9-2
ホテル特有の、ふかふかのカーペットを土足で踏み進む独特な感覚、非日常が味わえて、少しだけ心が躍る。夕食が終わったので、自分の部屋に戻ろうと、350という番号の部屋を探している。それにしても、思ったよりお腹いっぱいにならなかったなぁ。旅館というかホテルのご飯って、満腹度というか満足度が命なような気がするけど、修学旅行だからって、手が抜かれてるんだろうか。まあいっか、腹八分ということで。
ふぅー、戻ってこれたー。……って、鍵がかかって開かない。先に戻るって言うから、安栗に鍵を託してしまったのである。どこで油を売ってるのやら。はーあ、私が鞭を打ってやらないと、すぐに刹那的な悦楽に流されるんだから。
電話を掛けて呼び出そうとしたその時、後ろから話しかけられた。
「鍵、持ってないんですね」
「えっ、あぁうん、安栗が持ってっちゃって……」
この芳瞠とかいう人、目が据わってて感情が乏しそうで、嫌いではないけど苦手意識がある。授業中に、訳もなく捕食者のような視線を送ってくるのは、いくら何でも勘弁してほしい。まあ、私は根が臆病……事なかれ主義なので、悪気があるわけじゃなさそうだし、未だに本人に伝えられてない。
「暇なら289号室にお越しください」
「な、なんで……?」
正直、めっちゃ怖い。そんな無表情で抑揚のない声で言われたら、どう考えても罠にしか聞こえない。やけに鼓動が早くなってるのを感じる。おかしい、絶対おかしい、同級生にいだいていい感情じゃない。
「なんでって、ただ皆で集まって、お喋りしましょうってだけですよ。お菓子もたくさん買い込んだので、ぜひぜひ」
「他に、誰が参加するの?」
「うちのクラスの人だけですから。お気楽に参加ください」
うむー……、仮に安栗が戻ってきて、自分の部屋に入れたところですることは無いし、もしかしたら安栗はそっちに行ってるのかもしれないし、ともかく芳瞠の部屋に向かうことを決めた。
で、言われた通りに289号室に赴くと、一般的なビジネスホテルのツインの部屋に、クラスの半分ぐらいの女子が、所狭しと集っていた。安栗は居ないし、同じクラスとは言っても喋ったことないような人がちらほら寝っ転がってて、少し心細さが燻ぶった。私は、選択を誤ったのか……?
「鑓水ちゃんだー」
「あっ、どうもー、芳瞠に誘われて来たんだけど……」
「こっちおいで、空いてるからー」
クラスの中で一番快活な子に手招きされて、その横に滑り込む。……目が泳いでしまう。右隣も左隣も、面と向かって話したことないような人で、いつもより一回り自分が小さくなったような気がする。常日頃、安栗のやけにでかい図体の威を借りすぎてたかもしれない。
「お菓子は自由に食べていいからね」
「あぁうん、頂きます」
そう返事したはいいけど、やっぱり手を伸ばすのが憚られる。安栗の家なら気楽にバクバク食べるんだけど、慣れとは恐ろしいな……。
「やっぱりあいつはダメだよ、想像を絶する馬鹿だし、話も面白くないし」
「すこーちからしたら、三人を除いてあと全員馬鹿みたいなもんでしょ」
「いや、あいつは常識がないタイプの馬鹿だから。辞めときな、顔がいいからって、付き合うと後悔する」
「すこーちは容赦ないなぁー」
「私も引く手数多になりたいー」
「ぺるみは何というか……影が薄い?」
「失礼千万な奴だなっ」
人の気さくな恋愛譚を、片膝を抱えながら聞いていた。そう言えば、夏休みにおばあちゃんから、彼氏はできたのか、なんて、健康を気遣うかのように聞かれたものだから、恥ずかしながら大いに慌てふためいたなぁ。しかし実際問題、この私が誰かと付き合うことなんてあるんだろうか。んー、んー……、想像できないな。中学生の頃は趣味の都合上、男子と話す機会も多かったけど、高校に入ってから、というか安栗と行動を共にしてからは、女子としか話してない。今後は……何となく自立することばかり注力しちゃって、気が付くと薹が立って、そんな将来が見えてきた。
当たり前だけど、私が割って入れるようなトークテーマからはどんどん離れていく。まあこのまま息を潜めて、普段聞くことがない物珍しい話題を楽しむことにしよう。
「鑓水ちゃんは、そういうの無いの?」
「え?いや、えぇー……」
前述の通り、気になってる人なんて居るはずもなく……。しかし、ここでそんな淡白な回答が許されるだろうか?メインで話題の前線を張ってる人たちが、一斉にこちらを向いて、私の恋愛譚を求めてくる。せっかくすこーちが、話に付いていけて無さそうだったからって、輪の中に放り込んでくれたのに。安栗もそういう所があるんだよなぁ。もちろん、そうされる事を好まない人もいるだろうけど、私は結構助けられてる。けど、これには困ってしまう。すぅーっと息を吸って、更なる助け舟を待ってみる。
「もしかして、鑓水ちゃんって中学、女子校だった?」
「えっ、全然?どこにでもある公立っていうか、大体そういうとこって、中高一貫じゃないの?」
「むしろ逆でしょ。女子校行ったやつは、たいてい反動で男を求めるようになるって、KGBの調査結果でも出てる」
「暇なのか、KGB」
「まっ、私の見立てだと、居ますねぇこれは、恋する乙女の顔してる」
「わたしは見てますよ、見てるんですよ。そして間違いなく、恋してますよ。でも、安栗と一緒にしか、網膜に写らないんですよねぇー。こんなに見てるのに、監視が足りないんでしょうか」
「確かに確かに、仲良いよねー二人。よく家に、遊びに行ってるんでしょ?前に安栗が、なんか誇らしげに言ってた」
「はっ、まあ、確かによく遊びに行ってるけど、それがどうした……?」
修学旅行中、部屋も行動班も同じで、ずっと安栗のことを考えてたから、やっと箸休めできるーって思った矢先これである。というか、皆が一斉に頷いて、綺麗に波を描いている。そんな共通認識だったのか。
「幼馴染なの?」
「別に。高校に入ってから知り合った」
「じゃあ家が近所?」
「電車乗って行ってるよ……」
「家で何してるの?勉強とか、一緒に何か作ってるとか?」
「する事ないから、二人でずっとごろごろしてる」
事実を述べただけなのに、すこーちが一瞬だけ唇の端を上げた。いや分かるよ、何をしてるんだって自覚あるもん。まだ恋に身をやつした方が、建設的だし将来性があるし、何よりこの場で話せて盛り上がったのに。人生、将来の投資だけしてればいいってもんじゃない、惰眠を貪るのもまた一興、なんて言い聞かせて、はや一年半、そろそろ、思い直さないとな……。
「失礼かもしれないけど、二人って何かと正反対じゃない?だから、どうしてそこまで仲良いのかなぁーて。ちょっと気になる」
「友達って一口に言っても、趣味という目的で繋がってる友達もいれば、共通の話題はないけど、何となくつるんでると落ち着くって友達がいて、たぶん安栗は後者……」
「一緒にいると、落ち着くんだー」
「え、いや、安栗といても、全然落ち着かないわ、やっぱ前言撤回」
抱えていた膝を思わず突き放すほど、盛大に否定していた。
「あれ?落ち着かないってことは……?」
「声がでかい、やることなすこと全部が危なっかしい、時々悪ノリしてくる。それで落ち着けっていうほうが無茶なんだよ」
「そうは言ってるけど、毎日苦楽を共にしてるじゃん?意外と、居心地よく思ってるんじゃない?」
「それは……さ、せっかく遊びに誘われてるのに、断るのは悪いかなーって思ってのことで……」
「鑓水ちゃん、もしかして断るの苦手?」
「わたしが見てる限り、その傾向にあるように思いますね」
なんであんまり接点のない芳瞠に、自身の性格を察せられなければならないんだ……。とは言え、ほぼ事実なので否定できない。その眼力に恥じぬ観察眼だなぁと、恐れ入った、背筋が凍った。
「最初は、そうだったのかもね……。高校に入りたての時、孤立しかけてた私に、最初に話しかけてくれて、それがきっかけで仲良くなったから。それに安栗が紹介してくれたから、交友関係を広げられたってこともあるし、どうせ暇だし、話し相手ぐらいにはなって、恩を返してやろうって感じなのかも」
「へぇー、安栗も案外気が利くとこあるんだなー」
「気を遣ったわけじゃないと思うよ。一歩間違えれば、嫌われるような距離の詰め方をするってだけ」
「でも、鑓水ちゃんは嫌わなかった。何か惹かれるものがあった?」
「惹かれてはないけど……。止めてって伝えたことはちゃんと止めてくれるし、ちゃんと謝ってくれるし、私みたいに根がひん曲がってない、裏があるんじゃないかって疑う余地もないぐらい素直で、信頼できるから……」
「信頼、できるかー?自分から約束しておいて、平気ですっぽかすけど」
「おいおいぺるみー、そういう意味じゃないんじゃないー」
おいーっ、何してんだ、あの馬鹿安栗はっ!なんで私は、こんな奴を擁護しようとしちゃってるんだよっ!?かと言って、今から主張を変節させるわけにもいかないし……、このまま突き進むために、自分に気合を入れるかのように、背筋を伸ばして声を張り上げていた。
「だ、大事な約束は守ってくれるよっ。誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも、一日遅れでくれたからっ」
「それは守れたの内に入るのかしら?」
「最終的にくれたんだからいいじゃんっ。あと、バレンタインは遅刻しなかったし!」
「ふぅーん、なるほどなるほど、まだまだ、わたしの知らない安栗が存在するようですね」
「目がバッキバキだ!こわっ!」
「ドライアイにならないんかー?」
「怖くて目薬させないので、なりたくないですね」
「あら可愛い」
「そうかー?また適当なこと言ってない?」
なぜかこの期に及んで、芳瞠の目つきが俎上に載って、話題が逸れ始めた。これ以上、安栗の尊厳なんて守りたくないから良かったけど……。変な空気にしてしまったのではないかと、少し気後れしていると、目が合ったタイミングで、すこーちに耳打ちされた。
「ぶっちゃけ安栗のこと、どう思ってるの」
それが何を意図した質問か、さすがに私でも分かるものなので、大仰に飛び跳ねて首をぶんぶん横に振って否定した。
「えぇっ!どどっどうも思ってないよっ、思ってないから……」
「せっかくこっそり聞いたのに、そんな風にしたら意味ないじゃんー」
「ごっごめん、びっくりしちゃって。えと、本当に何も思ってないというか」
「こちらこそ悪かったよー。面白そうだから、少し煽ってみたんだけど、予想外の方向に転がってしまったというか、捌き切れないほどの大物を釣ってしまったというか」
「別に、不快になったりはしてないから大丈夫。そもそも、ここに居る誰もが、秘密を暴かれるかもしれない、そういう会なんだから。釣果があることは、いいことじゃないかな」
「今日、芳瞠と一緒に、二人のことをじっと見てたんだけどー。仲睦まじそうで、そういう線もありえるのかなぁーって、ちょっと思ってしまった」
「でもっ、それはほんとに違うからっ」
勘違いされるような、勘違いさせるような所作……、全く心当たりがない。安栗との距離は一定以上開けるよう、常に意識してるんだけどなぁ。
「まあ、気が変わっても、安栗なら受け入れてくれるだろうから、心配ないと思うよ。それは、鑓水ちゃんが一番わかってるか」
「私は自分のことを、漫然と生きて、可もなく不可もない人生を、一人で終えるような人間だと思ってるから、それに囚われてる以上、気が変わるなんてことは無いだろうな」
「鑓水ちゃんが何を想定してるのかは知らないけど……。今思った関係だけが全てじゃないよ。いろいろ探ってみて試してみて、適切な距離を見つけて。せっかくの縁なんだし、大切にしな」
すこーちは熱く焦がれるように諭しつつ、私に軽く微笑みかけてきた。直視するには少し眩しすぎて、自分の膝をぐっと抱きしめて目を逸らす。そうしていると、強烈な視線を感知して、芳瞠のほうに意識が吸い込まれる。彼女は、親指と人差し指で顎を挟みながら、こちらをいつもの勢いで睨みつけていた。
「うむ、これからも、目が離せませんね。観察を継続します」
「しなくていいからっ!」
すこーちと、あと隣で聞いてた人が爆笑して、いい感じにオチが付いたのか、ここからは聞き役に徹することができた。……頭の中で安栗のことが跳ね回る。私にとって、安栗とはどういう存在なのだろうか。正直、他の友達より上位なことは間違いなくて、かと言って、この何考の余地もある関係が永遠だとも思えない。んん-……。
「あ、おかえり!」
「うん、戻ってきた」
安栗から戻ったという連絡を受けたので、頃合いを見てこの女子会から抜けてきた。部屋では安栗がベッドに寝っ転がっていて、私が戻ってきたことに気付くと、まるで隠し事でもあるかのように飛び上がって出迎えてくれた。
「どこ行ってたの?」
「それはこっちのセリフだ」
「ただ鏡花ちゃんからお菓子を貰ってきただけだよー。関西限定のカールだー。一緒に食べよー」
「おぉ、それならいいや」
何だこいつという、痛みの伴わない怒りもすっかり失せてきて、飄々とした表情を整えて反対側のベッドの縁に座る。安栗はカールの袋を開けて、割り箸を私に渡してきた。
「それならいいやって、何。鑓水こそ、どこで何をしてたの?」
「あー。なんか芳瞠に呼ばれて、すこーちたちとお喋りしてきた」
「す、すこーち!?」
「なんで驚く」
「だって、えぇ。何の話するのさ」
「何の……な、何だっけ」
とぼけたふりをして、カールをばくばく頬張った。浅い友達しかいないからか、安栗はあまり強引に踏み込んでこない傾向にあるけど、今日はなぜか見逃してくれなかった。
「言えないようなこと?」
「言えないようなことなら、言わなくてもいい?」
「えぇー、どうせ恋愛にまつわる話なんでしょ」
「まあ。あ、でも、彼氏なんていないからね。盛り上がりに欠けたから帰ってきた」
「んー、まっ、独り身同士、末永く仲良くしようや」
その手はなんか握りにくかった。だって、チーズ臭いし。




