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第402話 石の白百合

ちょっと長めです。


 前回の休養日から二週間。高層集落であるアゥル村に吹き荒ぶ風の冷たさは和らぎ、ナパを覆っていた雪も徐々に溶け始めている。

 普通なら春の気配に心が湧き立つのだろうけど、今日の村のみんなの心には冬の嵐が吹き荒れている事だろう。


 僕ら『白の狩人』とティルヒルを含む数十人の村の人達が、村から少し離れた、周囲をぐるりと岩場に囲まれた場所に集まっていた。

 広さは小学校のグラウンド程だろうか。崩れかけた石造り建物が一つ、岩壁にへばり付くように建っていて、あたりには沢山の小さな石碑のようなものが整然と並んでいる。

 その一角、まだ石碑の経っていない場所を囲むように、粛々と葬儀が行われている。


 その場の全員の目は悲しげに伏せられ、あたりを包む空気は重苦しい。

 そんな中、村の人が数人がかりで地面に穴を掘っていた。穴の淵には、ロスニアさんと腰の曲がったお爺さんが佇んでいる。

 後者はアゥル村の癒し手(ハタールィ)で、トゥリージさんという。慈愛に満ちた眼差しの好々爺といった感じの方だ。

 その二人とみんなが見守る中、スコップで土を掘り返す音が繰り返し響く。


「--十分でしょう。彼女をここへ……」


 穴の深さが胸の高さほどになったところで、トゥリージさんが口を開いた。

 すると穴を掘る音が止み、人垣の中から数人の只人の男女が現れた。手には長細い布に包まれたもの持っている。彼らの表情は沈痛そのもので、目は泣き腫らしたように赤い。

 穴の中にいた人達は、その布に包まれたものを慎重に受け取ると、ゆっくりと穴の底に横たえた。


「--タズバー。彼女は勇敢なる空の戦士であり、良き旦那であり、良き母でした。

 戦士としての使命を全うした彼女は、この世界での役目を終え、今安らかに旅立とうとしています。

 どうか彼女がここに留まる事なく、父なる大空に溶け、母なる大地を巡り、大いなる流れの元へ還らん事を……」


真なる愛を(アハ・バーテメット)……」


 朗々としたトゥリージさんの言葉に続き、ロスニアさんが聖句を唱える。すると、その場の全員が目を閉じて顔を伏せた。

 僕らもそれに倣うと、啜り泣く声が聞こえてきた。先ほどタズバーさんの遺体を運んでいた、彼女の夫と妹妻の方々だろう。


 --喉の奥が詰まってしまったように苦しい。タズバーさんとは、何度も一緒に魔物の間引きや狩りをした事がある。

 少し抜けた所があったけどそれもご愛嬌。確かな実力と、家族をとても大切にする温かみを持った人だった。

 周りからも小さく鼻を啜る音がする。多分ティルヒルさんとシャムだ。シャム、タズバーさんからたまにお菓子を貰ってたっけ……

 

 事が起こったのは昨日の深夜だった。いつの間にか村に迫っていた蠍型の魔物の大群。それを僕らは大慌てで迎え撃った。

 すでに村を支える岩山を登り始めていた群れに対し、大規模殲滅魔法の類は使用できなかった。

 暗闇の中の混戦。何人もの戦士や呪術師が重症を負って後送される中、なんとか村への侵入を許す事なく魔物の群れを殲滅することができた。

 しかし、困難に打ち勝った喜びも束の間。朝日が登って周囲の様子が明らかになると、夥しい数の魔物の死骸の中に、墜落したタズバーさんが見つかった。

 すぐにロスニアさんが駆けつけたけど、大きく損傷し、何度も蠍の毒針を打ち込まれたその体は、すでにぞっとするほど冷たく固まってしまっていたのだ。

 





 黙祷は悲しみの声が静まるまで暫く続き、その後彼女の遺体にはみんなの手によって粛々と土が被せられた。

 最後にロスニアさんが小さな墓石を置いた所で、タズバーさんの葬儀は終わった。

 張り詰めていた空気が僅かに弛緩する中、トゥリージさんがロスニアさんに頭を下げた。


「師よ、手伝って頂きありがとうございました。この老骨の腰には、あの小さな墓石を運ぶことも堪えます故……」


「いえ…… よそ者の私に重要な役割を与えて下さり、むしろ感謝させて頂きたいくらいです。

 ですがその…… 私をその様に師と呼ばれるのは、座りが悪いと言いましょうか、やっと二十歳になったばかりの若輩ですので……」


 恐縮した様子のロスニアさんに、トゥリージさんが穏やかに笑う。


「ほっほっほっ。これは異な事。教えを乞うのに、年齢は関係ございませぬ。

 私達は貴女のおかげで、遠い昔に忘れ去っていた水の女神(アゼートー・イェイ)の秘技…… 貴女方の言う創造神の教えを、再び学ぶ機会に恵まれたのです。

 この稀なる出会いはまさに奇跡。今度こそ教えを絶やさぬよう、後世に伝えて参ります。今後とも、どうかご教授の程を……」


 そう言って深々と頭を下げるトゥリージさんに、ロスニアさんは更に恐縮してわたわたと手を振る。


「わ、分かりました……! 分かりましたので、あの、頭をお上げくださいぃ……!」


 師弟のそんなやり取りに、僕は沈んでいた心がほんの少し軽くなるのを感じた。

 ふと、視線を二人からタズバーさんの墓石に移すと、周囲に整然と並ぶ他の墓石と同じ図形が刻まれていた。

 くの字に、反転したくの字が重なったような図形…… そう。僕らにも馴染みのある聖教会のシンボル、合わせ(くさび)だ。


 これは、ロスニアさんが癒し手(ハタールィ)の人達に神聖魔法を教える過程で判明した事なのだけれど、実は魔獣大陸にも聖教の教会が存在していたのだ。

 永い年月を経てかなり傷んでいるけれど、この墓地の岩壁にひっそりと佇む石造り建物もその教会の一つだ。

 他の大陸とは遠い昔に断絶してしまっていたけれど、聖教の教えはここまで及んでいたらしい。

 この葬儀の形も、元々の彼女達の宗教観と、他宗教に対して非常に寛容な聖教との融和の結果だろう。


 このことから、癒し手(ハタールィ)の人達が神聖魔法を使用できる理由も判明した。

 神聖魔法を使える聖職者になるためには、資質と洗礼が必要だ。

 この資質には諸説あるみたいだけど、まず魔法型である必要があって、人を助ける事に喜びを感じる善良な精神性が必要なのだとか。

 この資質を持った人間が教会の洗礼の間で儀式を行うと、初級の神聖魔法である『聖光(カドーシュ・オゥル)』を授かるのだ。


 ロスニアさんが他の神聖魔法を教えるまで、癒し手(ハタールィ)の人達はこれ一本で戦士達を癒してきたらしい。

 そして歴代の彼らは、資質のありそうな人を教会に連れてきては、形だけが伝わっている洗礼の儀式を行い、この大陸で神聖魔法を伝えてきたのだ。

 聖教の名前や教義が忘れ去られ、現地の水の女神(アゼートー・イェイ)と混同されてしまう程の永い年月を経ても、創造神の慈悲はこの地の人々を助けている。

 ロスニアさんは、そのことにとても感動していたっけ。


 --でも、魔導具もちらほら残っているって事は、当然魔導士協会もここにあったわけだよな……? もしかしたら冒険者組合もあったのか……?

 魔導士協会、聖教会、冒険者組合。この三つは、国家から独立して運営されている世界的な巨大組織だ。

 魔法があるとはいえ、文明水準が中世なこの世界ではかなり異常だと思う。

 それぞれの組織の成立時期も、いつか分からないくらい昔からあるということしか記録に残っていない。

 魔獣大陸が他の大陸と断絶したのは聖暦開始以前という話だし、一体いつから、誰が……?


「皆さん、お待たせしましたぁ……」 


 ロスニアさんの疲れた様な声に、思考に没頭していた僕ははっと顔を上げた。

 あたりを見回すと、この場に残っているのは僕らだけだった。タズバーさんのご家族ももう帰ってしまったようだ。


「ロスニアさん、色々とお疲れ様でした。 --こう言ってはなんですが、その、ナパの葬儀は淡々としていますね……」


「ええ…… ですが、これがここにおける手厚い葬送の形なんです。私達には、少し寂しく感じられるかもしれませんが……」


 もどかしさの全てを飲み込んだような、そんな様子でロスニアさんは目を伏せた。

 ナパの人達の生死観では、死者の魂は現世のどこにも留まらず、大いなる流れの元へ還る。もし留まらせてしまっては、その魂は悪霊となり災いを振り撒いてしまう。

 なので現世との繋がりを無くすため、墓石には名前すら刻まず、遺族は墓参りもしない。故人の持ち物は全て一緒に埋葬するし、故人の事もなるべく口にしない……

 僕らとはかなり違っているけれど、これがナパの人達の弔い方だ。


「グス…… でもシャムは、タズバーにお花くらいは手向けたいであります……」


「スズッ…… ごめんね、シャムシャム。できないんだよ。あーしも、お墓に何かお供えしたいっていつも思うんだけど、悪霊にはなって欲しく無いからさ……」


 目に涙を溜めたシャムの頭を、同じく潤んだ瞳のティルヒルさんが優しく撫でる。ティルヒルさんの感覚は、ナパの人達では無く僕らに近いらしい。

 正直僕も同じ気持ちだ。このままここを立ち去っるのは、あまりにも寂しい。けれど、ナパの人達の弔い方を汚す事はできない。

 --そうだ…… 現世との繋がりが一瞬だけなら? 何かを手向けても、それが一定時間で消えてしまう物なら……?


「プルーナさん……! 向こうの葬儀でよく使われていた、白百合の花って覚えてますか?

 あれを、プルーナさんの土魔法で生成できませんか……? 周りの土から作るのではなく、魔力から編む形で……」


「え……? あ……! はい、お任せ下さい!」


 僕の意図を理解してくれたプルーナさんは、すぐにその場で土魔法を行使し始めた。

 すると彼女の手の中に、ラッパのような花弁を持つ繊細な石の花が人数分生成された。

 その類まれな技術による物だろう、大理石のような白い色合いに仕上げてある。


「ありがとうございます! ほらシャム、これをタズバーさんのお墓に……」


「わぁ……! プルーナ、タツヒト。ありがとうであります!」


 石の白百合を持って墓石に向かうシャムに、ティルヒルさんが慌てて止めようとする。


「だ、駄目だよシャムシャム! そんな事したらターちゃんが……!」


「いえ、ティルヒルさん。その心配は無いかと。この石の白百合は魔力で編まれているので、暫くすると跡形もなく消えてしまします。

 これならば、タズバーさんも一瞬立ち止まるだけで迷うことは無いと思います」


「僕の影響下から離れれば、数分で消えてしまうように調整してあります。どうぞ、ティルヒルさんも……」


 僕の言葉に補足を入れながら、プルーナさんがティルヒルさんに石の白百合を差し出す。

 ティルヒルさんは一瞬呆気に取られていたけれど、すぐに泣き笑いのような表情に変わった。


「そっか…… だったら、いい、よね……?」


 シャムに続き、ティルヒルさんもタズバーさんの墓前へ一輪の石の白百合を手向けた。僕も含めた残りのみんなもそれに続いた。

 最後に全員で短い黙祷を捧げた後、ティルヒルさんは涙を拭っていつものように笑った。


「グスッ…… タツヒト君、プルプル。ありがとう……! これで、ターちゃんにきちんとお別れが言えた気がするよ……」


「ええ…… --では、僕らも行きましょう」


 石の白百合が消えてしまうその前に。僕らは静かにその場を後にした。

 

お読み頂きありがとうございました!

【月〜金曜日の19時以降に投稿予定】

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