第百五十八話 男爵領へ新たな旅立ち
三日間の結婚祭典が終わり、国の貴族達やウィルリッヒとの会談もつつがなく終了した。
それからの数日で俺とマージとメルナが、秘伝の量産型強化鎧の作成用スクロールや、回復薬のスクロールを大量に作成する。パルダーシュの面々が祭典の後始末をしている間に、風来燕達もギルドの連中に別れを告げたようだ。
男爵領への出発の日、フィリウスが俺に言う。
「コハクのおかげだ。礼を言うぞ」
「どういうことだ?」
「お前がいたからリンデンブルグの王子が来られ、公爵家までが参列し、貴族達も若い私を辺境伯と認めてくれた。辺境伯領の体裁を保つ事が出来て、お前には感謝しかないんだ」
「俺の力ではない」
「いや。コハクがいたからだ。それにもまして、深く感謝しているのは、ヴェルティカの結婚に大きく花を添えてくれた事さ。これほど祝福される結婚といったら、王女殿下くらいのものだ」
それにマージも言う。
「まあフィリウスの言うとおりだろうねえ。蓋を開けるまではどうなるかと思っていたけど、これほど盛大な結婚式になるとはねえ」
そしてビルスターク達も言う。
「俺達からも礼を言うよ。お嬢様の結婚式がこれほど盛大になるとは、あんな事件があった後だけに本当に嬉しいんだ」
アランも言う。
「そうだコハク。本来なら全てが終わっていてもおかしくない情況から、ここまで挽回できたのは紛れもなくコハクのおかげだと思う」
「そうか。だが、ここから始まるんだ」
それにヴェルティカも言った。
「そうよ。お兄様、これからが大変なんだから」
「分かっているさ。お互い頑張って行こうな」
「はい!」
そしてフィリウスがビルスタークとアラン、新たな騎士達や使用人達に号令をかけた。
「二人の門出だ! 盛大に送り出してやろう!」
皆が拍手をし、俺達は馬車に乗り込んで出発する。数日で指定された町まで行き、そこからは王宮の者が俺達を男爵領に案内するらしい。まだ俺達も視察もしておらず、どんなところかは分からないが、それほど良い領地は空いてないだろうとフィリウスは言う。
パルダーシュ領内を進む俺達の馬車を、領民達が手を振って送ってくれていた。それから少し進むと、風来燕達が冒険者達と別れを告げているところだった。
「じゃあな! みんなまたどこかで!」
「ああ! 頑張れよ」
「またな!」
「この領は俺達に任せな!」
そして四人が馬車に乗り込む。フィリウスとビルスタークとアランが馬で囲み、そのまま辺境伯領の門まで送ってくれた。
門のところでフィリウスが言う。
「ヴェル! いつでも返ってきていいぞ!」
「まあお兄様ったら。少しは妹離れしてください」
「こ、コホン! 冗談だ」
「それに花嫁道具や使用人迄こんなに用意していただいて、感謝しかございません」
「当然だ! 可愛い妹の為だ!」
すると皆が微妙な笑顔浮かべた。
実際のところ、馬車は当初フィリウスが言っていた半分にしてもらった。もしフィリウスの言うとおりにしたら、十台の馬車と三十人の使用人が付いてくるところだった。それを五台と十五人に減らしてもらったのである。ヴェルティカはそれでも多い、男爵なら三名程度の使用人でも十分すぎると言っていた。二人の意見をすり合わせて、五台と十五人になったのである。
「それじゃあフィリウス、ビルスターク、アラン達者でいるんだよ」
「ばあや、あなたのおかげで我々はこうして居られる」
「その通りです賢者様。体を犠牲にしてでもお守りいただき、我とアランの命の恩人でございます」
「ありがとうございました! 賢者様!」
「流す涙も無いのは残念だけどねえ。ほら、ヴェルティカとメルナの綺麗な涙で勘弁しておくれ」
気づけばヴェルティカとメルナが泣いていた。
「メルナも元気でな」
「うん!」
そうして俺達はパルダーシュに別れを告げ、新天地へと向けて出発した。見えなくなるまで見送られ、ヴェルティカがふうっとため息をついた。
「やっと終わったわ」
「大変だったねえ」
「まあ皆が頑張ってくれたから」
「ヴェルを送り出すので必死さね。少ない人数でよくやったと思うよ」
「うん」
そして馬車に揺られ、二日と半日。
俺達は北東にある、伯爵領の都市に到着した。これから俺達はこの領の下に付く事になるらしいので、先にここの領主に挨拶をすることになっている。
領主邸の呼び鈴を鳴らすと、使用人がやってきて言う。
「お待ちしておりました! ささ! どうぞ!」
門が開いて、俺達が屋敷の庭に入っていく。すると玄関口に数名の人が立っていた。俺達が馬車から降りると、早速一人の男が声をかけて来る。
「ようこそおいでくださいました!」
男はヴェルティカに挨拶をした。それをみてヴェルティカが言う。
「あの、主人はこちらです」
「存じ上げております。王覧試合を見させていただきました! 素晴らしい試合に感動しましたよ」
俺がフィリウスから教えてもらった、貴族の礼をする。
「おや。美しい礼をありがとうございます。出来るんですねぇ」
相手も礼を返してくる。何かぎくしゃくした感じだが、俺は全く気にしていなかった。
「コハクと申します」
「……あの、姓は?」
そこでヴェルティカが取って代わって言う。
「すみません。それはこれからで、今はパルダーシュとなっております」
「そうですかそうですか! 辺境伯の名前分けでございますか?」
するとその男の後ろから、王宮からの使いが顔を出した。
「シュトローマン卿。彼の姓はこれから決まるのですよ。なにせ一月前までは奴隷だったのですから」
「あー、なるほどなるほど! それは仕方がないですな!」
知っているだろうに、何故わざわざそんな事を言うんだ?
《暗にこちらが上だと言ってます》
それは当たり前だろう。相手は伯爵で俺は男爵だ。
《ノントリートメントの思考を分析しますと、恐らくは面白くないのでしょう》
面白くない?
《本来は騎士から準男爵、そして男爵となるのですから。王の一声で、いきなり奴隷から貴族になった者など認めたくないのでしょう》
この男に認められなくても、王は俺を男爵だと言ったが?
《男爵です。ただこの人物はそれを認められないという事です》
するとヴェルティカが感情を押さえた声で言う。
「これからお世話になります。出来れば先を急ぎたいと思っておりまして、明日迄には予定の地へと到着したいのです」
「せっかくお越しいただいたのですから、こちらに宿泊なさってはいかがでしょう? 旅の疲れもございますでしょうし、美味しい料理も準備しようと思っておりましたのですよ」
「お気持ちだけで」
「そう言わずに……」
不満なようだ。
《ヴェルティカが、言いなりにならないからです》
言う事を聞かねばならんのか?
《階級は下、それにシュトローマン伯爵領の管轄になるので、最初に言う事を聞かせたいのでしょう》
だがヴェルティカが言う。
「王宮の使者を待たせ、ここでゆったりなりするわけにはまいりますまい。そうですよね?」
ヴェルティカが王宮の使者に問う。王宮の使者も、ヴェルティカに圧倒されているようだ。
「は、はい。出来ましたらすぐに出発された方がよろしいかと!」
「そういうことです」
何か曇った表情になりながらも、シュトローマン伯爵は言う。
「わかりました。それでは困ったことがありましたら、このロパロ・シュトローマンに何でもおっしゃってくださいませ」
「お世話になります。それではまた」
「え…ええ……」
顔が引きつっている。
《格が違います。片や辺境伯令嬢、片や田舎の伯爵です。駆け引きにおいては、ヴェルティカは非常に優秀な才能を持っています》
そうか。
伯爵領を離れ、王宮の使者の馬の後ろをついて、俺達の馬車列は進んだ。フィリウスが用意してくれた馬車は五台、当面の使用人も大勢ついて来ており、実際早くいかないと彼らの宿泊費だけでも馬鹿にならない。
そして馬車の中でヴェルティカが言う。
「まったく……コハクを見下して」
「見下すも何も、俺達男爵は下だろう?」
「やっかみもあるのよ。王から贔屓されているというのが気に入らないのね」
「まあどうでもいい事だな」
「どうでも良くないわ。貴族は面子が大事なの」
「メンツとは?」
「まあ…コハクは気にしなくていいわ」
「そうか」
そして次の日、俺達はこれからの拠点となる男爵領に入るのだった。
風景を見てヴェルティカが言う。
「なるほど……まあ仕方がないわね」
「仕方ない? なにがだ?」
「いくら王に贔屓されてるとはいえ、平民上がりの男爵へ下賜出来る領地には限界がある。だけどある程度は優遇されると思っていたわ。でもここは本当に何も無い所、恐らくコハクに力をつけられては困る貴族達もいるのでしょうね」
だがそれとは反対の事をアイドナが言う。
《理想的です》
そうか?
そしてマージが言う。
「いいねえいいねえ! コハクや! 理想的でないかい!」
「そうか?」
それにヴェルティカが言った。
「理想的? どういう事? ばあや?」
「過疎の村なんて最高じゃないかい。他に何かあるかい?」
「なにもないけど……。あ、強いて言えば山があるわね」
「それは更に最高じゃないかい! ねえコハクや!」
「そうか?」
するとアイドナも言う。
《これ以上の環境は無いかと》
よく分からないが、マージとアイドナの見解が一致している。という事は恐らく間違いないという事だ。俺はヴェルティカに言う。
「多分……良い所だ」
「コハクが言うならいいけど、メルナはどう?」
「わたし! 森で暮らしてたから充分!」
「そっか。そうよね、私だけがわがままを言っているんだわ」
マージが言った。
「そういうことじゃないさね。ヴェル、これからのあたしらの門出にこれ以上の環境は無いのさ。領内に山があるとはね、まるで神様が与えてくれたような場所だよ」
「わかったわ。ばあやが言うならそうなんでしょう」
人気のない農道を、俺達の豪華な馬車列は進んで行くのだった。