第418話 紫宝級冒険者
半年ぶりに聖都に帰ってきた翌日。朝の挨拶を交わした後で、満足気に二度寝に入ったメームさんを高級宿に残し、僕らは早速冒険者組合に向かった。
ちょっと忙しないけど、猊下が指定された日まであと数日しかない。サクサク用事を済ませて行かないと、発つ前に親しい人達に挨拶回りも出来なくなってしまう。
聖都の一等地に建つ立派な組合の入り口を潜ると、受付にカサンドラさんが座って居るのが見えたのでそこへ向かう。
すると彼女は、ちょっとげっそりしてふらついている僕と、満足げで血色の良いみんなを目にして上品に笑った。
「みなさん、おはようございます。昨晩はお楽しみだったみたいですね? うふふ」
「あ、あはは…… えっと、はい…… あの、昨夜はろくにお見送りもせず--」
「昨夜はみんな特に楽しそうだったであります! メームのあんな声、初めて聞いたであります! 流石タツヒトでありま--」
「シャ、シャムちゃん! しっ、しー……!」
プルーナさんの静止も虚しくシャムの元気な声が響き、受付スペースにいた冒険者の方々の視線が僕らに集まる。
や、やめてぇ……! 昨日は妙に大人しく別室に引っ込んでくれたと思っていたのだけれど、やっぱり覗かれていたらしい。二人のスニーキングスキルがどんどん上がっている気がする……
気まずげに黙り込む僕らに、カサンドラさんは笑みを深くする。
「あらあら。みなさん本当に仲良しさんなんですね。とても良いことです。
とは言えどう致しましょう? 今日はタツヒトさんの昇級試験の予定でしたけれど…… 日を改めましょうか?」
「い、いえいえ、問題ありません! 今日受けさせて下さい!」
カサンドラさんの言葉に僕は慌ててそう返した。こんな理由で予定を変えてもらうのは申し訳なさ過ぎる。というかすでに恥ずか死しそうだ。
それで、すぐに試験をしてもらう事になったのだけれど、やはりというか、試験官はカサンドラさんだった。
今回の試験項目はその彼女との組み手のみ。ここまで来ると、求められるのは人類最高戦力の水準の腕っぷしだけというわけだ。
「試験かにゃ…… 嫌な言葉だにゃ……」
「ふふっ…… あなた青鏡級に上がる時、泣きながらお勉強していましたものねぇ?」
「うるせーにゃ! 冒険者に学にゃんてひつよーねーんだにゃ!」
キアニィさんに揶揄われ、ゼルさんがちょっと目に涙を溜めながら怒鳴り返す。
青鏡級までは昇級に筆記試験があるのだけれど、ゼルさんは何度もそれに落ち、それはそれは苦労したのだ。
彼女がやっと筆記に合格した際、みんなで泣きながらお祝いしたのはいい思い出だ。
全員で受付スペースから組合の中庭に移動すると、話を聞きつけたのか、すでにギャラリーが沢山集まっている。
試験用にと手渡された杖で軽く素振する僕に、ヴァイオレット様が真剣な表情で声をかけてくれた。
「タツヒト…… 言うまでもないだろうが、心してかかるのだぞ。私が昇給試験を受けた際は、引退した御高齢の紫宝級冒険者殿が相手だった。
紛れもなく極まった手練だったが、その彼女と比較してもカサンドラ殿は底は全く見えない……」
「ええ、わかっています。油断なんて出来るはずがありません…… --では、行ってきます」
僕とカサンドラさんは広場の中央に歩み出ると、一定の間合いを取って向かい合った。
彼女の立ち姿は、木剣を片手にだらりと下げた自然体。だというのに全く隙がなく、相対するだけでじっとりと冷や汗が背中に滲む。
「ではこれより、タツヒト氏の紫宝級への昇級試験を開始します! さぁ、いつでもどうぞ!」
「はい……! 胸をお借りします!」
カサンドラさんの開始宣言を受け、僕は地を蹴って突進し、同時に驚愕した。
「……!?」
現実時間から僅かに先行するイメージの中で、僕は彼女の胴体に突きを打ち込んだ。
しかしその攻撃はいとも簡単に弾かれ、彼女の返す刀で頭を割られる自身の姿がありありと脳裏に浮かんでしまったのだ。
慌てて方向転換して彼女の側面に回り込み、足元への薙ぎ払いを放とうとするも、やはり致命的な反撃を受ける未来が見えてしまう。
「ふふふ……」
一方カサンドラさんはというと、攻めあぐねている僕を目で追いながら楽し気に微笑んでいる。
--駄目だ。普通に打ち込んでも、絶対に崩せないことが直感的に分かってしまう。なら……!
僕は彼女を中心に円を描くように少しづつ移動していき、最後にある場所、太陽を背負う位置へと一気に踏み込んだ。
その瞬間、カサンドラさんが眩しそうにほんの少しだけ目を細め、敗北の幻影が立ち消えた。
「らぁっ!!」
その機を逃さず、今度こそ全力で地を蹴って最短距離で突きを放つ。
しかし、隙をついたかに見えたその一撃を、彼女は半身になっていとも簡単に躱した。
さらにはその勢いのまま体を回転させ、横なぎのカウンターを繰り出してきた。
ビュッ……!
直感に従い身を屈める。すると木刀が頭上スレスレを通過し、僕の髪の毛を数本切り飛ばした。
「お…… おぉぉぉっ!」
身の毛のよだつような斬撃。僕は自分を奮い立たせるように雄叫びを上げ、圧倒的強者である彼女を攻め続けた。
それに対するカサンドラさんのカウンターは、回を重ねる毎に鋭さと速度を増していった。
そして打ち合うことおよそ百合目。僕の処理能力を超えた斬撃が眼前に迫り、皮一枚の距離でビタリと静止した。
木刀とは思えない風圧と共に、圧倒的な死の予感が駆け抜ける。膝から崩れ落ちそうになるのを堪えながら、僕は絞り出すように口にした。
「ま、参りました…………」
「「--お、おぉー……!」」
固唾を飲んで試験を見守っていたギャラリー達の方から、感嘆の声が聞こえてくる。
--い、いや。カサンドラさん、いくら何でも強すぎないか……? 紫宝級に上がったのに、全く近づけた気がしないぞ……
戦慄している僕に対し、彼女は木刀を引いて飛び切りの笑顔を見せてくれた。
「うんうんうん……! 非常に良いですね! 咄嗟に太陽を背負う機転、機を見て飛び込む思い切りの良さ、それらを十全に生かす分厚い基礎……
その若さでよくここまで練り上げました! 文句無しの合格です! あ、若さといえば、タツヒトさんは確か18歳でしたよね?
素晴らしい! ならばあなたは、記録上最年少の紫宝級冒険者という事になります!
お集まりの皆さん! 新たな人類最高戦力の誕生に、是非拍手を!」
カサンドラさんの合格宣言に、ギャラリーの皆さんから拍手が飛んでくる。
それにどもどもと会釈していると、みんなが嬉しそうに駆け寄ってきてくれた。
「タツヒト! あのカサンドラ殿相手に見事な試合だった! 先ほどまで私が最年少の紫宝級冒険者だったのだが、一瞬で抜かされてしまったな。ふふっ」
「タツヒトさん、おめでとうございます! --あれ、あまり嬉しそうじゃないですね? どこか痛めてしまいましたか……?」
声をかけてくれるヴァイオレット様とロスニアさんに、僕はどこかふわふわした心持ちのまま答えた。
「あ、いえいえ。とても嬉しいです。なんたって冒険者の最高峰ですから。でもその…… 同時に上には上がいると思い知らされたというか…… 受かったけど受かった気がしていないというか……」
僕の返答にみんなが納得の表情で頷く。一方で、カサンドラさんはいつにも増してニコニコしている。
「うふふ。タツヒトさんはもっと強くなれますよ。ですから、これからも精進してくださいね?
さて、それでは昇級の事務手続きも済ませてしまいましょう! 受付の方へどうぞ!」
カサンドラさんがスキップするような調子で組合の方へ歩いていく。
先ほどの組み手は、バトルジャンキーな彼女を喜ばせるに足るものだったらしい。ちょっと悔しいけれど、ちょっと光栄でもある。
--しかし、ちょっと不思議だ。それならば、なぜ彼女は冒険者を引退してしまったんだろう……?
水曜分です。遅くなりましたm(_ _)m
お読み頂きありがとうございました!
【月〜金曜日の19時以降に投稿予定】




