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紙にシャーペンを滑らせていると聞こえてくる、カリカリとかパシパシといった音が小気味よく、環境音としてずっと耳に流しておきたくなる。けど、これは私たちの頑張りから生まれる努力の証であって、手を止めてしまうと途端につまらなくなって、やる気も失せる。
どうして、安栗の家にまで来て勉強してるのかと説明す……るまでもないか。4月から三年生になるんだから、ごろごろしてる場合じゃないよねって、二人で腹落ちし合っていた。無論、気は進まなかったけど、もしかしたら一人でするより、二人でやったほうが捗るかもしれないし、物は試しということで。
「安栗ー、71ページの大問4、わかるー?」
「おあっ、同じ所で詰まってるじゃんー。解説読んでも分かんなかった」
「じゃあ、73ページの大問1は?」
「そこも分からんサヴァラン」
「おやつをお求めかい?」
「ん……、ん?」
安栗はバラードを聞いてるかのように、首を左右にゆったりと振った。おやつの誘惑に悩んでるのだろうか。
「ん、じゃないが」
「サヴァランってなんだ?」
「知らんのかい」
それはそうと勉強に関しては、意気投合できたら一番まずいところが合致してしまったので、全然捗らなかった。とりあえず、勉強が終わったら食べようと話してた、ラスクの箱を机の上に置いた。そもそも、勉強に終わりなんてないわけで、この了見はあまりに浅はかだった。
「うんー、湿気ってない、さくさくだー」
「お、これ美味しい。……私たちって集中力ないね」
「確かに、勉強を止めてまでお菓子食べたら、罪悪感が出てきた。うーん、進路の話をしたら帳消しになったりしないかな?」
「進路の話?」
「てか、鑓水ってどこの大学行くの!?」
そんな、食い気味に聞かれても、何一つ見通せてないことぐらい、知り合って三年目なんだから、予測できないものなのかねぇ。
「中学生の頃の私のままだったら、もう意を決してたかもね」
「県外に出るなら一人暮らしだし……。やってける気がしねぇーよー」
「それはそう」
「ん、じゃあ、二人暮らしにするか」
「はぁっ、お前急に何言い出すんだよっ」
これまで順調に会話できてたのに、ラスクの欠片が変な所に入ってむせた。安栗とシェアハウスなんて……、一応キャラクターとして拒否反応を示してみたものの、冷静になって考えてみれば、意外と何とかなるのかな……?生理的な嫌悪感は当然ないし、でも、今以上に密接に関わるようになったら、もしかしたら嫌なことの一つや二つ見つかっちゃうかもしれないわけで、どう考えてもナシだナシ。やけくそのように、咳払いをした。
「でも、ハウスをシェアすれば安上がりだよー」
「暮らす上で面倒なこと、全部押し付けようって企んでるでしょ!ゴミ出しとかさ!」
「まっさかまさか、そんなメリットがあるなんて気付かなかった」
「絶対やだ、私にメリットないじゃん。無理無理、甘やかしてくれる男でも見つけてろ」
「えぇー、そこまで言わなくてもいいのにー。大丈夫、ぬいぐるみの手入れはちゃんとするから!」
「全部持ってくつもりなの!?」
「当たり前でしょ、宝物だもん!」
「あっ、うん、まあそうか」
最初のうちは懐疑的だったが、実際にぬいぐるみを抱擁してみると、幼心が蘇って心が温まってリラックスできた。だから、一人暮らしを始めてからも、部屋にぬいぐるみを置いといてくれると、私もその恩恵にあやかれるかもしれない。というか、安栗の部屋であるからには、ぬいぐるみで満たされてないと落ち着かないかもな。
ラスクを食べて、口の中の水分が持ってかれたのか、安栗は麦茶をコップに注いで、一気に飲み干すのを二回繰り返して、それから机に肘を突いて、嘆き掛けてきた。
「しかしねぇ、本当に大学どうしようかなぁ。東京行くかー?」
「立地で決めるのもありなのかな」
「鑓水は東京とか福岡とか、都会に興味ないの?」
「都会はカフェ巡り一つとっても、終わりが見えなさそうでいいなーとは思う」
「いいな、粋な趣味だな、あやかりた……じゃなかった、わたしも付いてきたいー」
「あぁ、んー?」
「どうした?」
「何か、同じ大学に通う前提で話してない?」
「おぉ!それでいいじゃん、鑓水と同じ志望校にしようそうしよう」
安栗は瞳孔をかっぴらいて、ぱちんと音を鳴らしながら手を合わせて、世紀の発見かのようにそう言った。安栗がリアクションを取る度に机が振動する。毎度毎度、リアクションが大げさだな。
「同じにする、ねぇ。どっちか落ちたらどうするの」
「え」
「さすがに念頭に置いといてよ」
「わたしたちに限って、ありえんありえん」
ギャグで言ってるのかと一笑に付そうと思った矢先、さっきまで机の大半を占拠してた問題集が目に入る。正解数が等しいなら、一緒に受かるか落ちるかの二択か。やけに腑に落ちてしまった。
「いやーでも、これは結構アリだと思うよ。実際、ちょっと不安じゃん?右も左も分からない見知らぬ街で、ちょっとヤバい奴もいるかもしれなくて」
「まあまあ、そこまで弱気になることもないでしょ」
「そんな中で、鑓水がやっていけるような気がしない!」
「私かよ!」
「だって鑓水、新しいクラスになっても、自分から話しかけたりしないじゃん」
「いや、去年は安栗がいたから。わざわざ知り合いを増やさなくてもいっかなーと思っただけだよ」
「えぇ~?」
しゃくり上げるような声で驚きやがって。本当に、他人への気配りが適当な人なんだから。
「わたし、最近勘繰ってることがあってね」
「安栗の直観ほどあてにならないものはないよ」
「鑓水って、実はわたしに感謝してるのではないかと」
「んんー??何言ってんの、妄想は然るべきSNSに垂れ流してくださいー」
「じゃあ、わたしと仲良くならなかったほうが良かった?」
「それは話が違うでしょ。んーーーー、んがぁーっ、安栗と友達になれて、楽しかったことも沢山あるけど、感謝、感謝?運だろ、運」
急に頭がかゆくなったような気がしてきた。なんでそんな事を言わせるんだ、よそよそしくなりたいのか?
「考えすぎだったかー」
「そうだよ。というか、安栗って他の友達に対して、そういうこと考えるの?」
考え事があまりにも似合わないもので、つい尋ねてしまった。
「鑓水は特別だよ。だって……何かが他の人と違うし」
一年生の頃とか、安栗の面倒を見てるとさえ思ってたんだろうけど、いつしか強烈な怠惰に自分も呑まれて、そのことも忘れかけていた。いつの間に逆転したのやら、何なら最初からずっと、心配され続けていたのかもしれない。
でも、そのことを屈辱だって怒る気にはならない。何となく結果的にではなく、安栗が明確な意志を持ってそうしてるとなれば、私はきっと安心できる。そのおかげで、挙句の果てに安栗と同じ道を選ぶという予感も、正当化されたように感じた。
「……なっなんか、独特な雰囲気を纏ってるから……」
返事をサボってると、安栗が墓穴を掘り始めた。曖昧にしておけばいいものを、というか、曖昧だからこそ特別なのに。
「それ、悪口では?」
「芯がしっかりした感じって意味だから。どこも悪口じゃないよっ」
「皮肉のほうでしたか。うん、カッターで頸動脈でいいかい」
「鍛えてるから、大丈夫」
「腕立てもままならないのに?」
「わたしの筋肉は、観賞用の使えない筋肉なんだよそうなんだよ」
「何だそれ、全身不随意筋ってこと?不便そうだなぁ」
「まあいいや、勉強再開するかー」
突如そう言って、安栗は逆さにして床に置いていた問題集を机の上に戻した。話の流れとか、そういうのはこの際どうでもよくて、このままずっと、一生涯は無理でも、 “子供” じゃなくなるまでは、雑談しながらだらだら過ごしていく心構えが、私の中で醸成されつつあったから、そんな風に一念発起されると、何かが揺さぶられたような気になる。
「え、マジで?」
「勉強は、しておかないとねーっ。」
「まあ、それはそうだけども。大学に行くっていうこと自体が夢物語になっちゃったら困るし」
「そうじゃなくて、何かしなきゃって焦燥感で落ち着かないんだよー」
「それ分かる。勉強してれば許されてる感じするよね」
「だけど、なんか足りない気がする。体がもっと頑張れって言ってくる……」
手が止まってるからでは無いだろうか。かく言う私も、安栗の様子が気になって、全く集中できない。友達の真面目な姿って、つい茶化したくなってしまうものだ。
「んー、二人いるなら高めあってみる……とか」
「それだぁー。73ページの大問3、教えてくれー」
「えー、それぞれ係数をs,tって置いて、s+t=1って条件を課せばいけるんじゃないのー」
「なんでs+tは1なの?」
「え?解説にそう書いてあるから」
「そっかー。……予備校にでも通おうかな」
「いい所見つけたら、教えてくれー」
「大学だけじゃなくて、予備校まで他力本願かよ」




