第414話 鷲の神獣
炎の爆ぜる音と大陸茸樹怪の苦悶の声が木魂する中、紫炎に燃えるナパの大地を誰もが言葉も無く眺める。
暫くして、僕の側に付いていてくれたティルヒルさんがポツリと呟いた。
「あーし、まだ頭が追いついてないんだけど…… 終わったんだよね……?」
「ええ…… どのくらいかかるかはは分かりませんが、東西の大陸茸樹怪はこのまま全て灰になります。
先ほど見ていた通り、奴らにあの紫炎から逃れる術はありません。最後の一欠片を焼き尽くすまで、呪いの炎は決して消えませんから……」
「そっかぁ…… じゃあ、本当に終わったんだ……! 良かったぁ…… --あ! おばーちゃん達、だいじょーぶかな……!?」
「そうでした……! 大陸茸樹怪の進行は止まったはずなので、魔物達も既に追い立てられてはいないと思いますが……」
僕は動けないけれど、ティルヒルさんにはまだ余力がある。彼女だけでも、アゥル村に確認に向かって貰った方が--
ドォンッ!
大きな音に振り返ると、遥か上空に居た呪炎竜が村に降り立った所だった。流石に大仕事だったのか、少し疲れているようにも見える。
奴は億劫そうに唸りながら、何故かちらりと炎の大河の方を見た。そして次に僕の方に視線を向け、ふんと鼻を鳴らして見せた。
も、もしかして今…… 僕ら人類が必死になって構築したあの炎の大河を、鼻で笑ったのか……!?
こ、こいつ……! 正直かなりイラッとした。けれど、奴の火魔法に比べたら児戯に等しいのは確かだし、あの呪いの炎にナパ全土が救われたのも事実だ。
今回は大人しく下手に出ておこう……
「あ、ありがとうございました…… いやぁ、流石の業前です。僕の火魔法では到底貴方には敵いません、この通りです」
ちょっと顔面をひくつかせながら頭を下げると、奴は愉快そうに喉鳴らし始めた。
「グッグッグッグッグッ……」
「--ね、ねぇタツヒト君…… この竜、もしかしてちょっとやーな奴……?」
「いえ、ちょっと所では無いですね…… 強欲で陰険で偏執的…… その上強さも魔法の腕も最上級なので、正直手に負えないと言いますか……」
「えっ…… えぇ〜……?」
マウントを取って満足したのか、奴は小声で囁き合う僕とティルヒルさんからついと視線を外した。
そして、今度こそ直せ! とばかりに、穴の空いた財宝運搬用の籠をプルーナさんの方へ押しやった。
「グルッ!」
「あ、はい……! 只今!」
プルーナさんが作業に取り掛かると、修理はほんの数分ほどで完了してしまった。
籠に空いていた大穴は綺麗に塞がれ、更に補強兼装飾も施してあげたようで、綺麗な格子状の模様が入っている。
「ど、どうぞ。如何でしょう……? 穴は塞ぎましたし、以前より頑丈になっているはずです」
「グ、グルルッ!」
プルーナさんが籠から離れると、呪炎竜は飛びつくように籠を手に取り、捧げ持つようにして仕上がりを確認し始めた。
そして色んな角度から嬉しそうに籠を眺めた後、プルーナさんを薄目で見ながらふんと鼻を鳴らした。まるで、まぁ、悪くない仕上がりだ。褒めて遣わす。と言っているかのようだ。
「ご、ご満足頂けたようで良かったです…… あはは……」
そのあまりに尊大な様子に、プルーナさんも苦笑いだ。相変わらず妙に人間臭い魔竜である。
彼女は後ほど僕らがしっかりと労うとして、これで奴も用が済んだはずだ。命を救って貰って何だけど、早めにおかえり願いたい。
そう思って呪炎竜の様子を見守っていたのだけれど、奴は前足に抱えた籠を見つめたまま中々飛び立たずに居る。
「あれ、どうしたんだろ……?」
「な、何か不備でもあったんでしょうか……?」
籠を修理したプルーナさんも不安そうだ。しかし、彼女のそれは杞憂だった。
奴は籠から視線を外すと、プルーナさんではなくティルヒルさんを凝視した。
「ゴルルルルッ……」
「へ……? あーし……!?」
ティルヒルさんが不安そうに僕の手を取るので反射的に握り返す。一体どうしたんだ……? いや、奴の視線…… 彼女の首元や腰元なんかを見ている……?
「これは…… 多分、ティルヒルさんが身につけている宝飾品を見てるんです。呪炎竜は、宝石や貴金属が大好きなので……」
「あ、そーなの……? じゃ、あーしが持ってる奴あげるよ! ナパを救ってもらったのに、対価が籠の修理だけじゃ釣り合わないもんね!」
「あっ……」
彼女はネックレス以外の全ての宝飾品を外すと、僕が制止する間もなく呪炎竜に歩み寄った。
「はい! どーぞっ!」
「グルッ!」
呪炎竜は、差し出された宝飾品をでっかい手で器用に受け取ると、嬉しそうに財宝運搬用の籠に仕舞い込んだ。
ティルヒルさんも光り物が大好きなのに…… プルーナさん同様、彼女も後ほど熱烈に労わなければ。
あとは、これで奴が満足して帰ってくれればいいんだけど……
「ゴルルルル……」
けれど不安は的中した。奴は、それも寄越せととばかりに、彼女の首元のネックレスを指して低く唸った。
「え…… こ、これはだめだよ! 絶対にだめ!」
ティルヒルさんがネックレスを両翼で隠しながら後ずさる。
あのネックレス、以前僕が贈ったものだ。それを我が子を守る母親のように抱え込む彼女に、心がじんわりと温かくなるのを感じる。
しかし残念ながら、強盗をライフワークにしているあの魔竜にはそんな事関係ない……!
「ティルヒルさん、危険です……! 大切にしてくれるのはとても嬉しいですが--」
「やだ! これだけは絶対にあげない!」
頑なにネックレスを差し出さないティルヒルさんの様子に、奴の雰囲気が剣呑なものに変わった。更に奴は、周囲で不安げに事の成り行きを見守っている村の人達にまでちらちらと視線を送り始めた。
気づいてしまったか…… 宝飾品が好きなアツァー族の例に漏れず、村の人達もジャラジャラと貴金属や宝石を身につけているのだ。奴からしたら文字通り宝の山だろう。
「グルルルッ……!」
財宝籠は直ったが、その中身は今は空だ。だったら、ここの人間どもの宝飾品で中を満たしてから帰っても良いんじゃないか?
奴の思考なら、そんな考えに行き着いてもおかしく無い。というかあのでかい顔にそう書いてある。
どうする……? 今回は宝飾品を献上して帰ってもらうか……? --いや、駄目だ。こいつは味を占めたら骨の髄までしゃぶり尽くす輩だ。くそっ、こんな時に魔力切れだなんて……!
「相変わらずの強欲具合だな……! くっ…… 駄目だ、まだ立てん……!」
奴を良く知るみんなもそれに気づいたらしい。立ち上がろうとしたヴァイオレット様が悔しそうに呻く。
一方まだ少し余力があるゼルさんは、奴に見せつけるようにシャムを抱え上げた。
「おいおみゃー! 欲張るのもその辺にしとくにゃ! こいつが目に入らんのかにゃ!」
「そ、そうであります! うおー! であります!」
「ギャッ……! グ、グルルルルッ……!」
効果は覿面だった。シャムの顔を見た呪炎竜が、小さく悲鳴を上げて後ずさる。
以前交戦した時もそうだったのだけれど、奴は何故かシャムを異様に怖がっているのだ。
そうして、小さな手足を広げて威嚇するシャムと、彼女に怯えて唸る巨大な魔竜との、奇妙なこう着状態が発生した。 --いや、なんだこの状況……?
ゴロゴロゴロ……
するとその直後、夜になりつつあった空から、雷雲の唸る音が響き始めた。
あまりに急激な天候の変化に、その場の全員が上空を見上げた。なんだ……? 当然、今の僕には天候を操作する余力なんて無い。一体……?
--ずんっ……
「「……!」」
次の瞬間、凄まじい威圧感が僕らを襲った。まるで巨大な惑星が落下して来たかのような、次元の異なる存在感…… これは、まさか……!?
「ギャッ……! ギャオンッ!」
呪炎竜の行動は早かった。気配が生じた僅か一秒後。財宝籠を引っ掴み、悲鳴を上げてその場から飛び去ってしまったのだ。
一方村に残された僕らは、天が落ちてくるが如き規格外の圧力に膝を突き、空を仰いだまま動けずにいる。
そして、見上げる内に曇天の一部がぼんやりと明るくなり、雷鳴が一際高鳴った時、それは顕現した。
『--ピュィィィーーーッ……』
空を裂く甲高い鳴き声と共に雷雲が割れ、雷光を纏う神々しい翼影が現れた。
シルエットは鷲のような猛禽類に似ている。しかし翼長はおそらく数百mを超え、何より星そのものと相対しているかのような存在感が、それが何者なのかを物語っていた。
「神獣……!」
僕の呟きにをきっかけに、村の人達が声を震わせながら天を仰ぎ、口々に祈りの言葉を紡ぎ出す。
「雷の神鳥……!」「雷の神鳥が降臨されたぞ!」「おぉ……! 偉大なる嵐と恵みの精霊よ!」
雷の神鳥と呼ばれたその神獣は、僕らの上空を悠然と旋回し、村をぐるりと一周した。
そしてもう一度甲高い鳴き声を上げると、そのまま雷雲の中へ還って行ってしまった。
直後、黒雲は幻のように消え去り、周囲を支配していた凄まじい威圧感も嘘のよう消失した。
僅かな間に起こった衝撃的な出来事の連続に、その場の全員が今度こそ放心したようにただただ空を見上げる。
「--ん……? タ、タツヒト、それは……!?」
すると少しして、ヴァイオレット様が僕の手を指して声を上げた。
「え……? あ……!?」
彼女に言われて視線を落とすと、いつの間にか僕の手には、燐光を発する大きな羽が握られていた。
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