10-3
地に足を着けて両足を揃えて、惹かれるように青空を振り仰ぐ。一日として同じ空はないと思っていたけど、そんな事もない気がした。運動会、遠足、実家を発った日、記憶の中の今までの青空がその時、全部同じに感じた。どれだけ手を伸ばしても辿り着けない、底なし沼のような空だった。まあそれは、無限を秘めているという意味でもある。
「どうした?鑓水」
「いや何でも」
「そっかー。……来ちゃったねー大学」
「オープンキャンパスで一度行ったけどね」
「じゃあ、なっちゃったねー大学生」
背後で乗ってきたバスが唸りながら発進して、それと同時に清籟が新緑に活力を振りまいていく。私にもその気合いを分けてほしい。そう、空を見上げて決意を新たになんて、高尚な思考回路は持ち合わせてない。ただ、目まぐるしく移ろう景色に、自分の精神が追い付いてないという齟齬が、少し不安になっただけだ。まだまだ高校生でいられるのに。
「随分、遠くまで来てしまったような気がする」
「実際、ここじゃわたしたちは田舎者だからね。えっとー、オリエンテーションの場所ってどこだ?ここか?」
「えー、学部からして違うけど」
「んー、んー??」
安栗は目をスマホに擦り付けるようにして、キャンパスマップを解読している。ここは一つガツンと言ってやりたいけど、それで余計に焦って迷子になったら私も困るので、黙って周りの人の流れでも観察した。同じ学科の人に付いていければいいんだけど。
「あっちだー」
「本当?信じるよ」
「盲信しないで、自分でも考えて」
「んまぁー、立ち止まっててもしょうがないし、行ってみるしかないでしょ」
「それもそうかー」
時間も時間なので、少し急ぎ足で安栗が指さした建物に猛進した。
「友達できるかなぁ」
「あら、安栗ってそういうこと心配するんだ。危機感が皆無なことが取り柄なのに」
「まあ、何とかするさ」
「あーうん、頼んだ頼んだー」
と、冷やかしてみたものの、どちらかと言えばこれは、私のほうの問題だった。趣味はたくさんあるから、その内のどれか一つに引っ掛かってくれれば何とかなるか……?一番いいのは、安栗の隣でおこぼれに与ることだけど、だからこそ安栗が弱気だととても困る……。
まあ、世の中たいていのことは杞憂だ。ハインリッヒの法則に惑わされてはならない。つまり、安栗が頼りになった。オリエンテーションが終わると、安栗はさっきの心配が嘘のように、見境なく周囲の人に話しかけていった。
「出身はー?私は秋田市なんだけどー」
「新潟市だよー」
「うおー、雪国出身同士、仲良くしよーよー」
「よろしくねーっ」
「隣の子とはどういう関係?」
安栗と一緒になって、体をよじって後ろの席を眺めていると、向こうから聞いてくれた。心の中では、キタキターっと盛り上がっていた。
「こっちは鑓水、高校の時からの友達」
「鑓水です、よろしくー」
「いいないいな、私もそういう友達ほしかったぁー。仲良かった人、みんな違う大学に行っちゃったからなー」
こんな感じで、無事に近くの席の何人かと話して連絡先を交換できて、さらにこの後、昼ご飯を一緒に食べることになったので、とりあえず初動としては及第点だろう。まあ、安栗にフリーライドしただけなんだけど。
「はぁー、疲れたー……」
自分の家に戻ってきた安栗は、手洗いうがいはおろかコートも脱がずに、ベッドに大の字に倒れこんだ。
「安栗も疲れるの?誰にでも簡単に気を許してしまうような、そう、動きが緩慢で人に警戒心のないアホウドリみたいな奴なのに」
「えぇ?そりゃまあ。何だろう、大学って行くだけで疲れるな」
「高校より近くなったはずなのにね」
「家が近い人ほど遅刻しがち、これこの世の真理」
「あんまり遅刻しないよう、お互い協力しよう」
「だねー」
で、このまま穏やかな時間が1時間ぐらい流れてから、日没と同時に私が自宅に戻るみたいな計画だったのだけど、安栗は急に跳ね起きて、余計なことを口走りやがった。
「ふは、時間割を考えなくてはっ」
「おおーい、その話はするなーっ、聞きたくないーっ」
「早めに決めておいたほうが安心でしょ!」
「急に正論を言うな!お前の正論は胡散臭いんだよ!」
とは言え、二人で決めれば、お互いに責任を擦り付け合えて、そこまで思い悩むこともなかった。たとえ安栗という平凡に無気力な奴でも、気心が知れているという一点だけで、それなりに助かるんだなーと、こんなことを常に実感し続けている。特に意識せずとも自然に安栗を盾にしていて、それを悪びれようなんて気はさらさら無いけど、私も安栗にとってそういう存在でありたいと思ってしまったから、まあ単純にプラマイゼロにしたいだけかもしれないけど、ともかく何かを返してあげようと立ち上がった。
「お腹空いたな」
「私が何か作るよ。どうせ一人暮らし始めてから、コンビニ飯しか食べてないだろうから」
「えー、鑓水って料理するのー?」
「私がしないことは、あんまり無い」
「それもそっかー。じゃ、お願いするね、楽しみにしてるー」
こうして軽い気持ちで、恩返しのつもりで一度作ってしまったが最後、これから毎度期待されるようになった。まあ……、私たちはそういう生き物だ。お互い期待し合って日々をこなしている。きっとこの先も、永遠ってことは無いだろうから、しばらくの間は。
街並みと調和する白鷺のように純白な壁を持つ小屋のような洋風の建物、可愛らしくもある外装とは裏腹に、そこには確かに歴史が息衝いて、私の知らない時代を乗り超えていて、それを静かに湛えている。入店する前から少し胸が躍る。
そんなに腰を据えて始める気はなかったんだけど、カフェ巡りに普通にハマった。今日だってわざわざ電車に乗ってここまで来た。無論、安栗とそのぬいぐるみも同行している。一緒にこの坂道を登ってきた。
「暑い暑い……。もう夏といって差し支えない」
「明日から雨で冷えるらしいけどねー」
「雨……の日は元気出ないから、曇りにしてくれない?」
「注文してみたら?」
「その手があったか」
店内は白と青で統一されて、シックで落ち着きのある雰囲気だった。そして入口とは反対側には大きな窓があって、店内に柔らかい光の波をもたらしてくれる。空いていたので、窓のすぐ横のテーブルを使うことにした。丘の上に構えているので遮るものが無く、高層ビルたちが織り成すスカイラインまで眺めることができた。
せっかく昼ご飯を控えめにして来たので、私はイチゴのパフェを注文した。安栗は……大体いつもクリームソーダを頼んでいる気がする。そろそろ一家言が芽生えてそう。
「鑓水がパフェに目を輝かせるなんてね」
「なんだ、悪いか」
「いや?ただ、なんか、鏡花ちゃんを思い出すなーと」
「私を見て、あんな理外の理を思い出さないで」
「二外の中国語?うっ、その話は辞めてくれー!」
「言ってないし、そんなに激しく動揺すること?」
安栗は紙ナプキンを握りしめて、なんか、警察の厳しい取り調べにも負けず、無実を訴えているかのように呻吟し始めた。
「誰だよ、中国語は簡単とか言った人!」
「苦しいのは私も一緒だから、ね」
「それならいいか」
「いいんだ」
あまり深刻に悩んでも仕方ない。それは私たちにとって合言葉であり免罪符であり、共通の価値観であった。スプーンでアイスをすくい、すかさずメロンソーダを流し込んで、満ち満ちた表情の安栗を見て、来週の小テストのことを忘れる勇気をもらった。
「大学生活にも慣れてきたよねー」
「さっき二外で悶絶してた人の台詞とは思えない」
「悶絶するまでが慣れってことよ。高校生の頃だって、最後の定期テストまで、阿鼻叫喚の連続だったじゃん」
安栗に言い包められた感じがするの、すっごい癪だ。よって首を傾げた。
「しかし、良かったの?江の島に行くの、誘われてたんでしょ」
「だからあれは、車が四人乗りで、鑓水が乗れないから断ったのっ」
安栗にしては凄んで啖呵を切ってきたけど、こちらとしては大変反応に困りまして、だんまりが幕を開けた。
先に目を逸らしたのは私だった。安栗の顔より、パフェの中身が気になったのである。
「わたしも車の免許を取ろうかしら」
「これまた急に。取って損はないだろうけどさ」
「そしたら、自分から人を誘いやすいんじゃないかって思った。というか、そうでもないと、わたしを誘う理由って無くない?」
安栗は頬杖を突いて、こちらをまっすぐな瞳で射貫いてくる。自分も他人のことを言える立場ではないが、相手が切り返しやすい発言を心掛けてほしい。そして、普段と変わらない温度感で、共感を求めない自虐に走らないでほしい。
「んーと……、違うかもしれないけど、安栗って自分のこと、薄っすらとだけど、あんまり好きじゃないよね」
「あぁー、それはそうだよ。嫌いじゃないけど好きでもない。わたしは凡庸だから、誰かを笑わせたり、喜ばせたり、心の滓を取り払ったりできない。一人でいる分にはそれでいいけど、誰かのためにはならないじゃん。逆に聞くけど、鑓水は自分のこと好きなの?」
「好きとか嫌いとか、考えたことない。他人に意識を乗り移せるならともかく、選択肢がない以上、好き嫌いを考える余地がないって感じかな」
「いいね、その考え方。採用しようかなっ」
「えぇー、できるもんならやってみな」
「任せとけー」
雑ににやにやと笑いながら、安栗は胸を張った。本当に悩んでんのか?とツッコミたくなる。いや、結局のところ、そういう性格、つまり全ての問題を真剣に悩めないんだろう。それはいいことだ。
ただ、コミュニティーの中で輝いて、安栗の安っぽいちっぽけな自尊心が満たされて、弱屈託が解決するに越したことはないわけで、うぅーむ……、お腹いっぱいになってきたから、層状のパフェをバランス良くすくって、腕を全力で伸ばした。
「おら、食え」
「えっぐあっ」




