに、ほとんどの事は他言無用にしてもらわないと」
「まずは、使用人達と相談しなきゃ」
「そうしよう」
そして俺は最後にもう一つの物資について聞く。
「その青い金属はどうしたらいい?」
「それが一番の問題さね。オリハルコンならここではどうにもならない」
「難しいのか?」
「湖の底では削れたろう? その状況ならば加工は出来るのさね。だけど一旦空気に触れてしまえば、こうして固まって、うんともすんとも言わなくなる。水につけたところで変わらないのさね」
「湖の底でか…」
「だがコハクが居ればやる事は簡単さね」
「時限性の魔石とスクロールを湖底に持って行き、そこで魔石を発動させて成型する」
「そうだよ。だからまずは武器と鎧なんかの製図を書かないといけない。あと魔法陣を書く羊皮紙をたんまりと買って来る必要があるねえ」
「そうか」
そしてヴェルティカが言う。
「来てから二週間近くたつし、伯爵に挨拶がてら町に行きましょう」
「うむ。それがいいだろうねえ。そしていろいろと仕入れをしようかね」
「わかったわ」
今日も風来燕達は、俺達の食料や素材を狩りに山に出ているから、帰ってきたら一緒にいく事を告げるとしよう。そして研究所の戸締りをし、俺達は屋敷に戻る。
屋敷では屋敷でやる事があり、軽石を砕いて練ったものを屋敷の隙間に埋め込んでいく作業だ。屋敷は古く、あちこちから隙間風が入ってくる事が分かった。そこで軽石を粉にしたものを練り込み、それを詰めてメルナが魔法をかけてやるとその隙間が塞がるのだ。
しばらく作業をしていると風来燕達が帰って来た。
「コハク! 見てくれよ!」
ボルトが何羽かの鳥をぶら下げていた。それは俺も見たことがある。
「ミダックか?」
「そうだ。リンセの餌はこいつらとクローラビットらしいな」
ガロロがぶら下げているのは、シルバークローラビットだった。それを見て、ヴェルティカが言う。
「切り分けて、お隣さんにおすそ分けしなくちゃ」
「俺らも、お隣には礼を言われましたよ」
「いままでは滅多に食べなかったみたい」
「ならこれも喜びますね」
俺達がそれを台所に運んでいくと、使用人達も喜んでいた。彼らは手慣れた様子で、ミダックとシルバークローラビットをさばき、新鮮な肉を防腐効果のある葉っぱにくるんでいく。
「みんなも慣れたようね」
「風来燕に教えてもらいましたから」
パルダーシュのような都会では、普通の使用人は得物をさばいたりしない。肉になった状態で買って来て料理をするのである。だけど彼らは出来るようにならないとと、風来燕達から習ったのだ。
ヴェルティカが使用人のメイド達に言った。
「三人でお届けしてきて。料理の下ごしらえは私がしておくから」
「「「はい! 奥様!」」」
メイド達は身支度をして、肉を持って出て行った。ヴェルティカが他の使用人と共に、夕飯の支度を始める。そして俺は風来燕達を連れて、メルナと他の部屋に行く。
俺が風来燕に言った。
「明日と明後日は狩りは無しだ」
「おっ、どうするんだ?」
「シュトローマン領に行って、領主に挨拶をし物資を仕入れて来る」
「わかったぜ。んじゃ俺達は、シュトローマン領のギルドに顔を出してみっかな。こんなおいしい土地を放っておいてる、アホ面を拝みに行くよ」
「そうしてくれ」
その夜は、シルバークローラビットのシチューと、ミダックの丸焼きが出て来た。パルダーシュから持って来た香辛料もまだふんだんにあるが、そろそろ補充の為に伯爵領の商人にも挨拶しに行かねばならない。
皆は早くに休みを取り次の日の早朝、暗いうちから準備をして二台の馬車を出した。人が乗るための馬車と荷馬車の二台だ。薄暗い村を抜け、俺達が街道に差し掛かる頃にはすっかり日が上がっている。
「空が綺麗ね」
空がグラデーションになって美しかった。
そしてフィラミウスが言う。
「このマフラーも、あったかかくていいわね」
「本当よね。薄着でも大丈夫」
「いい感じ!」
マフラーを巻いている女三人が言う。また数頭のリンセの素材があるが、それはまた違うものを作ろうという事になっている。だが流石にコートを作るとなると、ガロロではその技量が無いようなので、町の仕立て屋を尋ねる事になっていた。
夕方には伯爵領の都市に到着し、ひとまずはホテルを目指した。
するとボルトが言う。
「俺らは安宿で良いですから、コハクとお嬢様はいいところに止まってください」
それを聞いてヴェルティガか笑って言う。
「節約は大事ね。でも私達も安宿に泊まるわ」
「そいつはいけねえ! 男爵様が安宿じゃあダメでしょう」
「あら。ダメじゃないわ。男爵領の産業が軌道に乗ってないのだもの、お金は全て仕入れに回します」
するとマージが言う。
「相変わらずだねえ。なんで辺境伯の娘がこんなにしっかりしちまったかねえ」
「まあ…ばあやの影響だと思うけど」
「あたしかい!」
「あと誰がいるかしら? お父様は王都に行けば一番高いホテルに泊まるし、行列だって大層な人数を連れてたわ。あんなのは無駄だし、やっぱり必要なものにお金は使うべきよ」
マージが笑う。
「奴隷に金貨百枚払うようにかい?」
「コハクもメルナも奴隷じゃないわ。あれは身請け金よ」
「そうかいそうかい」
そして俺達はそれほど高くないホテルに入り、風来燕の男らとは別々の部屋をとり、俺とヴェルティカとメルナとフィラミウスが同じ部屋になる。
「ふう。一日かかるのね」
「明日は伯爵と商人と仕立て屋を周る」
「ええ。とりあえず明日もここに泊まる予定よ」
「そうか」
安宿ではあるが、それでも風来燕の泊る部屋よりは少し高めだった。
フィラミウスが申し訳なさそうに言う。
「すみません。私までご一緒させていただいて」
「男と同じ部屋では問題でしょう?」
「お館様と一緒のお部屋なんて、良いのかなと思いまして」
「俺は気にしない」
「ならいいのですが」
俺は女三人と同じ部屋になり、別々のベッドに座っている。
するとホテルの人間が来た。
「失礼します」
「はい」
女の使用人が顔を出す。
「一階の食事処が開きました」
「ありがとう」
そしてヴェルティカが言った。
「じゃ、食べに行きましょう。ボルト達を呼んできて」
「はーい」
メルナが隣の部屋に呼びに行くと、ボルト達が来て言う。
「すいません。夫婦水入らずを邪魔して」
「ん? なぜだ?」
「なぜって。なあ…」
「まあ、お嬢様が言うてくれておるんじゃ、ご一緒させてもらおう」
「俺達は給金も貰ってんだぞ」
するとヴェルティカが言う。
「気にしないで。もう家族みたいなものじゃない、一緒に食べたほうが美味しいわ」
「……わかりやした。では一緒させていただきます」
なぜだ? いつも一緒に食べてるじゃないか。
《不思議なものです》
これもノントリートメントの特徴なのかな。
《そのようです。おそらく夫婦というものが特別な物なのでしょう》
夫婦が特別?
《夫婦とは社会に認められた協力関係にあり、財産を共有する者です。同一の氏を名乗る事で、共同体であることを示す関係性にあります》
別に二人だけで過ごす必要などは無いだろう。
《ノントリートメントはそうは思っていないようです》
なるほど。
いつもと環境が変わるだけで、なぜか関係性が変わるらしい。今まで気を使ってもらった事は無いだけに、不思議な気分だ。ホテルの食堂で食事をし、その日は部屋に戻ってすぐに眠りにつくのだった。