第061話 ヴァロンソル家の家庭事情(3)
領主の館を後にした僕らは、それぞれの屯所に帰る前に良さげな雰囲気の喫茶店で休むことにした。
ヴァイオレット様が目に見えて疲弊していたので、僕が提案したのだ。
お店に入って個室の席に通してもらい、適当に注文したお茶とお菓子を二人で静かに待つ。
「--なんだか、まだお昼前なのに一日働いた後みたいな疲労感がありますね」
「あぁ、本当にそうだな…… はぁ、あの二人と会うといつもこうだ」
項垂れながら答えるヴァイオレット様。あの強い彼女が本当にぐったりしてしまっている。
……ちょっと踏み込んでみようか。
「--あの、苦手なんですか? お姉さんのこと」
僕の問いに、彼女はぴくりと体を震わせてから顔を上げた。
そして目線を僕から外し、窓の外、大通りの方に移しながら答えた。
「……苦手、か。そうだな。君も見ただろう、姉上の夫や男妾達を」
「はい。大半の方が骨折や打撲をしておられるのに幸せそうで…… その、失礼ですが少し異様な雰囲気でした」
「私もそう思う。 --身内の恥を晒すようだが、少し話を聞いてくれるか?」
ヴァイオレット様は、独り言のようにぽつりぽつりと話し始めた。
彼女のお姉さんであるロクサーヌ子爵は、なんというかものすごく性に奔放な方で、10代前半にはもう取っ替え引っ替えしていたらしい。
しかも行為に及ぶと力加減が効かなくなるらしく、かなり激しい交わり方をするという。
悪いことに貴族の嗜みとしてある程度位階を上げて鍛えているので、その際に身体強化も発動してしまう。
そうすると、彼女の相手をした男性は軒並み大怪我を負ってしまうそうだ。それこそ、市販の治療薬では回復が追いつかないほどらしい。
怪我を負った男性の中にはもちろん逃げ出す人もいたけど、今残っているのはそう言うのが好きな人たちのようだ。世界って広いな。
ヴァイオレット様は小さい頃、不運なことにお姉さんの行為を目撃してしまい、大きなトラウマを抱えてしまったのだ。
「な、なるほど。子どもの時分に、とても大変な体験をされたんですね……」
「あぁ。姉上には今だにはっきりとした苦手意識がある。それに、戦いの時には意識を切り替えられるよう訓練したのだが、平時には男性に触れることが難しいのだ。
姉上のように壊してしまうのでは、そういう恐怖感のせいだと思う…… 君に最初に会った時も、誤解から襲いかかってしまった負目から頑張ったが、膝をついた君の手を取る時には冷や汗と動悸が止まらなかったよ。
こうして話す分には平気だというのにな」
自嘲気味に告白するヴァイオレット様。
確かに思い起こしてみれば、知り合って数ヶ月経ってだいぶ仲良くなれたと思うけど、彼女と触れ合ったのはあれが最初で最後だ。
そこまで苦手だったのに手を差し伸べてくれたんだな。義理堅い上方だ。
騎士団に入られたのも今のトラウマが理由の一つなのかも知れない。あそこは規律の問題で団員は全て女性なのだ。
そしておそらく、領民を守るために強くなるほどトラウマが強化されてしまうと。
うーん。克服できるよう何かして差し上げたいけど…… 戦い、そうか、戦いに関連してるなら大丈夫なのか。
よし、これがうまく行ったら克服の一歩になるかも。
「--ヴァイオレット様、提案があります」
「……何かな?」
「ちょうどここに只人の男がいるので、練習台にしてみませんか?」
僕はそう言ってテーブルの上に手のひらを上にして腕を置いた。ヴァイオレット様から手を伸ばせば簡単に触れられる位置だ。
「い、いや、しかし……」
僕の手を見て狼狽するヴァイオレット様。
その姿にちょっと心が痛むけど、苦手の克服にはある程度痛みを伴うものだと思う。
ピーマンを克服するには、最終的にはピーマンを食べるしか無いのだ。
「こう考えてみてはどうでしょう。まず、僕とヴァイオレット様は同じ戦場で戦った戦友と言っていいと思います…… というかそう思ってもいいですか?」
「それは、うむ。そうだな」
「ありがとうございます。で、僕はヴァイオレット様にとってただの戦友でははありません。
大狂溢の時、風を操る強力なオーガーを二人で力を合わせて倒しましたよね。あれはどちらが欠けても達成できなかったと思います。
只の男性だったら難しいかもしれませんが、一緒に死戦を潜れるくらい強い戦友の手なら、触れても壊れないと思えませんか?」
なんだかだいぶ自己主張の強い説得になってしまったけど、彼女の心の琴線に触れることができたのか、じっと僕の手を見つめている。
そのまま無言の時間がしばらく続いた後、彼女は覚悟を決めたように深呼吸をした。
そして、ゆっくりと僕の手の上に手を伸ばし、指先がほんの少し触れた。
触れた瞬間、彼女はトラウマに触れた時に襲いくる症状を予想したのか、表情と体を強張らせた。
しかし次の瞬間には驚いたような表情に変わり、指先から指全体と触れる場所を増やし、最終的にはは僕の手をゆるく握った。
「動悸もしないし、冷や汗も出ない。呼吸も苦しくない…… 平気だ、すごいぞタツヒト!」
彼女の言った通り、その表情には辛そうな様子は全くなく、ただただ嬉しそうだ。
よかった。なんだかものすごくうまく行ったぞ。
「やりましたね! ここから触れられる男性を増やしていけば、いつか苦手を克服できるかも知れませんよ」
「あぁ、そうだな。 --思えば君は、皆を守るために格上の敵に立ち向い、私をその背中に庇ってくれた。
心と力を併せ持つ真の強者だ。確かに、そんな君が簡単に壊れるわけはない。大きな一歩を踏み出せた気分だよ。本当にありがとう、タツヒト」
彼女は穏やかな笑顔を浮かべながら僕の手を触っている。
すりすり、にぎにぎ。
……そんなに弄られると妙な気分になってしまうのだけれども。
彼女の様子を伺うと、苦しむ様子はないけど顔がちょっと赤い気がする。
「す、すまないタツヒト。やはりまだ刺激が強いようで、少し動悸がしきてしまった」
「奇遇ですね。なんだか僕も動悸というか、心臓がドキドキしてます…… その、無理はしないで下さいね」
「うむ、そうだな……」
そう言ったヴァイオレット様だったけど、僕の手に触れたまま離そうとしない。
なんとなく、僕の方からも彼女の手をゆるく握ると、彼女の方もしっかりと握り返してくれた。
僕らは、お互いに手を握り合ったまま視線を合わせた。
扉の方からほんの少しざわめきが聞こえるだけで、喫茶店の個室の中はとても静かだ。
ヴァイオレット様の手のひらから、暖かな体温を感じる。
そのままどのくらい時間が過ぎただろうか。
僕らはどちらともなく顔を近づけ、そして--
コンコンコン。
突然響いたノックの音に、二人とも身体強化まで使ってシュバっと手と体を引っ込める。
「は、はい、どうぞ」
「失礼致します。お茶をお持ちしました」
上擦った声で招き入れると、店員さんがトレイを持って部屋に入ってきた。
店員さんがそのままお茶とお菓子をテーブルに並べ、部屋から出ていくのを見送った僕らは、またどちらともなく目を合わせた。
そして二人して吹き出してしまう。
「あはは、頂きましょうか」
「ふふっ、そうだな」
最初とは打って変わって晴れやかな雰囲気の中、僕らはお茶を楽しんだ。
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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