第476話 国王の一日(1)
チュッ……
「ん……」
唇に感じた柔らかい感覚に目を開けると、至近距離にロスニアさんの顔があった。
水色のロングヘアーを片手で押さえ、僕に覆い被さる様はとても艶っぽい。普段の清廉な印象とは違う彼女の姿に、背徳感のようなものを感じてしまう。とても良い。
「あっ…… おはようございます、タツヒトさん」
「おはようございます、ロスニアさん。最高の目覚めをありがとうございます」
「うふふっ、どういたしまして。あ、今ほどきますね」
彼女の蛇人族故の長い尻尾が、しゅるしゅると僕の体から離れていく。
開放感と同時に寂しさも覚えてしまう僕は、もう手遅れなのかもしれない。
ベッドから身を起こすと、二人とも生まれたままの姿だった。昨晩の事を思い、二人して顔を赤くしてしまう。
「んがっ…… うにゃぁ〜……」
背後から聞こえた声に振り向くと、全裸のゼルさんがダイナミックに伸びをしている所だった。今日も黄色に黒ぶち模様の毛並みが美しい。
可笑しさと愛おしさが溢れて彼女の頬を撫でると。さりさりと手を舐められる。うん、完全に猫だ。
「にゃ? うみゃーと思ったらタツヒトだったのかにゃ。おはようだにゃ」
「おはようございます、ゼルさん。って、僕の手、なんか味ついてるんですか……!?」
思わず自分の手を舐めてみたけど、当然何の味もしない。その様にゼルさんがにゃははと笑う。
「まぁ、ウチくらいににゃると感じるんだにゃ。でも、一番好きなのはここだにゃ!」
「うひゃっ……!?」
するりと後ろに回ったゼルさんにうなじを舐められ、思わず変な声を出してしまう。
「ふふっ、ゼル。そのくらいにして下さいよ? タツヒトさんは今日も忙しいんですから」
「わかってるにゃロスニア。ちょっと味見するだけだにゃ」
背後から僕を抱きしめながらさりさりと舌を這わすゼルさんに、そう言いつつ尻尾を絡めてくるロスニアさん。
うん、今日もいい朝だ。
イクスパテット王国から戻って二週間ほどが過ぎた。秋も深まり少し肌寒さが感じられる。運動するにはちょうどいい季節だ。
誘惑を断ち切りなんとか寝所を抜け出した僕らは、今度は城の中庭にある訓練場へと向かった。広さはサッカーコート程もある。
するとそこには、すでに他のお妃さん達が集まっていた。僕らも含めて、全員動きやすい格好をしている。
「おはようございます。すみません、遅くなりました」
「うむ、おはよう三人とも。いい朝だな。では全員揃った事だし、始めるとしよう」
ヴァイオレット様の号令で、今日も早朝訓練が始まった。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
軽い準備運動の後、全員で訓練場をぐるぐると走る。ちなみに、戦士型は全員身体強化を完全に無効化している。
その後は軽い筋トレを行い、戦士型は素振りなど、魔法型は的当てなどの基礎訓練をして一旦休憩となる。
この早朝訓練は、みんなで城で暮らし始めた際に誰ともなく始まった習慣だ。
僕を始め、みんなにも国関連やそれに近しい仕事を手伝ってもらっているので、毎日が結構忙しい。
油断すると全く運動しない日もできてしまうので、こうして早朝に軽い運動をするようにしているのだ。
これは多分冒険者としての職業病でもあるのだと思うけど、怠けて腕を落としてしまう事に恐怖を感じちゃうんだよね。
特に王様になる僕は、その正当性の一つが覆天竜王を倒した腕っぷしな訳だし。
「ひぃ、ひぃ…… やっと、休憩だぁー……!」
「フーちゃん、お疲れ! 水、飲む?」
「あ。ありがと、ティルヒル氏。んぐ、んぐ…… ぷはー」
声に目を向けると、休憩に入った途端へたり込むフラーシュさんに、ティルヒルさんが水を渡している所だった。
まだ若干片言だけど、ティルヒルさんも結構この国の言葉を話せるようになってきている。
他にも最近顔を合わせたばかりのお妃さん同士が、笑顔で話しているのがちらほら見える。
今の王室は、僕一人にお妃さんが十二人と言う凄まじい男女比だ。
僕が言うのも変な話だけど、この状況下でみんなが仲良くしているのは奇跡だと思う。本当にありがたい事だ。
「よし、次は戦士型と魔法型に分かれた組み手に移ろう。各自、相手と組んでくれ」
ヴァイオレット様の号令に、みんながそれぞれ距離をとって組み手を始めた。
戦士型は木刀など、魔法型は魔法の威力を非殺傷レベルまで下げる魔導具を使う。
「えっと今日は確か…… そうだ、エリネンだった。よろしくね」
「おう。今日こそウチが勝ったるでぇ?」
「ふふっ、お手柔らかに」
武器を構え、今日のお相手であるエリネンと向き合う。
普段彼女は、日本刀に似た夜曲刀と言う武器を使う。
そしてその戦闘スタイルは、可愛らしい見た目に反してとても荒々しい。
ドッ!
先にエリネンが動いた。
兎人族故の強力な踏み込みと小柄な体格を生かした、地を這うような突進だ。
一瞬で僕との距離を詰めた彼女は、居合と見紛うような鋭い切り上げを放ってきた。
「らぁっ!」
ガンァッ!
木刀なのにヒヤリと背筋が冷えるような斬撃を、僕は済んでの所で杖で防いだ。
攻撃を弾かれて僅かに体勢を崩すエリネン。僕はその隙を見逃さずに突きを放った。しかし。
トトッ……
彼女はそれを上体のみを捻る最小限の動きで躱すと、軽い足音と共に一瞬にして僕の背後へと回った。
「やばっ……!」
「おらぁ! 背中とったでぇ!」
背後を振り向くことも間に合わず、勝利を確信したエリネンの声と、彼女の踏み込みの音だけが聞こえた。
僕はそれらの音から、彼女の攻撃が右からの水平斬りと当たりをつけた。
ガッ……!
直感のままに背中に回した杖が、彼女の右からの水平斬りを止めていた。
「んなっ……!? おわっ!?」
僕は驚き硬直する彼女の足を払うと、そのまま仰向けに転ばせて杖を突きつけた。
「あ、危なかった…… でも、背後に回った後に喋ったのは良くなかったかも。どんな攻撃か、声とか足音で結構分かっちゃったから」
「くっそ…… おまはん、兎人族のウチより耳ええんとちゃうかぁ……? 腹たつ……! もっかいや!」
「勿論!」
飛び起きたエリネンとさらに数回組み手した所で、本日の早朝訓練は終了となった。
その後は軽く汗を流し、みんなで同じテーブルを囲んで朝食を摂った後、城内の礼拝堂でお祈りをしてからそれぞれの仕事場へと出掛けていく。
僕の場合、午前中は会議やら謁見やらが集中しがちなのだけれど、今日は何もなかったので執務室で書類作業となった。
山と積み上がった決裁、確認待ち書類を、シャムとフラーシュさんに手伝ってもらいながら次々に処理していく。目がしぱしぱしてくるようなお仕事だ。
「ふぅ…… 王様の仕事って、結構地味だよねぇ……」
「タツヒト、そんな事ないであります。その書類の決裁が滞れば、治水工事の開始が遅れていくつもの村や街が水害に苦しむ可能性があるであります。影響は派手派手でありますよ?」
ため息をついて椅子に身を預けた僕を、シャムがめっ、とばかりに諌める。
彼女の記憶力、情報処理能力は人類を遥かに超えているので、僕の秘書官のような仕事をしてもらっている。
「わ、分かってるよ。えーっと……」
注意深く書類を確認し始めた僕を見て、フラーシュさんがくすくすと笑う。
戴冠式を終えていない僕では決済できない書類もあるので、王女である彼女が居てくれてる事で何とか書類業務が回っている。
「ふふっ。あたしはまだ書類仕事の方がいいなぁ…… 人前に出るの、本当に苦手だもん」
「うーん、僕もそうかもです。大聖堂の大勢の国民の皆さんに手を振った時、ちょっと怖かったですもん」
コンコンコン……
するとそこへノックの音が響いた。
「うへぇ、追加の書類かな…… んんっ、入って良いぞ」
扉の外へ声をかけると、宰相の部下の書記官が大量の書類を抱えて入ってきた。
「失礼します陛下。こちら、本日中にご確認をお願いいたします。こちらは決裁済みのものですね。 --はい、問題ございません。回収させて頂きます」
「う、うむ…… ご苦労」
書記官が去ると、多少は減っていた決済待ち書類の量は元の状態にまで復活していた。
正直ため息が出そうになるけど、やらなきゃ終わらない。そう思って作業を再開した所で、書類の仕分けをしてくれていたシャムが声を上げた。
「あ…… タツヒト、イクスパテット王国の宰相からの手紙であります! きっと、アツァー族の航空定期便で届いたんであります!」
「……! すぐに見よう!」
「え、なになに?」
三人で頭を突き合わせるように手紙を読む。するとそこには、短い一文だけが記されていた。
『栗毛の馬人族、そして彼女に付き従う只人の男が、貴国への移住の意思を示した』
「……ただの移住希望者の報告? 他国の宰相がわざわざ送ってくるようなものかな、これ?」
首を傾げるフラーシュさんを他所に、僕とシャムは笑顔で頷き合った。
「ふふん。実は、すっごく重要な報告なのであります!」
「うん! 後でヴァイオレット様達にもにも知らせなくちゃ……! --よし、頑張ろう。地味だとか言ってる場合じゃないからね!」
ここを良い国にする。そしてそれを見届けてもらう。その決意を思い出し、僕は再度書類の山に立ち向かった。
遅くなりましたm(_ _)m
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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