第451話 渇きの竜王(1)
階段を上り切った先は、豪奢な装飾の施された王宮のような空間だった。しかし目の前の扉の奥からは、苦痛み満ちた悲鳴が絶えず聞こえてくる。
「この声…… アグニディカか!? 一体何が……!?」
ヴァイオレット様が困惑の表情で扉を睨む。彼女の手にはアグニディカから奪った金色の槍、黄竜角戟が握られている。
「分かりません…… ですが、僕らがやる事は変わらないはずです……! 見てください。扉にアグニディカの血の跡が続いています。きっとあの先に竜王が…… 急ぎましょう!」
当初の暗殺プランから大きく外れた不可解な状況。それに戸惑いつつも、僕らは床や扉に残る血の跡を辿って走った。
いくつもの扉を潜るたびに悲鳴は大きくなり、次第に強まる次元の異なる気配に足が竦みそうになる。
そして一際大きな扉を開け放つと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
「あ゛ぁぁぁぁっ!! りゅゔおゔざま……! どうが、どうがお許じをぉぉぉ!!」
そこは謁見の間のような華美な部屋だった。その異様に広い空間の中には強烈な熱風が渦巻き、入った瞬間に唇がかさつくほどに空気が乾いている。
アグニディカはその渦の中心に浮かびながら、激痛から逃れようとするかのように必死に身を捩っていた。
彼女の健康的だった肌は今やミイラのように乾燥し、ひび割れ、その手足は中程まで消失していた。
体の消失は現在進行形で進んでいて、水分を完全に失った末端から、まるで強風に削り取られるように少しずつ短くなっている。
「--む、来たか。では終わりだな…… アグニディカ。貴様の悲鳴は中々に心地よかったぞ」
あまりの光景に言葉もなく立ち尽くしていると、声が聞こえた。
その瞬間、僕は凄まじい重圧と、無数の毒蛇に纏わり付かれたような恐怖に襲われた。
声の主を探すとすぐに見つかった。部屋の奥の小高い場所に設らえれた玉座、そこに座っている男だ。
王族のような華美な服装に身を包んでいて、遠目からはアグニディカと同じく竜人族に見えた。
しかし、酷薄そうな顔付きは蛇のような印象で、病的に青白い肌からも人間味が感じられない。
何よりこの隔絶した存在感…… 間違いない。あれが…… あの男が覆天竜王だ……!
「お゛、お゛待ぢを! わだじに、もゔ一度だげ機会を……! 今度ごぞご期待に--」
「駄目だ」
ひび割れた声で必死に許しを乞うアグニディカに、覆天竜王は実に楽しげに手を向けた。
ゴバッ!
瞬間。彼女の体は粉微塵となり、風に攫われるように消え去ってしまった。
そして渦巻いていた激しい熱風が止み、部屋の中に静寂が訪れる。
--アグニディカは、決して尊敬できるタイプの敵ではなかった。けれど、僕ら全員を相手取った強さと、竜王への忠誠心は本物だった。それをあんな風に……!
忠義に篤かった部下の悲鳴に頬を歪める異常性と、紫宝級の戦士を瞬殺した絶大な魔力……
その残虐さと力の一端を目にして最大限の警戒体勢を取る僕らに、覆天竜王はやっと意識を向けた。
「さて…… 使えん部下の次は、下賤な侵入者の掃除か。実に面倒だが--」
詰まらなそうにこちらを見た奴は、しかしフラーシュさんを視界に収めた途端、その表情を激しい憎悪に歪めた。
「貴様ぁっ……! なぜまだ生きている!?」
奴は王座を蹴飛ばす勢いで立ち上がると、強烈な殺気を発しながらこちらに手を向けた。
脳裏に粉砕されたアグニディカの姿が蘇り、僕は反射的にフラーシュさんの前に飛び出していた。
『草薙!』
雷槍天叢雲を突き出して唱えたのは、アラク様から教えてもらった二つ目の技。任意の場所に強固な真空空間を作り出す魔法だ。
ここまで忍び込む際、音と匂いを消すための魔法として重宝したし、火事を消したりするのにも便利だ。
けれどこの魔法の真骨頂は別にある。それは、風魔法に対する絶大な防御能力だ……!
ゴバァッ!
眼前に展開した真空の防御フィールドに、覆天竜王が放った魔法が激突した。
「ぐぅぅぅぅっ……!」
弾けた死の熱風にフィールドが軋みを上げ、ゴリゴリと魔力が削れていく。
異様に長く感じた数秒の後、やっと風が止むと、僕が防御範囲外の床や背後の壁が、広い範囲でごっそりと消失していた。
「ひぃっ…… あ、ありがとう、タツヒト氏…… 死ぬかと、思った……」
青い顔でお礼を言ってくれたフラーシュさんに、僕は敵から目線を外さずに頷いた。
あ、危なかった…… 防げるかはかなり賭けだったけど、何とかなったぞ……!
奴の技は、物質を極限まで乾燥させて脆くし、強烈な熱風で粉微塵に削り砕く…… おそらくそんな魔法だ。
それだけじゃ説明できない威力と効果だったけど、草薙で防げたので、ともかく風魔法の一種だったようだ。
「この私の渇死熱波を防いだだと……!? そこのオス猿。許す、名を名乗れ」
覆天竜王は、僕を見下ろしながら傲岸不遜に言い放った。
「部下を笑いながら殺す王に、名乗る名前なんてない……! 僕は、お前を倒しに来た只の冒険者だよ。
お前達に苦しめられてきたこの国の人々、そして先代女王の無念…… 晴らさせてもらう……!」
「……! タツヒト氏……」
背後でフラーシュさんの息を呑む声が聞こえた。口にしてはいなかったけれど、彼女が母親を殺されて何も感じていない訳がない。勝手ながら、敵討ちムーブをさせてもらおう。
僕の台詞に、覆天竜王は心底不愉快だというふうに顔を顰めた。
「ふん、やはり下等生物だな。礼儀を知らぬ。だがなるほど…… 察するにそこの軟弱な耳長猿は、あの愚かな女王の子供か何かだな?
--はっはっはっはっ……! これは僥倖! 私は後悔していたのだ。あの忌々しい女を簡単に消し飛ばしてまった事を……
喜ぶがいい耳長猿よ。お前はすぐには殺さんぞ……? この私がその悲鳴に飽きるまで、少しずつ、じっくりと嬲り尽くしてやろう……!」
酷薄な笑みを浮かべた覆天竜王から、凄まじい殺気が吹き出した。
まるで質量を持つかのような強烈な威圧感に、体が勝手に後退りしそうになる。しかしそんな中、フラーシュさんは叫んだ。
「か、母様は…… 母様は愚かな女王なんかじゃない……! お前は私が…… 私たちが倒す!」
その声にはガタガタと歯を鳴らす音が混じっていたけれど、同時に強い意志が込められていた。
「先生…… よくぞ言われました! タツヒト!!」
「ええ! ヴァイオレット様!」
敵の強大さに挫けかけたみんなの心が、フラーシュさんの言葉で踏みとどまった。
けれど状況は悪化の一途を辿っていた。背後の扉の方から、多数の声と足音が聞こえてきたのだ。
「て、敵の援軍多数であります! タツヒト、どうするでありますか……!?」
シャムの声に、撤退の二文字が浮かびかける。 --いや。敵はもう、近日中の大攻勢でこの国を滅ぼそうとしている。
そして僕らの目の前には、敵の首魁が護衛も付けずに一人で立っているのだ。今この瞬間が、敵を止める最初で最後のチャンス……!
「戦おう! 背後の守りは、キアニィさんとゼルさんにお願いします! 後衛は増援の妨害を主軸に、適宜援護を!
覆天竜王には…… 僕とヴァイオレット様で当たります!」
「ほぅ…… 本当にこの私に向かってくると言うのか? ふふっ、やってみるが良い…… この下等生物共が!」
面白がるように嘲笑う覆天竜王に向かい、僕とヴァイオレット様は同時に駆け出した。
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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