第404話 巌の巨獣(1)
「いやー、壮観だなぁ……」
目の前に聳え立つのは、見上げる程に高い30mの防壁。10階建てマンションくらいの巨大なそれは、首を左右に思い切り振っても切れ目を見つけられず、霞む地平線にまで続いている。
当然だろう。この壁は、広大なナパの西側、山脈の切れ目の全てを塞いでいるのだ。
壁のナパ側は滑らかに整えられた斜面になっていて、こちらから見えない反対側、巨大峡谷の方は垂直に切り立った形をしている。
ほんのり赤いナパの土を圧縮加工したせいだろう。朝日を受けてた大防壁は、紅色に輝いて見えた。正直かなり頼もしい。
着工からおよそ三ヶ月。巨大峡谷に沿うように建造されていた対大陸茸樹怪の大防壁が、奴の来襲の前に漸く完成したのだ。
僕らは真冬にこの大陸に来たけど、それから季節はすぎて現在は春。白く染まっていたナパは、今や赤茶けて疎に緑が生える広大な荒野に変貌していた。
そんな期間建造に携わってきた『白の狩人』のみんなとティルヒルさんは、一緒に壁を見上げながら感慨深げな表情をしている。
周りには、僕らと同じように完成した壁を見上げているナパの人々がたくさんいて、ちらほらと涙を流している人も居た。
「なんとか間に合いましたね。現場の皆さんはヘトヘトですけど……」
「シャムももう寝たいであります…… もう多孔質石材の数を管理するのはたくさんであります……!」
僕の両隣で壁を見上げてたプルーナさんとシャムが、疲労困憊な様子で呟く。
この二人は現場に張り付き、強力な土魔法と高度な演算能力でずっと建造を助けてくれていたのだ。
僕は二人の頭に手を置くと、労いの気持ちを込めて念入りに頭を撫でた。
「二人とも、本当に頑張ってくれてたもんね。ありがとう……」
「えへへ……!」
「むふー!」
すると、プルーナさんがおずおずと、シャムが思いっきり抱きついて来たので、僕もそっと二人を抱き返した。
三人で笑い合っていると、後ろから全員まとめて黒い翼にまとめて抱擁された。振り返れば、至近距離にティルヒルさんの泣き顔があった。
やはりここに根を下ろす人にとっては、僕らとは次元の違う感慨があるようだ。
「グスッ…… シャムシャムも、プルプルも、タツヒト君も…… みんなみんな、本当にありがどぅ……!」
「ふふっ、ティルヒルさんもお疲れ様でした。涙でお顔がべしょべしょですよ?」
「ぐすんっ…… んふふ……」
僕は懐からハンカチを取り出すと、彼女の顔を丁寧に拭って差し上げた。
彼女はなんだか嬉しそうにされるがままになっている。ちょっと前まではこんな風に自然に触れ合う事なんて出来なかったので、壁の完成と同じくらい感慨深い。
ティルヒルさんと、我が第二人格タチアナとの初顔合わせからおよそ一ヶ月。
まずは服装、次に化粧、髪型、喋り方…… ちょっとずつ女装を緩めていく作戦により、ようやくタチアナ成分皆無でまともに話せるようになったのだ。
今ではスキンシップも増し増しなので、嬉しいけど毎回ドギマギしてしまうほどだ。
「ふむ…… 防壁が間に合ったことは大変喜ばしいが、懸念点はパナ内の魔物の間引きが追いついていない事だな……
西側がこうして完全に断絶されているのに、そこ以外、特に東側から流入してくる魔物の数が異常だ。このままでは、ナパから全住民を撤退させる場合、避難に支障が出てしまうだろう」
「ええ。ナパの方々も首を傾げていましたわぁ。こうして壁が完成し、並行していた次善策と避難の準備も完了した今、間引きの強化と、東側の調査に人員を割いても良いかもしれませんわねぇ……」
みんなが感慨に耽る中、ヴァイオレット様とキアニィさんは冷静だった。確かにそれは僕も気になっていた。
「そうですね…… 村に戻ったらナーツィリド長老達に提案してみましょう」
「しっかし、こっちの壁と違って、あっちの方は護衛が大変だったにゃ。にゃにせ、どっからでもいくらでも魔物が襲ってくるからにゃー」
「ええ…… 次善策の工事の方では、怪我人や、亡くなってしまう方も相当数出てしまいました…… どうか彼女達の魂に、安らぎが在らんことを……」
ゼルさんが西側、大防壁の反対側に視線を向けながらぼやき、ロスニアさんが手で聖印を形作る。
そうなのだ。片側が壁になっている防壁と違って、次善策の準備には遮るものの無い荒野のど真ん中で工事を行う必要があった。
僕も含めた『白の狩人』の前衛組とティルヒルさんは、工事を進めてくれるナアズィ族の人達を全力で警護した。しかしそれでも、不意に魔物の大群に襲われたりした際には、守り切れなかった事があったのだ。
僕の発案した策の準備に何人もの死者が出てしまった。その事を思うと胃のあたりがズンと重くなる。
さらにこの大防壁の威容を見ると考えてしまう。果たして、次善策は本当に必要だったのか……? 僕は余計な死人を出してしまっただけなのでは……?
「タツヒト君…… なんか苦しそーな顔してるけど、だいじょーぶ……?」
心配そうに眉を下げたティルヒルさんに至近距離で顔を覗き込まれ、心臓が大きく跳ねる。この人、自分の顔が良すぎる事に自覚が無さすぎる……
さておき、あの時の僕は確信を持って長老さん達に献策したのだ。その僕が次善策の必要性を疑っては、犠牲になってくれた方々がそれこそ浮かばれないだろう。
「は、はい。少し考え事をしていたんですが…… もう、大丈夫です」
「そっか…… じゃ、そろそろ村に戻ろ! 大陸茸樹怪は結構近くまで来てるけど暫く動いてないし、今日は完成祝いにパーっとやるっておばーちゃん達が言ってたから!」
行こ行こ! という感じでティルヒルさんに背中を押され、僕らは大防壁からアゥル村へと戻った。
魔物を蹴散らしながら大防壁から戻ると、すでに村の中にはお祭りの雰囲気が漂っていた。
先に村に戻っていたアツァー族の大人達が、村の所々で大防壁の威容を喧伝しているせいだろう。
長老集会以降、特に戦う術を持たない只人や子供達は強い不安に晒されていたはずだけど、今は安堵の表情を浮かべているように見える。
そんな浮ついた雰囲気の中広場まで進むと、楽しげに宴の準備をする村の人達の中に、ナーツィリド長老を見つけた。
お、顔が赤いし手に盃を持っている。ひと足さきに始めていたらしい。
「あー! おばーちゃん達、もー飲んじゃってるの!? ずるーい、抜け駆けー。んふふ!」
ティルヒルさんの声に長老さんが振り返り、僕らを見つけてニヤリと笑う。
「おぉ、戻ったか。若いお主が固いことを言うでないわ。危機を乗り切ったわけでは無いが、今日くらいは緩んでもよかろう。
ほれ、あの連中を見てみるのじゃ。もう出来上がっておる」
長老さんのが指す方を見ると、ナパの首脳陣とも言える長老さん達が赤ら顔で盃を交わしていた。
防衛派と避難派の区別無く笑顔で話し込んでいて、実に楽しそうだ。
「そら、お主らも飲むがいい! 張り詰めてばかりでは、いつしか切れてしまうぞ?」
ずいと盃を押し付けてくる長老さん。まぁ、一理あるな。今休まないと次はいつ休めるか分からないし、お言葉に甘えよう。
「ふふっ、そうですね。それじゃあ一杯だけ--」
「ナーツィリド長老! どこですか!? ナーツィリド長老!」
盃を受け取ろうとした瞬間。悲鳴のような声を発しながら一人の若いアツァー族が広場に降り立った。
楽しげな雰囲気に満ちていた広場が、瞬時に緊迫感に包まれた。
「……! ここじゃ! 一体何事じゃ!?」
盃を放り投げ、瞬時に表情を引き締めたナーツィリド長老が声を発する。
すると、伝令役らしい彼女は発着場の方を指差した。
「見て頂いた方が早いです! すぐに発着場へ! お急ぎ下さい!」
「む…… わかった! ティルヒル、タツヒト! お主達も来るのじゃ!」
「う、うん!」
「了解です!」
騒ぎを聞いていた他の長老さん達と一緒に、僕らはすぐに発着場まで走った。
すると、発着場には既に村の戦士の大半が集まっていて、その中にはリーダー格であるビジールさんもいた。
「ジルジル! 何があったの!?」
ティルヒルさんの鋭い声に、ビジールさんは呆然とした表情で振り返り、震える指先で村の外を指した。
「ゆ、勇者よ…… あれを……」
彼女の指す方に目を凝らすと、遠くの方に長細い岩山が沢山立っているのが見えた。
あれを指してるのか……? 変わった形だけど、ただの岩山だよな……?
--ん? あれ、そもそもあそこにあんな岩山あったか……? 随分特徴的な形だから、一度見たら忘れなさそうだけど……
疑問に思いながら目を凝らしていると、その答えはすぐに判明した。
細長い岩山だったと思っていたそれらが、ゆっくりと上下に揺れ、僅かに、しかし確実にこちらへと近づいたのだ。
「「……!?」」
周りから息を呑む音がして、あまりの事に脳がフリーズする。
しかし、岩山はその後も一定の周期で動き、こちらへと近づいてくる。違う…… あれ、岩山なんかじゃない!
動き始めたことで、ようやくそれが何なのか認識する事ができた。
頭のようなものがあり、腕のようなものを振りながら歩行している…… 細長い岩山に見えたものは、二足歩行する岩の巨人だったのだ。
胴長で足が短く手が長い。シルエットから感じる印象は巨大な猿のような感じだ。
顔や胴体、腕、脚…… 体の各部が岩に覆われていて、よく見ると関節の辺りからは体毛のようなものが覗いている。
小さいものでも数十m、大きいもので200mはありそうだ。あんな巨体で攻撃されたら、この村を支える巨大な岩山ですら危うい……!
そんな凄まじい脅威が十数体、まっすぐこちらに向かって歩みを進めている。背中をじっとりと嫌な汗が濡らし、口の中が渇いていく。
「デカすぎる……! あんなもの、一体どこに潜んでたんだ!?」
「お、おばーちゃん達! あ、あれ何!?」
悲鳴のようなティルヒルさんの声に応える事なく、長老さん達は唇を振るわせながら譫言のように呟く。
「あ、あれは……!? そんな、なぜ今……!」
「あの威容…… まさか、滅竜者ツァヤードの伝説にある……!?」
「神々は、我らを見捨てたのか……」
何人かの長老さんが力無くへたり込み、その様子にその場の全員に動揺が走る。
そして最後に、ナーツィリド長老が絶望の表情でその名を呟いた。
「--巨岩鬼……」
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