第百一話 近づく人物と不穏な影
すでに決勝トーナメントも準決勝となり、試合会場では剣聖ドルベンスが戦っているところだった。そして、出場者専用観覧席には俺とヴェルティカと…離れた席にもう二人しかいない。
だがそれを気にした様子もなく、ヴェルティカが興奮して俺に言う。
「大衆のほとんどがコハクを応援しているわ! こんなことになるなんて思ってもみなかった!」
「不思議なものだな」
「受付でコハクが自分は奴隷だなんていうから、どうなるかと思っていたけど」
「本当の事だが」
「違うわ。私達はコハクを奴隷だとは思っていない」
「奴隷商で買われたんだ。間違ってはいない」
「でも、違うから」
俺が奴隷と言ったのは、アイドナの人心掌握プログラムに従ったまで。その後軌道修正を行いつつ、大衆の心を掴む事が出来たのもアイドナの計画によるものだ。
「とうとう次が最後ね」
「ああ」
俺は一回戦で剣聖フロストに勝った後、次の出場者も下して決勝戦にコマを進めていた。俺が次の決勝戦であたるのは、今やっている対戦の勝者となる。
また俺が準決勝を勝ち上がった段階で、他の出場者が居なくなってしまった。ヴェルティカが言うには、俺が決勝に勝ち進んだのが面白くないかららしい。
「この対戦はどうなるの?」
「剣聖ドルベンスが勝つ」
「そうなんだね。私なんかあの人嫌だわ」
アイドナの観察では、まだドルベンスは力を出し切っていない。今も相手が全力にも関わらず、試合は完全にドルベンスが押していた。
カン! ドルベンスが相手の剣を叩き落とす。アイドナの推測通りにドルベンスの勝利となった。
ワアアアアアアア!
「本当だ。ドルベンスが余裕で勝ったわ」
「次の相手は決まりだ」
俺達が話していると、遠くに座っていた二人が俺達の所に歩いて来る。それは剣聖フロストだった。
「こちらは下馬評通りだったな」
独り言なのか、俺に話しかけているのか分からない。だがヴェルティカがそれに答えた。
「なんですか? 私達になにか用でも?」
ちょっと喧嘩腰に言うが、フロストは苦笑いを返してくる。
「お嬢様。そう突っかからないでいただきたい。私は普通にその男の力を認めているんだ」
「そうですか? あなたと仲良く話すような間柄でもないですけど?」
するとフロストが人のいない観客席を見回して言う。
「まあ…無理もないですな。ここまで露骨にいなくなるとは私も思っていなかった」
「あなたは…いるのね?」
「私はこの男に興味がある。全く殺気を放たずに私の剣を見切り、そして強烈な剣撃を繰り出して来た。殺気が全くない相手の攻撃を避けるなど不可能。その力量は剣聖以上、究極の達人の領域にあると言っていい…。なんて思ったわけですよ」
「そうよ! コハクは特別なの!」
「コハク…。どのような修練を積めばそのような高みに昇れるのか、そのうち酒でも飲みながら聞かせてもらいたいものだ。そうですよね」
フロストは後に立っている若い男に振り返って言う。するとそいつが丁寧な挨拶をしてきた。
「恐れ入ります。剣聖フロスト・スラ―ベルの後継人、ウイルリッヒと申します」
今までつっけんどんだったヴェルティカが立ち上がり、カーテシーをして挨拶をする。
「初めまして。私はパルダーシュ辺境伯の娘、ヴェルティカ・ローズ・パルダーシュと申します」
「その節は大変な思いをされましたようで」
「はい。恐れ入りますが…フルネームをお伺いしても?」
だがウイルリッヒが首を振る。
「すみませんがお忍びで来ておりまして」
「私が知る隣国の王子に、あなたと同じ名前の方がいらっしゃいましたので。もしかしたらと思いまして」
「そうですか」
フロストが二人をちらちらと見て言う。
「ではそろそろ…」
するとウイルリッヒが言う。
「フロストはコハクさんを大層気に入ったようですよ。私としては複雑な心境ですがね、フロストとドルベンスの試合を楽しみにしておりましたので」
ヴェルティカが言う。
「この大会必ずコハクが勝ちます。フロスト様もウイルリッヒ様も残念がる必要はございませんわ」
フロストがにやりと笑い、ウイルリッヒが苦笑いを返す。
「では。決勝を楽しみにしています。聡明なお嬢様のおっしゃる通りに、コハクの勝利に金を賭けるとしましょう。そうですね…金貨百枚ほど」
「えっ! そんなに?」
「だってコハクが勝つのでしょう?」
「はい」
「フロストが負けた分を取り返していきませんとね。国に帰って父に怒られます」
するとフロストが俺に言う。
「うちの雇い主に損はさせんでくれよ。我も貴様に金貨十枚ほどかけさせてもらうからな」
勝手に金をかけるとか言っている。
「好きにしろ」
「では。パルダーシュ辺境伯令嬢と剣士コハク。またどこかで」
そう言って二人は出て行った。フロストは俺に完膚なきまでに叩かれたというのに、全く気にした様子は無かった。
《裏はございません。どちらも本心であると思われます》
そうなのか? あてつけとかではなく?
《あてつけではないでしょう。特にフロストという男は好意すら持っていたようです》
なるほどな。
俺にはよくわからんが、アイドナのプロファイリングによれば、負けたにも関わらずフロストは俺に好意を持っているらしい。
するとヴェルティカが言う。
「コハク…」
「なんだ?」
「あのフロスト・スラ―ベルはリンデンブルグ帝国から来た剣聖なの。そしてその帝国の王子の一人の名が、たしかウイルリッヒと言ったわ」
「どういうことだ?」
「まあ同じ名前なんてどこにでもあるけど、もしかしたらと思ってね…」
「だとしても関係ない。次の試合は俺が勝って王に謁見する、それだけだ」
「そうね! その通りだわ! じゃああと一時間後、決勝に備えましょう」
「ああ」
そうして俺達は部屋を出た。決勝戦の前には、後見人も一緒に舞台に上がって客に顔見せをするらしい。決勝が終わった後で、王からの言葉を一緒にもらう為だ。
それからヴェルティカが化粧直しをし、俺はアイドナの勝利パターンの解析結果を頭に入れていた。時間となって係員がやってきて、俺達は決勝の舞台に向かう事になる。
「緊張してる?」
「まったく」
「ごめんね。私が緊張してしまってるかも」
「問題ない。俺が勝つ」
「ふふっ。そうだったわね」
そうして俺達が会場に入った時だった。この大会のどんな時よりも、大きな割れんばかりの歓声が巻起こった。
おおおおおおおおおおおおおお!
「凄いわね」
「声がかき消されそうだ」
俺達が先に中央に立ち、反対側からドルベンスとその後見人がやってきた。
だが…。
突然アイドナがアラートを鳴らした。
どうした?
《あの後見人》
そう言って後見人の男に照準が向かう。男にピントが合った時、アイドナが告げた。
《ボルトンです》
ボルト? 風来燕の?
《いえ違います。元パルダーシュ辺境伯の執事であり、ヴェルティカのお付きだった男です》
いや。見た目は随分若いし、白髪も白髭も無いぞ。
《骨格が完全一致。99.999%以上の確率でボルトンです》
アイドナが、目の前に一緒に来ている後見人をボルトンだと言う。だが若く髪も黒い、皺が無く白い肌に唇が赤い。どこをどう見ても白髪白髭のボルトンとは程遠い。だがその鋭い蛇のような目が、確実にヴェルティカを捉えていた。
どういうことだ…。
《あなたの動揺を沈めるための物質を分泌します。今は決勝に集中しましょう。予測演算はバックグラウンドでやっておきます》
動悸が高鳴る前に、アイドナのおかげで気持ちが静まってくる。それでも死んだと思っていたボルトンが、姿を変えて目の前に現れたという事に俺は驚愕を隠せないのだった。