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味噌汁のふたを開けてお椀を持ち上げ、箸で具材を抑えながら、慎重に静粛に汁を口に含む。次に箸で煮魚を一口大に丁寧に切り分けてから、煮汁を軽く切って口に運ぶ。よく噛んでから、白米を無理なく口に入れる。その全ての動きが鷹揚で洗練されている。というか箸の持ち方から整っていて、勝負してるわけじゃないけど、勝ち目がない。
「モロックマって、お嬢様みたいだよねぇー」
「そう?全然ただの一般庶民だけど」
「なんかー、所作がねー」
黎夢が私の大学の近くで仕事らしく、その付き添いの明世と久しぶりに会って、ファミレスで食事をすることになった。まあ、明世とは話したいことが無いこともなかったので、願ったり叶ったりだったりしなくもない。
「んー、そうだなぁ、元気ですか?……なんてね。久しぶりなのに、意外と話すことないねー」
「何だって?見ての通り、元気ですよー」
「あぁ、本当に見ての通りなこともあるんだねぇー」
「そうなの?まあ、おかげ様で怪我も病気もなく過ごせてはいますが」
「そんなに褒めても何も出ないよ」
「褒めてない」
「私がおかげ様だ」
しかし、喋りだすと淑やかさは失われる。別に汚らしい言葉遣いが飛び出るわけではないけど、何となく。
「逆に私が聞くか。どうですか近況は、順風満帆ですか」
「どうかなぁ。黎夢は追い風に乗ってるけど、私はー……」
「後ろから団扇で風を起こしてる?」
「まーそんな感じ」
それにしても、二人は一体どういう絆で結ばれているんだ。いやまあ、普通の人をインストールして考えるなら、恋仲ということになるんだろうけど、ただ名前を付けただけで、ちゃんとした理解に至れた感じがしない。うぅーん……、特に意味はないけど、箸を止めてまでして、じーっと明世を見つめた。
「しまちゃんみたいな事するね」
「な、なんでそこで鏡花が出てくるのさっ」
「がすよの隣と言えばしまちゃんですから」
「隣って……。じゃあ、モロックマの隣と言えば宇野木さんってことでいいの?」
「はっ?それは違うじゃん……違くはないけど……ほら、ねー?」
一体、何を警戒してきょろきょろ周囲を見渡しているのやら。もしかして、人は普遍的に、追い詰められると鏡花みたいになるのかもしれない。
「二人はー、その、付き合ってるってことでいいの、恋人同士なの」
「えぇー、どうしてそんなこと聞くの、聞いてどうするの」
「断言できないの?それともセフレみたいな、人には言えない関係なの?」
「せっ、スフレ!?カヌレでもサクレでもないからっ!」
「悪かった悪かった。でも気になるんだよ。なんか言ったの?なんて言ったの?」
「えぇーっと……、私の場合は、いきなり付き合おーって、あれは確か帰り道で突然言われて、でも断る理由もないから承諾した、って感じだけど……」
あの日、鏡花がそんな風に、あまり重苦しくなく、でもはっきりと明言してくれれば、こうやって明世のプライベートを詮索しなくて済んだのに、まったく、鏡花はいつまでも詰めが甘いんだからっ。理不尽な怒りが沸き立った。
「もしかして、本気でしまちゃんのことが好きになっちゃったの?」
「そ、それはっ!……事実だから否定できないけど、というか、それは多分伝えられたんだけど。ねぇ、どうやったら付き合ってることになるの……?」
「うーん、難しいことを聞くねぇ。確かに、前々から積み重ねてきたものがあるから、あの人の告白をその場で承諾できたし、その実感を持ててるわけだからね。結局、日々の蓄積なのかもしれない」
「一緒にいる時間って評価軸なら十分……と思ったけど、最近だとこの間の一日だけだから、やっぱり時期尚早なのかなぁ……」
「あまり焦ってステップアップする必要もないと思うけどね。多分、私たちもそうだけど、恋愛は恋愛でも、この関係は友達の延長線上にあるもので、飛躍が必要なわけじゃないから。誰に何と言われようと、どれだけ遠かろうと近かろうと、一番心地のいい距離を探って、それに甘んじる。それくらいの心持ちが健全だよー」
私は焦って……るな。あの時は本当に、自分でそう仕向けたのもあるけど、人生で一番精神的に追い詰められていたのもあって、最低限しか確認できなかった。それにどん底を知ってしまったせいで、もうあそこには戻りたくなくて、まるで自分が生き残ることしか眼中にない獣のように、鏡花を手繰り寄せている。一つ救いなのは、弱り切ってて、垂らされた糸なら見境なく掴んでしまうような精神状態だから、明世の意見を受け入れられる事だった。
「というか伝えたってことは、この間の一日会った時に、告白したってこと?」
「うん、鏡花に会うために、関西まで行ったんだよ。まあ、駆け込みで告白みたいなことしちゃって?いっぱい謝って、いっぱい愚痴を溢して、それから…………」
あの日の記憶はとても強力で鮮烈で、思い出しながら話しただけで、記憶の中で息をしているような感覚に陥る。そのせいで、要らぬことまで一生懸命口を滑らせていた。
「あのーがすよさん?恐らくしまちゃんは、付き合ってるつもりだと思いますよー」
「そう、なの?」
「えぇ……。そっそんな濃密な夜を過ごしておいて、確信が持てないって、だいぶ重症みたいね……」
「しょうがないじゃんっ!初めてなんだからっ!」
「私だってそうだよ。まああれだ、がすよが私に相談なんて、少しほっとしたよ。変わったね」
「何、褒めてるの」
「私が人を貶すことがあるとでも?」
明世にそう言われたら何も言い返せない。明世はいつも正しくて優しい。だから今まで、二人きりで膝を突き合わせて話そうだなんて思わなかった。ましてや、自分の失態をわざわざ報告してしまうなんて、それこそ自分が一番気を付けていたことなのに。
だけどまあ、明世が真摯で献身的なことは、そういう所が一番嫌いだった私が一番身に沁みていて、相談するなら明世一択、と選択肢を知らず知らずのうちに狭めていたみたいだ。そんな明世こそが、先輩と形容するのに相応しいのかもしれない。
「またいつでも相談してよ。しまちゃんの近況も気になるし」
そんなことを言われたけど、適当に俯いて、ご飯を食べるのに戻ったふりをしてやり過ごしていた。私は、鏡花ほど自分の感情を表現するのが上手くないんだ。




