第098話 逃げる者、追う者
最大限の身体強化で転がるように下山すること数時間。僕らは頂上付近の雪山エリアを脱し、中腹の岩場エリアを超え、やっと山裾の森林エリアまで降りてくることができた。
ここまで来れば森の木々が僕らの姿を隠してくれるだろう。それになにより--
「ぜっ、ぜっ、ぜっ…… 一旦、休みましょうか。もう、身体強化が、切れそうです……」
「はぁ、はぁ、はぁ…… そう、だな。あの重症では、風竜が我々に追いつくには、かなり時間を要するだろう。ふぅ…… それに傷が癒えるまでは、魔素が豊富な山頂付近を離れない可能性も高い」
「それは、よかったです。ふーー」
激戦の後で数時間走り通しだったので、もう足がガクガク、体力の限界だった。僕は立って居られず、木に背中を預けて座り込んだ。
ヴァイオレット様も疲労困憊な様子で、シャムを背中から下ろしてその場に腰を下ろした。
シャムは怯えたような表情で立ち尽くしている。
「……シャム、君も座りなさい。怪我などしていないか?」
「は、はい。怪我はしていないであります」
シャムはおずおずと僕らの側に座った。
多分、僕らの言いつけを破って戦闘に参加した事について気にしているのだろう。
うーん。危ないことをしたのだから大人として一言叱るべきなんだろうけど、彼女がいなかったら多分僕ら死んでたからなぁ……
「そうか、それは良かった。私とタツヒトは見ての通りボロボロだ。魔素が枯渇気味なので治療薬も使えない。
今から止血だけするので、手伝ってくれないか?」
「は、はいであります……!」
シャムに手伝ってもらいながら、風竜との戦いでできた傷に包帯を巻いていく。
疲れと気まずさからか、みんな口が少なく雰囲気も重い。
……何かいい話題ないかな。あ、そうだ。
「ヴァイオレット様、風竜の右足首に放った一撃、凄かったです。
ベラーキの村で緑オーガにも同じような一撃を放っていましたけど、あれってどうやってるんですか?」
バタついている内に聞きそびれていたけど、あれは単なる身体強化のなせる技じゃない気がする。
明らかに槍の間合いや穂先の大きさ以上の範囲に損傷を与えていたし。
「それを言うなら君の魔法も凄まじかったが…… あれは言わば身体強化の奥義のようなもので、延撃と呼ばれるている」
「延撃、ですか?」
初耳すぎたので思わずオウム返ししてしまった。
「うむ。緑鋼級以上の位階の者が習得できるとされる、自身の攻撃の威力や効果範囲を一瞬だけ増幅する技能だ。
魔導士からすると魔法の一種ということらしいが、私では詳しい仕組みまでは説明できない。
私はまだ突きの範囲を数十デセム、間合いを数メティモルほどしか拡張できないし、魔力消費も大きいのでここぞと言う時にしか使わない。
人外の領域にある紫宝級ともなると、剣で山を断ち割ることもできるらしいぞ」
「や、山を…… 凄まじいですね」
その領域に至った人にとっては、はるか上空を飛んでいる風竜すらも間合いの内ということか…… とんでもないな。
ちなみに、地球世界の単位に換算すると、デセムはcm、メティモルはmと大体同じだ。
数cmの間合いすら重要な近接戦闘においては、確かに奥義と言っていいほど効果的な技能だ。
原理が気になるところだけど、そういえば身体強化の原理すらよくわからないんだよね。身体になんらかの抽象魔法が働いているらしいけど……
「先ほどの戦いでは、緑鋼級以上になると習得できる技能を他にも使っていた。タツヒトにも追々教えよう」
「え、そうだったんですか? ありがとうございます。早く位階を上げないとですね」
会話をする内に、一通り治療は終わっていた。
そして軽食と水をとって人心地ついたところで、ヴァイオレット様は少し硬い表情で静かに切り出した。
「さてシャム…… 私は君に、下山するように言ったはずだ。どうしてあのような危険なことをしたのだ? 風竜が尋常な相手では無いことは分かっていたはずだ」
シャムは目に涙を湛え、不安そうに答えた。
「……シャムは、一人になってしまうのも、風竜そのものもただ怖かったであります。
でも、二人がいなくなってしまうことの方が風竜に対峙するよりよっぽど怖い…… そう思ったら勇気が出たであります。
なので、二人の生存確率を少しでも上げられるよう、風竜の眼球への狙撃を試みたであります。
言うことを聞かなくて、ごめんなさいであります……」
そう言ってシャムはぺこりと頭を下げた。
ヴァイオレット様は黙ってシャムを見つめていたけど、数秒ほどしてふっと表情を緩めた。
「そうか…… よく分かった。シャム、私とは大人として、危ないことをするなと君を叱らなければならない。
だが、今回は大人の方が力不足で情けなかった。あの援護がなければ、私とタツヒトは今ここにいなかっただろう。
ありがとう、素晴らしい一撃だった。君のおかげで我々は生きている。さあ、おいで」
「う、うぅ〜」
ヴァイオレット様がシャムに両手を差し出し、シャムが泣きながら抱きついた。
そこに僕も便乗して二人を抱擁する。
「シャム。僕が君に言うべきこと、言いたいことは、今ヴァイオレット様が完璧に言ってくれたよ。
本当にありがとう、よくやってくれた。君は僕らの自慢の娘だよ」
「ふぐぐぅ〜」
ヴァイオレット様に顔を押し付けすぎていて、なんて返事しているのか全くわからない。
でもその様子に気が抜けて、思わず笑顔になってしまった。
いろんなことがありすぎて、王都を出てから数ヶ月くらい経ったような気がするけど、まだ1ヶ月経っていないくらいなのか……
ほとんど形跡を残さず森を進み、普通は絶対通らない南部山脈を越えたから、追手があったとしても流石に僕らを捕捉できないだろう。
かなり危ない目に遭ったけど、ともかく全員で無事に国境を越えられた。今はそれを喜ぼう。
***
時間を2週間ほど戻し、タツヒト達が南部山脈の頂上付近で吹雪に見舞われていた頃。
タツヒト達の本拠地だったヴァロンソル領の領都の城門に、少し変わった行商人の一行が来ていた。
10人弱からなる人員は全員が蛙人族で、体の各部に蛙のような特徴がある。この辺りではたまにしか見かけない種族だった。
「サハラ商会…… うむ、登録があるな。荷は穀物などか。よし、通っていいぞ」
城門を警備する領軍の兵士は、行商人の通行証などに問題がないことを確認し、通行を許可した。
「ありがとうございますわぁ。ところで兵士様、わたくし達、以前ある方々にとてもお世話になりましたの。その方々最近ここに来られたか、お聞きしてもよろしいかしらぁ?」
行商人達のまとめ役らしき妖艶な女が、兵士にさりげなく賄賂を渡しながら尋ねた。
彼女の肌は深い緑色をしていて、肩にかかる程の長さのドレッドヘアという、やはりこの辺りではあまり見ない髪型をしていた。
「ほう…… 構わんぞ。それで、どんな連中だ?」
兵士は手渡された賄賂の重さを確かめると、ニヤリと笑って先を促した。
「はい。若い馬人族と男性の二人ですわぁ。
馬人族の方は、美しい紫色の長髪を一括りにし、お顔立ちにも気品がありました。男性の方は黒髪で、小柄で可愛らしい顔立ちでした。
お二人とも、とてもお強いようでしたわぁ」
「あぁ、その二人組というとであれば、おそらく領軍のヴァイオレット様とタツヒト殿だな。一ヶ月程前にここを発たれて、まだ戻ってきておられない。だが、そろそろ戻ってこられるはずだぞ」
「……そうでございますか。感謝いたします、大変助かりましたわぁ」
「うむ。また何か聞きたいことがあれば来るといい」
行商人達は兵士に別れを告げた後、城門近くの手頃な宿に入った。
そして一つの部屋に集まると、ただの行商人にしか見えなかった彼女達の雰囲気が変わった。
まとめ役の女が口火を切る。
「対象は城門は通っていなかった…… ここには来ていないか、城門以外を通ってここに入ったか。そのどちらかですわねぇ」
それを受けて部下の一人が答える。
「ええ。対象の一人は侯爵令嬢です。抜け道などがあり、それを使って人知れずこの都市に入っていても不思議ではありません」
彼女達は女王マリアンヌ三世がタツヒト達に向けて放った追手だった。
その正体は、商会の行商人という肩書きを隠れ蓑にし、これまで国内外の様々な要人を殺害してきた暗殺組織の構成員だ。
組織は今回の依頼において、予想された逃走ルートごとに人員を放っており、彼女達は南端方面の担当だった。
「そうですわねぇ。目撃証言から、対象は王都の西から大森林の入った可能性が高いですわぁ。
ここまで全く形跡はありませんでしたけど、そのまま大森林を通ったとすればこちらへ来た可能性は否定できない……
そして、こちらへ来たとすれば、考えにくいけれど南部山脈を越えるつもりで、装備を整えるために必ずこの領都に入るはず……
仕方ありませんわ。手分けして山越えに必要な装備を売っている商店を尋ねましょう。何も見つからなければ、一旦王都へ戻りますわよ」
彼女達が手分けして調査した結果、どうやら対象と似た二人の人物が商店を訪れていたらしいことがわかった。
しかも、山越えに必要な装備を一店舗からまとめて購入せず、わざわざ複数の店から分散して購入している様子だった。
明らかに、足がつくことを恐れた動きだった。
「これは…… どうやら見つけたようですわね。仕方ありません、わたくし達も山越の装備を整えて、南部山脈に向かいますわよ」
おりしも、南部山脈の頂上付近には領都からもわかるほど厚く雲がかかっており、二週間ほどの待機を余儀なくされた。
待機中、まとめ役の女は部下を一名王都へ向かわせた。対象らしき痕跡の発見を知らせるためだ。
そして天候が回復したタイミングで、彼女はさらにもう一名部下を領都に残し、残りの人員を率いて南部山脈に向かった。
彼女達の不運は、まず南端方面の担当となってしまったこと、わずかな痕跡から対象を追跡できるほど優秀であったこと。
そして、南部山脈の山頂付近には、今も怒り狂う怪物が存在していたことだった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…… じょ、冗談ではありませんわぁ。なんなんですのよ、あの化け物は……!」
頂上付近の雪原、蛙人族の一団を率いていた女は、凍傷で満身創痍になりながら、岩陰に身を隠していた。
岩陰の向こう側では、巨大な風竜が凍りついた部下達を貪り食っていた。
その右目は潰れていて、左の翼膜はボロボロ、右脚も引きずっている。しかし、彼女達にとっては十分過ぎる脅威だった。
突如として雪の中から現れた風竜は、ブレスの一薙ぎで部下達を氷の彫像に変えてしまった。
「ギシャァァァァァッ!!」
風竜は部下達を貪りくい終わると、一人逃がしたことが腹立たしいのか、咆哮をあげながらそこらじゅうにブレスを打ち込んでいた。
彼女を探すように辺りを彷徨い歩いていた風竜だったが、しばらくしてやっと諦めたのか、脚を引きずりながらその場を離れていった。
彼女が恐る恐る岩陰から顔を出すと、辺りに部下達の姿は無く、血と装備が散乱しているだけだった。
「みんな、やられてしまいましたわねぇ……
しかしまずいですわ。このまま引き返したら、責任を負わされてわたくしが組織に処分されてしまいますし、そもそも怖くて引き返せませんわぁ。
かといって、逃げたら逃げたで追手を出されてしまいますし……」
彼女達の組織は、役立たずや逃亡者に対して苛烈だった。そして、組織から逃げ切ることの困難さは、彼女自身がよくわかっていた。
「--仕方ありません、わたくし一人で追うことにいたしますわぁ。
でもこの状況、多分あの風竜をあそこまでボロボロにしたのは対象の二人ですわよねぇ…… はぁ、全く、お腹が減りましたわぁ……」
彼女は大きなため息をつくと、帝国に向けて下山を開始した。
6章 零下の天険 完
7章 深緑の影 へ続く
6章終了です。ここまでお読み頂きありがとうございました。
気に入って頂けましたら是非「ブックマーク」をお願い致します!
また、画面下の「☆☆☆☆☆」から評価を頂けますと大変励みになりますm(_ _)m
【日月火木金の19時以降に投稿予定】
※ちょっと下に作者Xアカウントへのリンクがあります。