10-1
ある初夏の日の放課後、安栗と鑓水に誘われて近所のショッピングモールにやって来た。二人に誘われるのはこれで何度目だろう。最初の頃はやっぱり緊張したけど、縁佳を介してくれって心の中で悲痛な叫びを上げていたけど、さすがに慣れてきた。縁佳と一緒にいると安心と緊張の両方を覚えるけど、この人たちには弱安心ぐらいしか思わない。二人とも、あんまり肩肘張らずに生きているからだろうか。
「どっちがいいかな……。うわぁーっ、迷うぅーっ」
「お前、悩んだところで得したことないでしょ。なんて無益な時間」
「悩んでいるのではなく、迷っているのだ」
「知らんけど、理由とか気分とか、そういうのは全部投げ捨ててでも一旦は決めないと。買ってしまえば、こっちで良かったって勝手に思うようになるよ」
「確かに!欲しくないほうを買えば、たとえ汚れてしまっても諦めがつくもんね!」
「そうは言ってない。はぁ」
一息吐くように溜息を吐いた鑓水を無視して、安栗は第三のぬいぐるみをレジへ持って行った。そしてそんな軽やかな足取りの安栗の背中を、鑓水はじっと見つめて、戻ってくるのを待っていた。私はさらに後方で、そんな二人を一緒くたに眺める。何だか、その、疎外感を通り越して、映画館のスクリーンの向こう側の出来事を、見させてもらっているかのような心持ちになった。
「あぁっ、ごめん鏡花さん。安栗の銭失いに付き合わせてしまって……」
鑓水は夢から醒めたように振り返って寄ってきた。
「えっ、いやっ、全然いいっていうか、たっ楽しいよっ?」
「そ、そっか……」
「本当だよ!?社交辞令じゃないよ!?」
「え、知ってる知ってるっ。こっちこそただの社交辞令だよー」
「社交辞令?そうだったの鑓水ぅーっ」
戻ってきた安栗は、中途半端に会話の末端が耳に入ったせいで、鑓水の肩を揺すりながら、目を丸くして泡を食っていた。
「いやちがっ、えーっと……、違うから離れて!」
「こんなに長い付き合いなのに。ひどいよね、鏡花ちゃんも糾弾してやってよ」
「え、えぇ……」
観客に戻れそうと思って油断していたら、視聴者参加型企画だった。しかしまあ、ここで力を出し渋ったら、またどこかで鑓水と謙遜合戦をしないといけなくなるか。私は散逸する意識を統一しながら、大きく息を吸った。
「ば、ばかー」
あ、あれ……?私なんか変なこと言ったかな?血の気が引いてきて、思わず目を伏せてしまった。ホワイトノイズの高波に、自我が飲み込まれそうになる。または白銀の雪に揉まれながら急斜面を滑落しているような……、どっちでもいいけど、縁佳に手を引かれて助けられたいなぁ……。
「きゃわいいいいーっ」
「うわわわわ」
「ちょっと、安栗!」
「痛ったっ……、いやつい、ついつい、めっちゃ可愛いくて」
飛び掛かる安栗の脇腹を、鑓水があまり遠慮なくパンチする。でも助かった、危うく安栗のぬいぐるみコレクションに加えられるところだった。
「両手で抱えながら歩きたい……」
「今買ったそいつが草葉の陰で泣いてるよ」
「まだ生きてるよっ!」
ぬいぐるみは生き物じゃないって正論が、私の前頭葉を席巻しているけど、もしかしたらそこが逆鱗かもしれないので、他の疑問で置き換えることにした。
「んーー、その子を抱きしめながら帰るつもりなの?」
「そうだよ!そもそも、持ち歩き用のぬいぐるみとして買ったんだからー」
「そんな用途があるんだ」
「ないよ、安栗が勝手に言ってるだけ」
鑓水が冷ややかな現実的な視線を向けると、安栗はそれから逃れて救いを得ようと、いっそう強くぬいぐるみを抱きしめるのであった。自分の意志を堅持してて偉いなぁと思う反面、意地を張りすぎると縁佳みたいになってしまうので、何事もバランスが肝要なのだろう。教訓になった。
何はともあれ、安栗がぬいぐるみにメロメロになっている姿は、同じことを縁佳がするよりは見劣りするけど、まあそこそこギャップがあるので、モールの中を並んで歩きながら、面白半分でその横顔をしばし眺めていると、これまた目が覚めたかのように、頭をばっとぬいぐるみから離して、幸せをお裾分けしようとしてきた。
「鏡花ちゃんも触る?」
「え、あぁー、じゃあ、一応……?」
安栗をそうさせるほどの魔性は気にならなくも無かったから、私は人差し指を伸ばして、まるで飛ぶことだけでなく泳ぐことも諦めたペンギンのようなキャラクターの頬を、何度か突いた。
「よっすーとどっちがいい?」
「えぇっ!?どうしてそういうことを聞くの、ねぇ」
「よっすーってもちもちだよなー」
「えぇっ!?そうなの、気になるじゃん、ねぇ」
そう言えばこの人、前に縁佳の懐に、何の躊躇いもなく飛び込んでいたんだった。なまじ縁佳のことを理解っている私には、到底無理な芸当だ。羨ましいけど、腹の底にとんでもない恨みを抱えられそうで、遠くから目を輝かせるのも憚らないといけなくなりそうで、でもこの私なら許されるべきだって迫りたくもなって、何より縁佳の、すべすべで透明感があってきめ細やかな頬っぺたを、独り占めしたくて、想像しただけでパニックになる。
「私だって触りたいよ。あんなの反則じゃん……」
両手で自分の頬を覆ってみたら少しは冷えるかと思ったけど、すでに指先まで汗でびっしょりで、むしろ熱が籠って爆発しそうになった。まあ、冷え性知らずということで、喜ぶべきなのかもしれない。爆発したら元も子もないけど。
「あの、鏡花ちゃん……?やば鑓水、デッドヒートしてる」
「オーバーヒートじゃないの?そ、それとも何だ、恋敵になるっつーのか!?それはその、この私が許さんぞーっ」
「なぜか鑓水まで壊れちゃった」
「うぅーるさいっ。それよりどうすんの、よっすーのこと想像しちゃって、赤提灯みたくなってるけど」
「お酒の入ったうちのおじいちゃんみたいだー」
「笑ってる場合かっ」
「痛ったっ」
「体幹つよっ」
で、青春というのは生ものなので熱に弱く、一時的に記憶が吹っ飛んでいた。気が付くと、たくさんの輸入菓子に取り囲まれていて、そこはもう、アルカディアのようだった。楽園に吹く風は、香ばしく香しいらしい。
「やっ鑓水さんは、こういう店によく来るの?」
「うん、たまに出掛けた時にねー」
「もう、高校生のうちからこんなに舌が肥えちゃったら、将来大変だよ?」
「まあー、たぶん鏡花ちゃんのほうがハマったらおしまいだよ」
「食べる量だけなら、甲子園に行けるもんね」
「私は競って食べてるわけじゃないんだけどっ」
私が腕をぎゅっと組んで睨み付けているのに、一笑いが終わると、鑓水は陳列棚を物色し始めた。その姿は心なしか生き生きとしている。どんなに朴念仁な人間でも、ある一面においてはかくあるべきである。また縁佳の不機嫌な顔が脳裏に投影されて、そう強く納得した。
「これ美味しいんだよー、ポルボロン」
「これはークッキー?」
「口の中でほろほろ溶けてく食感が特徴で、とっても甘いんだけど」
「甘ければ甘いほどいいんだから」
「口の中に入れて、崩れる前にポルボロンって三回唱えると願いが叶うらしい」
鑓水がほんのり笑顔を浮かべながら、流し目を使って、こちらを少しばかり触発してくる。そんな挑発に乗ってやらないんだからと、私は精一杯平静を装った。
「おぉー、どうだった?」
「願いを認識してないのに、何かが勝手に叶われても困るからやったことない」
「願ってもないってやつかな」
「あとこれも美味しいよ、ミンスパイ。クリスマスから12日間毎日一つずつ食べると、幸運が訪れるんだってさー」
「今は全然クリスマスじゃないけどね」
「バームクーヘンって発祥国のドイツじゃ、格式高いスイーツらしいね」
鑓水は再び横を向いて、私の瞳に照準を合わせてきた。
「そ、それで?」
「うーん……。結婚式の引出物にしたら?」
「びゃっ、ばかーっ」
もう我慢ならないので、というか、これ以上揶揄われると恥ずかしさのあまり奇行に及びそうなので、その澄ました顔に向かって常識の範疇で叫んでみる。対する鑓水はふふっと笑うだけだった。
「鑓水、あまり人を弄ぶでないー」
「いや、安栗が言えたことではないでしょ」
「はぁー……」
「うわわ、ごめんごめん、私が悪かった」
「挙式するのも悪くないなぁ……」
「んー、えぇ?」
祝典を行えば、その関係はより確実なものになるんじゃないかって思った。というか、そういうのを抜きにして、関係を維持できる自信がない。そこまで大それたものじゃなくても、一般的に尊ばれる通過点を、一つ一つ丁寧に積み上げていきたい。私が突っ走り続けることが前提の関係なんて、いつ崩れるか分からない。そもそも、一人で突っ走り続けられるのなら、縁佳を求める必要もないんだから。
自分の底知れぬ野望に対する解像度が、少しだけ上がった気がした。まあ、どれだけ巧みに言語化できたとしても、縁佳と疎遠な今の状況では、何の意味も持たないんだけど。
「あまり思い詰めないほうがいいよ。高校生活最後の一年、ちゃんと楽しまなきゃもったいない!」
「まぁー……、それもそうだね。今は二人と買い物をしてるんだから」
「どうした安栗、何か頭に打った?」
「ノンノン、俯瞰してみてくださいよ。この三人の中でわたしがずば抜けて身長が高くて、それはもう保護者みたいじゃない?だから、わたしがしっかりしないとって思ったー」
さっきまで後ろで腕を組んでいた安栗が、私たちの肩に手を乗せる。それくらいの扱いなら明世に幾度とされた気がするので、私はどうでもいいんだけど、鑓水は暴走し始めた。
「あぁーもうっ、すこーし身長が高くて、スタイルが良くて、シルエットも綺麗で、それなりに筋肉質だし、何というかこう、然るべき箇所は隆々としてるだけのくせにっ!」
「見たの?」
「え?ちがっ違うよ!?」
「違うの?」
「なんで安栗が訝しむの、見せた覚えあるの!?」
安栗は鑓水の視線に、飄々と鷹揚とした態度で応える。鑓水がなんか悔しそうにいがんでいる。明世が私によく干渉してくる理由が分かった気がした。……だいぶ鑓水の僻み癖が移っちゃった気もする。
まあでもとにかく、私たちは夢の中を泳いでいるわけじゃないし、今この瞬間を今いる友達と共に、後ろめたさ無しに楽しまないとね。そういう風に考えられるようになった事に対してもいちいち縁佳の影を浮かべながら、気と矜持と落ち着きを取り直した鑓水の買い物に付き合った。




