第472話 黎明の空
「--駄目だ。眠れないや」
時刻は多分明け方近く。一人呟いた僕は、馬鹿みたいに大きなベッドの上から起き上がった。
ここは城の高層階に設けられた王の寝室だ。勿論レシュトゥ様の私室とは別の部屋を割り当てて貰っている。
いつもはお妃さんの誰かしらが一緒に寝てくれるのだけれど、宮廷会議が深夜まで続いた疲れもあり、今日は一人で床に就かせて貰った。
けれどそれは間違いだったらしく、こうして眠れないまま数時間が経ってしまっていた。
「冒険者時代は魔窟の深層でだって図太く眠れたのに。王様って大変だなぁ……」
眠れない原因ははっきりしている。僕が王様として抱える問題の数が多すぎて、それぞれの規模も大きすぎるからだ。
今回の宮廷会議では、国としての問題点の洗い出しで時間切れになってしまって、あまり解決策を出すところまでは進められなかった。
唯一、国の戦力低下問題に関しては、側妃のみんなやその仲間の人たちのおかげである程度解決の目処が立った。けれど、国の規模に対してはまだ不足している感じがある。
一方で、解決に時間と手間を必要とする問題や、まだ解決策を見出せていない問題も多い。
そして、それらの対処が遅れたりミスったりすると、沢山の国民が困ったり、最悪死んでしまう……
一度そう意識してしまうと、なんとか寝ようとしても頭の方が勝手にあれこれ考えてしまって、目が冴えてしまうのだ。
「ちょっと外の風に当たってくるか」
寝る事を諦めてベッドから降りた僕は、半袖短パンの格好で部屋を出ようとした所でハタと立ち止まり、豪奢なガウンを羽織った。
そして寝室から廊下へ出ると、ドアの両脇に立っていた警備の騎士達が驚いた表情で僕を見た。
「へ、陛下……!? 如何されましたか?」
「あー、うむ。警備ご苦労。少し眠れなくてな…… 外の風に当たってくる」
「展望台に向かわれるのですね? ではお供を--」
「いや、その必要は無い。少し一人で考え事をしたいのでな」
「--承知しました。では…… 私はここを固める。卿は皆に知らせてくれるだろうか?」
「ああ。すぐに」
騎士達は短いやり取りを終えると、一人が通路の先へと静かに走り去っていった。
多分、ここから展望台までの経路にいる騎士達を下がらせ、僕の目に触れない形での警護に切り替えに行ってくれたのだ。
「気を使わせてしまってすまぬな」
「は。勿体なきお言葉にございます。どうかお気をつけて」
「うむ」
膝をつく彼女に見送られながら、僕はゆっくりと廊下を進み始めた。
ガウンを羽織っておいてよかった。流石に半袖短パン状態で傅いてもらうのは申し訳ない。
最初は息苦しく感じた王様生活も、少しずつ慣れてきた気がする。
そこからは、騎士達の気遣いのおかげか誰にも会わなかった。
暫く歩いてから目的の扉を押し開くと、外から吹き込んできた風が優しく顔を撫でた。
心地よさに頬を歪めながら展望台へ出てみると、なんとそこには先客が居た。
「ヴァイオレット様」
僕の声に艶やかな紫のポニーテールが揺れ、こちらを振り返った彼女がふんわりと笑う。
「やあタツヒト。君も眠れないのか?」
「ええ。会議で目が冴えちゃって、ずっと寝返りばかり打ってました。ヴァイオレット様もですか?」
「ああ…… そんな所だよ」
僕の問いに、ヴァイオレット様はほんの少しだけ表情を暗くした。
僕はそっと彼女の隣に立つと、二人で明るくなりつつある東の空を眺め始めた。
暫く風の音だけが流れた後、彼女が口を開いた。
「--タツヒト。君は、私と初めて出会った時の事を覚えているだろうか?」
「勿論ですよ。あんなにも物理的にも精神的にも衝撃的な出会い、忘れるわけがありません」
「ふふっ、あれは本当に悪い事をした……」
それから僕らは、ぽつぽつと出会ってからの出来事を話し始めた。
僕がエマちゃんを届けにベラーキの村を訪ねた際、行き違いからヴァイオレット様にぶっ飛ばされた事。
大狂溢の際に一緒に村を守り切った事。
僕が領軍に入ってからは二人の距離が一気に縮まり、一緒に仕留めた火竜の死骸の影で初めて口付けしたこと。
そして、お互いを引き離そうとする国家に背を向け、全てを捨てて二人だけで逃げ出した事……
そこまで語った辺りで、ヴァイオレット様の表情はまた沈んだものに変わってしまった。
「私はあの時逃げた事を後悔していない。あの選択の結果が、シャムやキアニィ達との出会いや、君とこうして過ごせる今に繋がっている。
しかし、再び騎士に…… 君の第一の騎士たる騎士団長の任に就くに当たって、考えてしまうのだ。
かつて私欲のために騎士である事を放棄した私が、果たしてその務めを果たせるのかと……」
「ヴァイオレット様……」
彼女は東の空から僕の方へ顔を向けると、自嘲気味に笑った。
「こんな話を聞かせてしまってすまない。騎士としての自分には、ほとほと自信が無くてな…… 臆病者と笑ってくれ」
「いえ、そんな…… あの、僕も今になって気づいた事というか、実感できたことがあります」
「ほう、なんだろうか?」
少し興味をそそられた様子で尋ねてくる彼女に、僕は慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「あの時の…… 二人で逃げ出そうと言ってくれた時の、ヴァイオレット様の選択の重さです。
当時も頭では理解していたつもりでしたが、こうして王様になってやっと実感できました。
領主の娘としての責務、騎士団の幹部としての立場、ベラーキ村の人々を始めとした領民達…… それらを手放すのは、本当に身を裂かれるような思いだったと思います」
僕の言葉に、ヴァイオレット様が痛みに耐えるような表情を見せる。その事に罪悪感を覚えながらも僕は続けた。
「でもそれと同時に、もう一つ実感できたこともあります。その、僕が言うのも変なんですが…… ヴァイオレット様がどれだけ僕を大切に思ってくれていたかです。
それほどに重く、大切な何もかもよりも僕を選んでくれた。そんなヴァイオレット様が、僕の騎士としての務めを果たさない訳がないです……! 他ならぬ僕が保証します!」
言い切った後、ヴァイオレット様はぽかんとした表情をしていた。
僕はというと、羞恥心で多分顔が真っ赤になっているはずだ。
だって今、あなたは僕の事好きでしょ? と、あろう事か僕自身で力説してしまったのだ。恥ずかしすぎる。呆れられちゃったかも……
「--ふふっ…… ははっ……! 確かにそうだな。全く、君という奴は」
しかしそれは杞憂だった。ヴァイオレット様は破顔すると、僕を愛おしげに抱きしめてくれた。
そのまま自然と口付けした僕らは、小さく笑い合うとどちらともなく東の空へ目を向けた。
「日が昇るな……」
「ええ……」
日の出が近づく東の空は、見事な紫色に染まっていた。
視線をヴァイオレット様の方に戻すと、空を眺める彼女の瞳や髪の鮮やかな紫色が、今まで以上に美しく見えた。
その瞬間。僕は宮廷会議の議題の一つ、この国の名前問題を思い出した。
会議の参加者で話し合った結果、国名を変える方針にはなったのだけれど、具体案はまだ出ていなかったのだ。
「ヴァイオレット様。この国の新しい名前ですが…… アウロラ王国なんてどうでしょう?」
「アウロラ……? 古い言葉で、黎明、夜明けという意味か…… なるほど。この国は、覆天竜王によって齎された長く苦しい夜を抜け、全く異なる国へと生まれ変わろうとしてる。
アウロラ王国…… 新生するこの国が冠するに相応しい名前だ。響きも良い。うむ、私は気に入ったよ、タツヒト」
「はい、正にそうなんです! あと、これは完全に職権濫用なんですが…… 自分の国の名前には、好きな人の色を入れてみたくて」
そう言った瞬間、ヴァイオレット様は驚いた表情で東の空を、紫色に色付く黎明の空を見た。
そしてゆっくりと僕の方へ向き直ると、花が咲いたような笑顔を見せてくれた。
「タツヒト……!」
思いの丈を伝えるかのような力強い彼女の抱擁に、僕も力一杯に抱き返した。
「あぁ…… 他のみんなには申し訳ないが、この例え用もない幸福感には抗えない…… 私は、全力でこの国名に賛成させてもらうぞ」
「ふふっ、ありがとうございます。でも、国名の由来の職権濫用部分は、二人の秘密にしておきましょう」
笑い合う僕らの頬に暖かな光が射し、日が昇った。
大変遅くなりましたm(_ _)m 最終回では無いです!
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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