第十四話 離れに住む老婆
俺とメルナは何の説明も受けないまま、ヴェルティカに連れられて広い屋敷を出る。だが庭に出てからも、ヴェルティカは何も言わずに先を歩いて行った。
《周囲の状況を視界に収めてください》
アイドナに言われ周りを見れば、屋敷の庭に植えられている木々が形を整えられており、美しい景観が広がっていた。
そんなことよりも、俺は不思議に思いヴェルティカに尋ねた。
「なぜ俺達が連れて来られたのかを、説明してくれるんじゃなかったのか?」
「ええコハク、そのつもりです。でも私には説明できません」
意味が分からない。
「なら、なぜ俺達を買った?」
「それはこれから分かります」
手入れされた庭を抜けると、突然風景が変わった。そこはどうやら畑のようで、いろんな野菜が植えられており、違う意味できっちり手入れをされていた。先ほどの見てくれの良い庭とは違うが、丁寧に育てられているであろう作物が実っている。
その先に古めかしい小屋が見えてきた。
なんだあれは?
《物置小屋でしょうか?》
アイドナにも見当がつかないらしい。
ヴェルティカがその扉を叩き、中に声をかけた。
「ばあや」
「お入り」
ヴェルティカが木の扉を手前に引くと、ギギッと建付けの悪い音を響かせながら開く。中を見渡せば想像していたものとは違い、小綺麗で人が住めるような空間になっていた。天日が入り中も明るく、その奥に台所のような場所が見える。そこでふくよかな老人が何やら料理をしていた。
ヴェルティカが老人に走り寄り、今までとは違う朗らかな声を上げた。
「うーん、いい匂い!」
「ヴェルが帰って来たのが分かったからね、すぐにここに来るんじゃないかと思ったよ」
《声の質から性別は女性です》
いや、だいたい分かるし。
俺とメルナが入り口付近に立っていると、老婆が俺達にも声をかけて来る。
「なんだい? つっ立ってないでお入り」
「あ、ああ」
「うん」
「いま美味しいものを作ってあげるからね」
ヴェルティカが俺達を誘導し、素朴な木のテーブルに腰かけさせる。
《情報が必要です。辺境伯邸とは思えない住宅に、それほど裕福そうに見えない服装の老婆。彼女の正体が全く分かりません》
とりあえず。話を聞くしかないだろう。俺が話をする前にヴェルティカが老婆に言う。
「ばあや。旅の途中でね、トロールに遭遇したわ」
「おや。そんな物騒なものが出たのかい」
「やっぱり、ばあやが言っていた事なのかな?」
「そうかもしれないねえ。まあ、お腹が減っている時にそんな物騒な話は無しさ。その戸棚に、クッキーの入ったジャーが置いてある。出来るまでみんなで食べな」
「はい」
ヴェルティカが棚を開けると、そこに大きなガラス瓶がある。その中にはクッキーがぎっちりと入っていた。ヴェルティカは更に大皿を持って来て、テーブルに置きクッキーを並べた。
「どうぞ」
そう言ってヴェルティカが一個つまみ、パクンと口に放り込む。
「やっぱり、ばあやのクッキーが一番ね」
「そりゃそうさね。美味しいおまじないをかけているんだからね」
ヴェルティカが俺達の前にクッキーの皿を押したので、俺もそれを手に取って口に入れる。焼き目の香りと仄かな甘み、そしてポロリとほろける触感が口に広がった。
《絶妙な調和で作られた焼き菓子です》
いちいちうるさい。そして俺はメルナに向かって言う。
「こりゃうまいぞ」
それを聞いたメルナが、ポリポリとクッキーをかじって目をうるうると輝かせた。それを見ていたヴェルティカが言う。
「美味しい?」
「うん!」
「わあ。やっと可愛らしい返事を貰えちゃった。やっぱり、ばあやのクッキーは魔法ね」
そしてメルナがじっと皿を見る。それを見たヴェルティカがメルナの頭を撫でて言った。
「全部食べてもいいわよ、だけどこれから、ばあやの美味しい料理があるからほどほどにね」
「うん」
俺も、もう一つ貰いながらメルナを見る。ここにきて、なぜメルナが雪解けしたのかは理解できないが、美味しそうに食べるメルナを見ていると何故か心が落ち着く。
すると老婆は布で手をくるみ、鉄製の鍋を持って来た。
「ヴェルや、鍋敷きを敷いておくれ」
「はい」
ヴェルティカがテーブルの中央に四角い何かを置き、その上に老婆が鍋を置く。だが蓋がされており中が見えない。すると蓋の取っ手に手をかけてパカっと開けた。ヴェルティカが子供のように言う。
「やった! パイだ!」
「ミダックのミートパイだよ」
「わたし皿を用意する!」
旅からここまでの辺境伯の娘然とした様子は一転、無邪気な少女の様になっている。俺達はあっけに取られていたが、ヴェルティカが皿を並べ始めたので、なんとなく手伝うようにした。
すると今度は、老婆が深めの皿を持って来てテーブルに置く。
「クリムボアのデミグラスシチューだよ」
それらを並べられると、メルナの腹がぐぅぅぅとなった。
「もうすぐだよ」
今度はパンが盛り付けてある皿と、野菜サラダが運ばれてくる。
「さあ、ヴェルもお座り」
「はい」
そして古めかしい酒瓶のようなものから、グラスに液体を注いでいく。赤い色をしているがいったい何の液体なのだろう?
「無事に帰ってきてくれて安心したよ」
「コハクのおかげなの」
《自己紹介をした方が良いでしょう》
アイドナに言われ俺は老婆に挨拶をする。
「コハクと言う。王都でお嬢様に買ってもらった。こっちがメルナ、俺の腹違いの妹だ」
「これはこれはご丁寧に。あたしゃ、マージ。この屋敷の居候だよ」
居候? ヴェルティカの祖母じゃないのか? 関係性からしてもてっきりそうだと思ってた。
「ばあや、居候とか言っちゃって!」
「まあ、この都市じゃ賢者なんて呼ばれてるけど、そんな大したもんじゃないねえ。それよりほら! 料理が冷めちまう! 食べな」
「じゃあ、コハク、メルナ。食べましょ!」
「いただきます」
「いただきます」
なんとメルナも素直にいただきますを言った。目の前の不思議な老婆には心を許しているようだ。目の前の皿に取り分けられた、ミダックのパイを口に入れる。
「美味い!」
思わず出てしまった。するとヴェルティカがニッコリ笑って言う。
「ばあやのパイは最高なんです」
俺は思わずスプーンを握り、クリムボアのデミグラスシチューとやらを口に入れる。
「これも美味い!」
「お代わりもあるから、たんとお食べ」
王都で宿泊した高級料理など、めじゃないほどの美味さだった。俺とメルナは無心に料理を食い続け、ヴェルティカもいつもとは違って豪快に食べる。すっかり腹が満たされると、メルナがコクリコクリと居眠りを始める。
「おや。疲れていたようだね。コハクよメルナを連れて来ておくれ」
俺がそっとメルナを抱いて、マージについて行くと木のベッドがあった。
「そっと寝かせておくれ」
メルナをそっと横たわらせて両足の靴を脱がせる。するとスースーと寝息を立てて、メルナがぐっすりと寝込んでしまった。
そして振り向いたマージが俺に言う。
「本当に綺麗な黒い髪と、黒い瞳だね」
と言われても、俺の国じゃほとんどがそうだった。返す言葉も見当たらずにいると、ヴェルティカが言う。
「でしょ? ばあやの予言の通りだわ」
「予言? そんな大それたもんじゃないよ。コハクもヴェルも疲れたろう? もう休むと良いさね」
「わたしは大丈夫よ! …でもコハクは?」
「俺も疲れていない」
むしろここからの話が知りた過ぎて眠れるわけがない。
「そうかいそうかい。なら、まず食器を片付けて飲み物を用意しようかね」
「はい」
「ああ」
俺達は食べた料理の皿を下げ、再び食卓に戻ってきて目の前のコップに飲みものを注いだ。俺とヴェルティカはマージの話を聞き逃さないよう、テーブルに乗り出して耳を澄ますのだった。