第九話 王都の外に違和感
ヴェルティカの準備が整ったところで、騎士に囲まれた馬車がホテルを出発する。窓から外を見れば、どうやら街道沿いの人間達が、立ち止まってこちらを眺めているようだ。恐らく、お忍びと言っても、この小隊自体が目立つらしく裕福な家の人間だという事がバレている。
俺もメルナも必要以上の事は話さない。特に俺の方の話を彼らにしたところで、信じてもらえないだろうとアイドナが分析した。それには俺も賛成で、自分がヒューマンだとノントリートメントの彼らに言うのはデメリットしか感じない。
処分されたりはしないだろうか?
《それは無いでしょう。むしろこの文明レベルであれば、素粒子ナノマシンAI増殖DNAの事など夢のまた夢。元始的な電子機器すらないレベルだと思われますので、その話をしたところで理解すら示さないかと思われます》
なら推測してくれ、なぜ俺はこの世界に居るのだろう?
《解明できません》
俺が一人でアイドナと問答を繰り返している時も、何故か俺の隣りにいるメルナは俺にくっついている。特に俺が何をしたわけでもないが、メルナは俺の言う事を聞いてくれるようになった。どうしてそうなったかを考えても、俺には思い当たるふしがない。
この感情はよくわからないな。
《恐らくは命の恩人と捉えています》
命の恩人?
《奴隷として買われる時に、自分の妹だと言って一緒に連れ出してくれた事がそれにあたるかと》
自分の生存率を考慮したうえで、彼女を連れて行った方が良いと判断したんだがな。
《彼らはノントリートメントです。ヒューマンとは違い、あなたの感情や考えは相手には伝わりませんので、表面的な行動から純粋にそう思ったのです》
ネットワークが形成されていないって事?
《それがノントリートメントです》
確かにそうか。俺はメルナはおろか、ヴェルティカの思考や感情を捕らえる事が出来ない。素粒子ナノマシンAI増殖DNAが搭載されている人間同士なら、その思考や感情は全て共有されていた。唯一バグだけがそれを共有されず、その為にバグは発見されてしまうのだ。
ノントリートメントの社会は、全員がバグだという事か?
《正確には違います。ですが、情報が共有されないという状況はそれと類似するかと》
人の考えや感情が全く分からない世界、それは俺が前世で感じた事。ヒューマンはAIが良しとした事に皆が従い、AIが拒絶すれば誰もそれをしない。アイドナが適合しないバグだった俺は情報が共有されず、画一化されたヒューマン達が恐ろしく見えていた。バレないように生きていたが、俺は社会から完全に孤立していたのだ。
だがこの世界は誰もが孤立している。
《そのとおりです》
ある種、前世では皆が平等で均一化されていたが、この世界では共有も均一化もされないという事が平等のようだ。
「コハク。何を考えているのです?」
いきなりその答え合わせが来た。目の前のヴェルティカが黙って外を見ている俺に、意思の確認をしてきたのだ。その段階で、ヴェルティカは俺の思考も感情も共有していないと分かる。
「何も」
「何かを考えているような顔でしたよ?」
微笑みかけながら言う。しかし俺がいま考えていたような事を言ったとしても、何を言っているのか全く理解しないだろう。
どうする…
《一、王都は広い 二、この馬車は乗り心地がいいな 三、俺は何をすればいい。上記からの選択をお勧めします》
アイドナに逆らいたくなるが、一応、三を選ぶ。
「俺は何をすればいい?」
「やはりそれを考えていましたか」
ん? 共有されている?
《いえ。ヴェルティカは状況から察しているだけです》
「そうだ」
「それは今は言えません。故郷のパルダーシュに到着してからとなります」
すると隣にいるボルトンが言う。
「コハク。それは我々も知らないのです。ただお嬢様に命ぜられるままに、王都に来て奴隷を買ったのですから」
ヴェルティカが咳払いをする。
「コホン」
「失礼いたしました」
「ボルトン。奴隷を買ったという表現をやめなさいと言いました」
「申し訳ございません」
ヴェルティカが苦笑いしながら俺に言った。
「気にしないで」
「いや。実際のところ俺とメルナは奴隷商で売られていた。ボルトンは事実を言ったまでだ」
「分かっています。でもその事はここから先は言わなくていいです」
おかしなことを言う。自分が奴隷商で買った奴隷に、買われたと言うなと言う。
「その方が有益ならそうしよう」
「ええ」
そして明るい表情に変えたヴェルティカが、メルナに向かって言った。
「メルナ。心配しないで、悪いようにはしないから」
「……」
メルナは俺に寄り添ってきた。
すると外から声が聞こえてくる。
「お嬢様。門を出ます」
「ええ。速やかに」
「は!」
ビルスタークの声と共に、俺達の馬車は王都の正門を潜り外界へと出たのだった。俺が窓から外を見ると、その光景に改めて驚く事になる。なんと建築物の類は全く見当たらず、草原が延々と続いており、ただはるか遠くに山脈が見えるだけ。
こんな地域があるのか?
《王都と呼ばれた都市の外が、これほど閑散としているとは推測してませんでした。推測するに、中世にも似ている時代ですが、全く違う環境にあるようです》
中世じゃない?
《はい。大気や水、植物などは類似しておりますが、何かが異質であると思われます》
アイドナに推測できないのであれば、歴史には無い異常値と言う事だ。それを知った段階で大きな不安が襲い、俺は顔をこわばらせる。その雰囲気を感じ取ったのか、メルナが俺の腕にしがみついた。
するとヴェルティカが俺達に言う。
「緊張しなくてもいいわ。うちの騎士団は腕がいいの、魔獣が出ても問題ないわ」
魔獣とはなんだ?
《御伽噺、架空の生き物だと推測されます》
それが実際に居る?
《ヴェルティカの心拍数、および声帯の状況から言っても真実です》
アイドナの言葉を聞いた俺は、更に周辺を警戒し始めるのだった。メルナがよりその手に力を込めて来る。それを見たヴェルティカは、ただ俺達に微笑みを返してくるだけだった。