第百話 試合を経て人の心を意識し始める
決勝一回戦、俺の相手は剣聖フロスト・スラ―ベル。
もう一人の剣聖であるドルベンス・バーリクード同様、全く実力を見せずに決勝トーナメントに勝ち上がって来た人間だ。アイドナの評価によれば赤点滅で、これからの動きを見て能力を確認する必要があるとの事。不確定要素のある相手ではあるが、俺は特に緊張する事も無く相対している。これもアイドナが安定物質を体内に流しているからで、冷静に相手の力量を確認する為の精神コントロールだ。
「二刀流などという邪道が通用すると思ってるのか? よくここまで登りつめたと言いたいところだが、貴族に金でもつかませて出場したのであろう? だが我にインチキは通用せぬぞ」
なるほどコイツも非合理的な無駄口を叩くか。とりあえず返す言葉も無いので黙っている。
「ふっ、怖気づいて言葉も出ぬか。まあ貴様のような雑魚は、一瞬にして葬り去ってやろう。舐めた思い上がりで王覧試合にあがった貴様などに、振る剣など持ち合わせてはおらぬが、一応真面目に相手してやる。死ぬ気で守らねば本当に死ぬと思えよ」
戦えば判明するであろう事を、なぜ前もって言うのか?
《言葉で牽制しているのでしょうが、本気でこちらを死なせる気はないようです》
そんな俺の非合理的に対する興味とは関係なく、コイツのスペックを見定めなければならないが。
カンカン!
俺は剣を構えた。
「ほう。何処の流派だ? 一見隙だらけのように見えるが、そこそこはやるようだ。インチキで予選を突破した訳では無さそうだな。油断せずに相手せねばならないらしい」
なるほど。予選の奴らとは違い、俺の二刀流を見て何かを感じ取ったようだ。だが不思議そうな顔をしてフロストが続けた。
「なんだ? お前からは全くの闘争心も殺意も感じない。それなのに、なぜそこに何もないように立てているのだ?」
言っている意味は分からないが、やはり俺から何かを感じているのは確かだ。
《経験値。洞察力。観察力。全てが予選の相手とは違うようです》
能力の問題なのか?
するとフロストが俺に剣を向けた。
「まあいい。剣で語るとしよう」
お互いが構えを取った瞬間に開始の声がかかる。
「はじめ!」
心拍数や体温、筋肉の硬直から見てもフロストが張り詰めているのは分かる。だがとにかく俺は相手のスペックを見定めて、アイドナに学習させねばならないため、ただ初撃を待つ。
脳内に音声が流れた。
《念のため先行ボイス誘導入ります》
それだけ、今までの相手とは違うという事だ。
《ガイド通り。最初の剣撃が繰り出されるまで、一コンマ二秒。初撃は右横からの水平な薙ぎ》
あとはアイドナの予測通りに動くだけだった。
《相手は剣を避けて剣を返してきます。左手剣を立てて剣を受けつつ、跳ね上げた右手剣は相手の腰元で止め、そこから一メートル踏み込んで腕を伸ばしてください》
ギイン!
左手剣で剣聖の剣を受け止め、右手剣を突き出す。
《更に六十センチ前に》
そのまま腰前に右手剣を突き出し、体に押されるままフロストの胴体をとらえた。そしてフロストは、俺の剣に弾き飛ばされたように後方に飛んでいく。
《相手は自分で飛びました。追撃せずそこに止まってください》
立ち止まると、目の前すれすれをフロストの剣が斜めに通り過ぎていった。俺が飛びかかっていくのを予見して、先に剣を跳ね上げていたのだ。
《後転してください》
俺がそのまま後方に転がると、俺がいた床にフロストの剣が突き刺さった。間違いなく俺を串刺しにして殺すつもりの本気の剣だ。剣を空ぶらせたフロストが、俺を睨んでにやりと笑う。
「凄まじいな。今のをかわすかよ!」
何故かフロストは、試合をしているというのに楽しそうに笑っている。俺はそのフロストの感情に興味を示しつつもアイドナに聞く。
俺を殺さないつもりじゃなかったか?
《本気になり。感情のタガが外れたようです》
本気…。感情のタガ…。
「野には、さてもおもしろい者がいるのか」
フロストの言葉を聞きつつ、アイドナが俺に告げた。
《演算処理終了。全ての動きは予測可能となりました》
名前 フロスト・スラ―ベル
体力 196
攻撃力 226
筋力 217
耐久力 200
回避力 321
敏捷性 393
知力 108
技術力 809
ステータス数値を見ると、ビルスタークと比較しても体力や筋力そして耐久力は下回っていた。だが攻撃力と回避力と敏捷性が四十パーセントも高く、技術力に関しては二百パーセント。ビルスタークの倍近い技術力を持っていることが分かる。
だが既に赤の点滅は青に変わっている。目の前の相手から負ける事はないと確定したのだ。
フロストはビルスタークより強いようだが、身体強化はしなくていいのか?
《必要ありません》
次の瞬間、フロストが上段に剣を構えながら一気に俺の前に現れる。まるで瞬間移動のようにも見えるが、恐らく縮地と言うスキルを使ったのだろう。だが既にガイドマーカーが予測値を引いていた。
《地面から十五センチで左剣を横なぎに》
体制を低くして左剣を横なぎにすると、フロストはその剣を読み切って三十センチほど飛び上がった。その一瞬のせいで、フロストは回避が出来なくなる。
《右の剣を頭上につきだし、高速で前方宙返りをしてください》
ビュン! ガズン! 超高速宙返りと共に、フロストの右肩に俺の剣がクリーンヒットする。全体重が乗りスピードも加わったその剣は、フロストの鎖骨を砕いて剣を落とさせた。
「ぐあ!」
フロストは右肩を押さえ、膝をついて身動きが取れないでいる。俺は右手の剣を天に向けて構え、そのフロストの脳天めがけて振り下ろした。
「そこまでだ! 勝者! コハク!」
直後にアイドナから指示が出る。
《それでは人心掌握を考慮して、フロストに手を差し伸べてください》
俺は二本の剣を腰に収め、フロストに手を差し伸べる。するとフロストは俺を見て言った。
「見事だ。だが俺を負かした男の手は借りぬ」
そう言って立ち上がる。
次の瞬間、場内から割れんばかりの歓声が起きた。
「すげえぞ奴隷! よくやった!」
「やっぱ只者ではないと思ってたぜ!」
「や、やった! やった! 一攫千金! 大儲けだぁぁぁあ!」
「おいおい…嘘だろ剣聖が奴隷に負けるとかあり得ねえだろ」
「まさかの大番狂わせ! あるぞ! こりゃ奇跡があるぞ!」
《思いの外、人心掌握は功を奏しました。やはり情報が圧倒的に足りませんから、名も知らぬ奴隷が勝ちあがる事を誰も想定していません》
俺がヴェルティカの所に戻ると、ヴェルティカは目に涙をためていた。
「ありがとう…無事にあそこから戻ってくれて…」
「俺は怪我もしていない。相手の攻撃を一度たりとも喰らっていないから、何も心配する事はない。ヴェルティカはフィリウスと共に、王の前で話す内容だけを考えていろ」
「はは…。もう優勝気分?」
「優勝は単なる過程だ」
「わかったわ。コハクがそう言うならそうね。私は私の仕事をするわ」
俺達が通路に戻ると、出場者達が不思議そうな顔をして見ている。睨みつけている者や怒っている者もいるようだ。
《あなたに毒が効いていないのを不思議に思っているようです》
なるほど。そんなに俺が負けるところを見たいのか?
《そのようです》
それにどんなメリットがあるんだ?
《メリットは決勝出場者にしかありません。他は恐らく感情。満足、不安、恐れ、妬みと言ったもの》
そんなものの為に、わざわざ事を起こすのか?
《この世界に来て分かりましたが、どうやらノントリートメントは、そちらが主にあるようです》
感情の生き物…という訳か。
《その表現が正しいかと》
不思議なものだ。何の利益も無いことに対して、リスクを取って感情で動く事が出来るらしい。俺は生存率を上げるために最善を尽くしているが、感情の為だけに何かをするという事が不思議だった。
感情は動きを阻害する事があるため、アイドナが俺の神経分泌物をコントロールしている。そのおかげもあって、俺は常に一定で正確な判断が出来ているように思う。
だが…。
出場者達の無駄口もそうだが、隣で俺を見ているヴェルティカも、どちらかと言えば感情で話をしているように思える。意識の共有がかからないこの世界では、感情の方が優先されるのかもしれない。AI世界のバグ人間である俺は、何故かノントリートメントの優先している感情が気になり始めている。そこに俺の知らない何か、非常に重要なものが隠されているようにすら思えるのだった。