第088話 南部山脈(2)
ビュゥゥゥゥッ……
高山病を発症しないよう休み休み登り続け、僕らは山頂付近の谷のすぐ近くまで来た。
ヴァイオレット様曰く、このポイントを通るのが、南部山脈を越える上で一番労力や危険度が少ないルートらしい。
下から見た時に気になっていたけど、やはり山頂付近は天気が荒れていて、激しい風音と共に雪が顔に当たる。
領都で防寒具を調達しておいてよかった。めちゃくちゃな寒さだ。
この辺りに来ると、出現する魔物も結構強めのものに変わってきていた。
左腕に装備した小型の盾としても使える魔導鉄甲、それに視線を向けると、一本の長い傷跡がついていた。
さっき倒した魔物に付けられたものだ。
そいつはグラディウスティーゲルという、牙や四肢の爪が異様に発達し、尻尾の先にまで刃がついた白い虎型の魔物だった。
身体強化されて高速で跳ね回る虎が、いくつもの刃を振り回しながら突っ込んで来たので、捌ききれず魔導鉄甲で受けてしまったのだ。
でも僕が攻撃を受けている隙に、回り込んだヴァイオレット様がそいつの心臓を貫き、すぐに仕留めることができた。
強さはおそらく黄金級くらいはあった。このクラスの魔物が気軽に出てくる領域らしいので、気を引き締めていこう。
歩きながら気合いを入れ直し、谷に差し掛かった時、天候が激変して猛吹雪になった。
視界を覆い尽くす雪に、周囲の地形はもちろん、前を行くヴァイオレット様の姿すら見失いそうになる。
「ヴァイオレット様、このまま進むのは危険です! 吹雪が止むまで進むのをやめましょう!」
「一理ある! しかし、この吹き曝しの場所に留まる方が危険ではないか!?」
風速も凄まじく、すぐそばにいるヴァイオレット様とも大声を出さないと会話できない。
「はい! なので今、急場を凌げる場所を作ります!」
僕はすぐ横の少し盛り上がっている雪面に手をかざし、少し斜め下方向に魔法を放った。
『……放炎!』
手のひらから火炎が迸り、雪面にジリジリと穴を穿つ。
数十秒ほどで放射を止めると、僕とヴァイオレット様がギリギリ入れるくらいの穴が穿たれていた。
気温が低すぎるせいか、炎で溶けた部分はあっという間に凍りついた。これなら崩れる心配も無さそうだ。
「よし…… ヴァイオレット様、雪洞を作りました! ひとまずここで凌ぎましょう!」
「なるほど。よくやってくれた! 今行く!」
促されたヴァイオレット様と僕は、ほぼ同時に雪洞に入り込んだ。
「ふぅ。よし、ここで吹雪が止むまで--」
バァァンッ!!
入り口を振り返った瞬間、雪洞の入り口に何か巨大なものが叩きつけられた。
さっきまで僕らがいた場所が、大きくえぐれてしまっている。
一瞬の驚愕の後、僕とヴァイオレット様は急いで身動きできない雪洞から出た。すると。
「ギシャァァァッ!!」
金属をすり合わせるかのような、凄まじいい咆哮が響いた。
声を頼りに顔を上げると、吹雪の中で上空を旋回する白銀の翼影が見えた。
それを目にした瞬間、ゾクリと背中に悪寒が走る。
「ヴァイオレット様、あれは!?」
「まずいな…… ヴェイントスドラゴン、風竜だ!」
竜種は魔物の頂点だ。彼らは全て万能型の特性を持ち、その巨躯を十全に運用できる身体強化と高度な魔法により、極めて高い戦闘能力を有する。
さらには人類に比肩する高い知能と、長い寿命、歳を経るほど大きく、強くなる特性まで持つ。
その中でも風竜は、前脚が変化した巨大な翼と風魔法により、自在に大空を駆ける天空の覇者だ。
今僕らの上空にいるのは、そんな存在だった。
「ヴァイオレット様! あの大きさ…… 僕らが討伐した緑鋼級の火竜よりも、だいぶ大きくないですか!?」
やつの姿を見た瞬間、絶対に勝てないと本能が叫んだ気がした。これは……
「あぁ! 間違いなく青鏡級に達しているだろう! 我々では勝てない…… 急いで下山しよう!」
うぐっ、やっぱりか。
「わかりました! 先に行ってください。襲ってきたら魔法で足止めします!」
「頼む! はぐれるなよ!」
この猛吹雪の中で走るのはかなり危険だけど、このまま風竜と戦うよりまだ生存確率が高い。
雪原を四つの足で駆けるヴァイオレット様を、僕は後ろを気にしながら追う。
すると案の定、上空を旋回していた翼影が軌道を変え、僕らに向かって急降下してきた。
凄まじい速度で後ろから接近する風竜。僕は雪面を蹴って回転しながら飛び上がり、真後ろを向いた瞬間に魔法を放った。
『雷よ!』
ババババンッ!!
「ギャンッ!?」
狙いを定めずに放った拡散型の雷撃は、運よく風竜に命中したようだ。
雷撃に怯んだ風竜が軌道を修正し、また上空に舞い上がった。
僕はそれを視界の端で確認しながら着地し、またヴァイオレット様の後を追った。
「ヴァイオレット様! このまま逃げ切れそうです!」
「ああ! 全く頼りになるな、君は! よし、谷を抜ける--!?」
ヴァイオレット様が驚いて言葉を止めてしまったけど、それは僕も同じだった。
さっきまでの猛吹雪が急に止み、空から晴れ間が覗いたのだ。
「一体、何が……!?」
困惑しつつも僕らは足を止めなかったのだけれど、すぐに次の異変が起こった。
「うっ……!?」
前を走っていたヴァイオレット様がうめき声をあげて転倒した。
「ヴァイオレット様! 大丈夫です--!?」
駆け寄った僕にもその異変が遅いかかった。
強烈な脱力と倦怠感に僕も同じように膝をつく。頭痛と眩暈がして立ち上がれず、息苦しさに思わず喉を抑える。
隣を見ると、ヴァイオレット様も苦しげに喉を抑えている。
くそ、そうか……! 風属性の魔法を操るからこその風竜。奴は大気を操り、僕らの周りの気圧を急激に下げたのだ。
酸欠で鈍った頭を必死に働かせ、辺りを見回す。
吹雪が止んでいるには、僕らの直径数十メートルほどの範囲のようだ。
効果範囲は限定的、これなら……!
僕は左腕の魔導鉄甲に魔力を込め、なけなしの酸素で魔法を唱えた。
『……風刃! 風刃!』
幾つもの風の刃を放つ風属性の魔法を、何度も唱える。
すると、何度目かを放った瞬間、息苦しさが和らぎ始めた。
よし、狙い通り! 風刃で気流を作り出すことで、奴の魔法の範囲外から空気を引き込めたようだ。
多少動く体に希望を見出し、空を仰いだ瞬間。
音も無く、白銀の巨影がすぐ側まで近寄って来ていた。
静音の魔法まで使えるのかよ……!?
驚愕する僕をよそに、奴は接近する速度を緩めず、宙返りするように頭を下げた。
僕の脳裏に、先ほど雪洞の入り口を抉った一撃が想起された。
「ヴァイオレット様!」
未だ動けないでいるヴァイオレット様を突き飛ばした直後、風竜は回転の勢いを載せた尾の一撃を打ち下ろした。
バァァンッ!!
「ガッ……!?」
凄まじい衝撃と激痛。風竜の尾と雪面との間に押しつぶされ、骨が砕ける体内から音が響く。
しかしその直後、地面が沈みこむ感覚と共に、氷が軋む音が響く。そして。
ボゴッ……!
風竜の尾の一撃で、僕とヴァイオレット様がいる辺りの雪原が崩落した。
僕とヴァイオレット様は、押し固められた雪の破片と共に落下し始めた。
「ギシャァァァッ……!!」
獲物を逃したことを悔しがるかのような風竜の咆哮が遠ざかる。
数秒の落下の後、地面に叩きつけられると同時に僕は意識を失った。
***
「……ゔぅ。こ、ここは?」
ヴァイオレットが目を覚ますと、そこは深い谷底のような場所だった。
左右を切り立った雪の壁に囲まれ、上には光が入り込む歪な穴が見えた。
「そうか、風竜の一撃で雪原が割れ、その下にあった谷底まで落下したのか…… そうだ、タツヒト…… タツヒト、どこだ!?」
急いで辺りを見回すと、タツヒトはすぐそばに横たわっていた。
「タツヒト……!」
駆け寄って抱き起こすと、彼は弱々しく呻き声を上げた。
生きている。しかし、ぐったりとした様子で吐血も見られる。すぐにでも治療が必要な状態だ。
「すまない、私を庇ったばかりに…… くそっ! 必ず護り抜くと息巻いておいて、なんというザマだ……!」
後悔に顔を歪めた彼女だったが、すぐに状況を確認するように辺りを見回した。
すると、その視線が一点に吸い寄せられた。
視線の先、谷底の続く先には、ぽっかりと洞窟が穴を開けていた。
「この重症では、治癒薬で一気に治すと衰弱死してしまうだろう。ここに野晒しでいるよりましか……」
ヴァイオレットは慎重にタツヒトを抱き抱えると、洞窟に向かって進み始めた。
「……やはり、私だけで護り抜くことは--」
その呟きは、彼女が洞窟に入ると同時に谷底の静寂の中へ消えた。
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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