第十三話 辺境伯との顔合わせ
それから数日かけて、一行はようやくパルダーシュ領の都市ヴェルデに到着した。王都でもかなり大きいと感じていたが、この都市もかなり大きいようで高い市壁の端が見えないほどだ。
大きな門をくぐり都市の中を見渡せば、かなりの人でごった返しており、かなり活況である事が窺える。賑わう都市を騎士隊と俺達の馬車が通過していくと、街の人らがこちらを見て手を振っているようだ。馬車のカーテンを開いて、ヴェルティカが手を振り返している。
「ボルトン。この都市の人達の為にも、頑張らなくちゃいけないわね」
「はい。お嬢様」
時おり馬車とすれ違いながら都市の奥へ進んでいくと、やたらと大きな建物が見えて来る。外壁の端から正門までかなりの距離があり、あらためて屋敷の大きさを感じた。
「これから、あなた達が暮らすところよ」
「ここが…」
するとボルトンが若干、威圧的に言った。
「これから旦那様と面会する事となる。くれぐれも粗相のないように頼むぞ」
粗相の無いようにとはどうすればいいのだろう?
《出来るだけ周囲の人の動きを視界に収めておいてください。後はナビゲートいたします》
わかった。
馬車の扉が外側から開けられ、ボルトンが先に出てヴェルティカの手を取り降ろす。俺とメルナはその後をついて降りた。
凄いな…。
まず玄関の高さが人間の身長の三倍はある。人が通れさえすればいいと思うが、扉もやたらと重厚で威圧感すら感じる。屋敷の中に入ると足元がとてもふかふかで心地よい。しかも床一面に何らかの柄が描かれており、床全体に何かが敷かれているようだ。上を見上げれば色とりどりの巨大なガラスのようなものがあり、そこから陽の光が差し込んでいる。
《かなり質の良い絨毯とステンドグラスです。ここの住人がかなり裕福であると分かります》
辺境伯って言ったっけ? こんな議事堂のようなものが家なのか?
《これは議事堂ではありません。城と呼ばれるものです》
城って言うのか? こんなのが必要なのか? およそ合理的には見えないが。
《合理的や利便性だけを考えて作られたものでは無いでしょう》
すると入り口までついてきていた、ビルスタークと騎士達が言う。
「ではお嬢様。ここで失礼いたします」
「ええ。ご苦労様でした」
するとビルスタークが俺に向かって行った。
「コハク! 頑張れよ」
何を頑張ればいいのだろう? よくわからない。
《健闘を祈っているのでしょう。適当にお礼を》
「ありがとう。頑張るよ」
俺がそう言うと、ビルスタークは歯を見せてニヤリと笑い、隣りにいたヴェルティカも笑った。
「ふふふっ。コハクは案外肝が据わっているのかしら? あまり動じてないように見えます」
動じる? 殺されたりするとか?
「俺達は殺されたりするのか?」
「しませんよ。ただ父はどんな顔をするか分かりません。何かあっても気になさらずに」
「わかった」
俺達はそのままヴェルティカとボルトンについて行く。エントランスにある大きな階段を上り、長い廊下を進んでいくと一つの部屋の前で止まった。そしてヴェルティカがその部屋の扉をノックする。
「お父様。ただいま戻りました」
「入れ」
ヴェルティカが振り向いて言う。
「じゃあコハクとメルナは、ここで待っていてください。ボルトン、入りますよ」
「はい」
俺とメルナを置いて、ヴェルティカとボルトンが部屋に入って行った。手持無沙汰になったので、俺はメルナに言った。
「こういうところは初めてだ」
「わたしも」
「城って言うのか?」
「そう」
「何かあちこちが、やたらと飾り立てられているな」
「うん」
「俺達が、こんなところにいて良いのだろうか?」
「ダメだと思う」
「そうか」
《恐らくは身分が違いすぎるという事です。本来は奴隷商で買われた我々が、入って良い場所ではないのでしょう》
危険区域と言う訳でもあるまい?
《そう言う意味ではありません》
「コハク、メルナ。入りなさい」
唐突に扉が開き、ボルトンに呼ばれ俺達は部屋に入った。するとその部屋の中央に、やたらと豪華なベッドが置いてあり、そこに人が横たえられている。その周りに数人の、黒いドレスを来た女達が立っていて、一人の紫のドレスを来た女が傍らに座っていた。
すると横になっている人が言う。
「なんだ? ただの町人じゃないか」
《とりあえず、この世界の住人の挨拶をします。高級ホテルの従業員やボルトンと騎士で学習いたしました》
「初めまして。コハクと申します」
アイドナがスキャニングした、この世界の人間の動作を模った挨拶の動作を取る。
「ほう…。ただの町人では無いという事か。それにその漆黒の髪の毛と瞳、プレディアの言う通りという訳だな…」
「お父様。やはり、ばあやの言う事は本当でございました」
「ふん。だがわからんぞ、どこの馬の骨とも分からん奴を買ってどうすると言うのだ?」
「私は信じます」
「戯言だ。お前達の遊びごとに付き合ってはおられん」
すると寝ている脇に座っている、紫のドレスを着た女が言った。
「まずは長旅、お疲れ様でした。大変でしたね、ヴェルティカ」
「いえ。お母さま、大丈夫です」
「まずは、お休みしなさい。お話はまたゆっくり」
「はい。お父様もご養生くださいますよう」
「ふん」
そう言って、父親はそっぽを向いてしまった。そしてヴェルティカが俺に向かって言う。
「では参りましょう」
俺達がヴェルティカの後ろをついて廊下に出ると、ヴェルティカが廊下を歩きながら言う。
「驚きました。コハク、あのような美しい御辞宜が出来るとは思いませんでした。おかげで、父は出鼻をくじかれたようです」
「いや…」
「やはりコハクは、ただものではありませんね」
アイドナのナビゲーションに従ったまでだ。特別な事はしていないし、礼だけで状況が変わるなどと思わなかった。悔しいがアイドナの予測は確率を増しつつある。恐らくはこの世界の情報が入るにつれて、その精度をあげてきているのだ。
バグの俺が素粒子ナノマシンAI増殖DNAの言いなりになるのは癪に障るが、現状は頼りっぱなし。アイドナがこれほど頼りになるとは思わなかった。
「俺は、ただの奴隷だった」
「ふふっ。そう言う事にしておきましょう。ただの奴隷があの礼を出来るわけがないのですがね。いずれにせよ私は、王都に行ってあなたを連れて来て間違いじゃないと思いました」
どう言う事だろう?
《まだ情報が足りません。ですが確実な意図があって連れて来られた事は間違いありません》
きっとこれから、ヴェルティカが教えてくれると信じ、俺はただヴェルティアの後ろを付き従って歩くのだった。