第392話 聖地ゾォール山(3)
久しぶりの19時更新!
(すみません、先週の金曜分は落としてしまいました。。。)
野営で一晩明かした翌朝。僕らは、ゾォール山の麓から中腹に広がる森へと慎重に分け入った。
雪深い山の斜面は非常に歩きづらく、かなりの密度で背の高い針葉樹が生えているので視界も通りにくい。
先頭はいつものように斥候のキアニィさん。その後ろに僕とゼルさん、さらに後ろの後衛組が続き、最後尾が頼れるヴァイオレット様だ。
森の中では不意の遭遇戦や乱戦が予想される。鳥人族であるティルヒルさんには苦手な状況であるため、今回彼女には風魔法使いとして後衛は回ってもらった。
「これが鳥堕としですわねぇ…… 確かに、側を歩くだけですと反応しませんわねぇ……」
キアニィさんが見上げるのは、僕らを取り囲む背の高い針葉樹ではなく、それらに絡みついた蔦型の樹怪だ。ほとんど全ての木に絡みついているので、本当に膨大な数だ。
蔦の先には、人の頭部大のほおずきの実のようなものが沢山成っていて、あれが強力な威力で種を射出するらしい。
こいつらは、頭上や中空を移動するものには種を打ち込んで来るのに、近くを歩くくらいでは全く反応を示さないそうなのだ。
ただ、こっちから攻撃してしまうとその限りではなく、周囲の個体が連携して一斉に反撃してくるらしい。
「ええ、地面を移動するだけなら障害にはなりませんね。ただ、鳥堕としに気を使いながら魔物の群れを相手取るのは、かなり苦労しそうだと思ったのですが……」
事前情報では、ここには棍棒栗鼠という魔物が居るはずだった。
凶悪な顔つきのでかい栗鼠のような魔物で、スパイク増し増しの金砕棒のような尻尾と、頑丈な毛皮をもつ攻守ともに優れた厄介な奴らだ。
鳥堕としと棍棒栗鼠はおそらくは共生関係にあり、そいつらの大群が住むこの森の攻略は相当骨が折れると思っていたのだけれど……
周囲はしんと静まり返っていて、魔物の群れどころか生き物の気配すら薄い。
「あっれ、おっかしいなー……? 前にあーしが来た時は、物凄い数に追いかけられて死にかけたんだけど…… 全然居ないねぇ……?」
ティルヒルさんも不思議そうに辺りの気配を探っている。
懸念していた魔物の群れが居ないなら、それに越したことは無いのだけれど…… なんとも不気味な雰囲気だ。
「どうするでありますか……? シャムの観測結果と地図を照らし合わせると、遺跡は森林限界より上の山頂付近であります。
もしたまたま棍棒栗鼠の群れが留守なのであれば、早めに森を抜けてしまうのが良いとシャムは思うであります」
シャムの言葉にみんなが首肯する。何かこの状況に気持ち悪さを感じるのだけれど…… 反対する明確な理由も見つからない。
「--うん、そうしよう。では警戒は緩めず、静かに、かつ速やかに森を抜けましょう」
「「応……」」
それから僕らは、全方位を警戒しながら静かに斜面を登り始めた。
聞こえてくるのは僕らの少し荒い息遣いと、雪を踏み締める音。見えるものは雪化粧した木々と、みんなが吐く白い息。
たまに木から雪が落ちる音にびくりとしながらも、黙々と歩みを進める。魔物の領域とは思えないほど静かな道程だった。
しかしその静寂は突然破られた。
「--ぜぁっ!」
ドバァッ!
後方から聞こえたのは、ヴァイオレット様の裂帛の気合いと激しい破壊音。同時に僕も叫んだ。
「円陣防御! ヴァイオレット様、どうしました!?」
素早く防御陣形に隊列を組み替え、視線を周囲に走らせながら背後の彼女に問いかける。
「魔物だ! しかし、なんだこいつは…… 突然背後に現れたぞ……!?」
チラリと後ろを伺うと、ヴァイオレット様の前には上半身だけのミイラのようなものが横たわっていた。周囲の雪は、彼女に粉砕されたらしいそいつの下半身の血肉で赤く染まっている。
残された上半身に注目すると、凶悪な面構えに長い牙、両手には鋭い爪が生えている。
小緑鬼とかの系統に近そうな魔物のようだけど、痩せ細った姿はまるで死体のようだ。
「こいつ…… 聞いたことある! 擬態鬼だよ! えっと、肌の色を自由に変えて周りの風景に溶け込むの! それで獲物を待ち伏せするんだって!」
「つまり、雪に擬態していたんですのね…… 迂闊でしたわぁ……!」
ティルヒルさんの声に、斥候のキアニィさんが悔しげな声をあげる。
いや、これは仕方ない。多分僕もあいつのすぐ横を通ったはずなのに、全く気づけなかった。
--待てよ? 棍棒栗鼠の群れが居なくなった森に、擬態鬼が居るということは……
「全員そのまま警戒体制を維持! 多分、そいつ一匹だけじゃ無い!」
僕が声を上げた瞬間、生き物の気配が薄かった山中は濃密な殺気に包まれた。
真っ白な雪の斜面から起き上がるように、茶色い木の幹から剥がれ落ちるように。そいつらは周囲の所々から滲み出してきた。
これが本来の色なのだろう、ガサついた青白い肌に、骨の浮いた貧相な体つきだ。しかし、こちらを凝視する双眸は貪欲な食欲を表すように爛々と輝いている。
まるで生者に強烈な恨みを持つ亡霊のようなそれは次々に姿を現し続け、最終的に森を構成する木々の数さえも大きく上回った。異常な程の大群だ。
「「ギャキャキャキャキャキャァッ!!」」
長い牙の林立する口を嘲笑うように歪め、その死者の軍勢は一斉に僕らへ襲いかかって来た。
外観の印象からはかけ離れた獣のような身のこなしに、背筋を冷や汗が流れる。
「ティルヒルさん、プルーナさん、防壁を!」
『風よ!』
『地よ!』
円陣の外側に強烈な風の防壁が瞬時に生成され、風の防壁の内側に枝分かれした鋭い石筍の壁が構築され始める。
擬態鬼の群れの第一波が風の防壁に到達し、半数ほどが切り裂かれ弾き飛ばされた。
しかし残りの半数は、身を切り裂く暴風に煽られながらも石筍の防壁を越えようとする。
「あーしの防壁、結構強めに張ったからあんまし長く持たないよ!?」
「僕のはあと完成まであと数秒下さい!」
「十分です! 各自、防壁を越えてきた奴から迎撃! 僕は雷撃に集中します!」
「「応!」」
「「ギャキャァァーーッ!!」」
『雷よ!』
バババァンッ!
石筍の防壁を乗り越えようとしていた擬態鬼の一団が、僕の薙ぎ払い気味の雷撃を受けて大きく痙攣。そのままティルヒルさんの風の防壁に吹き飛ばされていく。
実体のない雷撃は風の防壁を超えて攻撃可能だ。これ、結構無敵の戦法かもしれない。
一瞬そんなふうに考えたけど、すぐに第二波、第三波が殺到してきて、思考に割く余裕は全く無くなった。
雷撃が、矢が、石弾が、防壁を突破してくる擬態鬼達を次々に撃ち抜く。
激しい弾幕の間を縫って至近に迫ったものは、斧槍が、双剣が、強烈な蹴りが迎え撃つ。
いつかの対岩帯獣の防衛戦と同じような、こちらの処理能力の飽和ギリギリの厳しい戦いが続く。
まだ終わらないのか……!? 苦しさに塗れた脳がそんな事ばかりを考え始めてから、さらに一時間ほど経過した頃、ようやく森に静寂が訪れた。
荒い呼吸を繰り返す僕らの周囲には、夥しい数の擬態鬼の死骸が山と積み上がっていた。
そのまま暫く経っても周囲に動くものは見えない。それを確認してから、僕はようやく膝をついた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! なんとか…… 乗り切りましたね……!」
「……! ぶはぁっ! も、もうだめぇ〜……!」
疲れ切った声と共にティルヒルさんがへたり込み、風の防壁が解除された。
数時間連続であの強力な防壁を張り続けたのだ。ほぼ魔力切れの状態だろう。
「お疲れ様でした……! ティルヒルさんが居てくれて本当に助かりました。僕の防壁だけじゃ絶対に防ぎきれませんでしたから」
「プルプルもお疲れ〜…… やっぱり土の呪術って便利だねー」
「負傷した方はいませんか!? あ、ゼル。お尻噛まれちゃってるじゃないですか!」
「んにゃっ!? 気づかなかったにゃ…… ロスニア、ウチのケツ治して欲しいにゃ」
あの状況から生き残ったせいか、その場にへたり込んだみんなが、テンション高めに一斉に話し始める。
どうやら、被害は奇跡的にゼルさんのお尻だけのようだ。ほっと息をついてから再度周囲を見渡すと、雪が吹き散らされた山の斜面に、何か白いものが沢山落ちているのが見えた。
なんだあれ、雪じゃないのか……? 訝しんでよく観察してみると、それは夥しい数の骨片だった。
慌てて他の場所も視線を散らすと、山肌が露出している場所はどこも同じ有様で、骨片に埋め尽くされていた。これは……
「ティルヒルさん、あれを…… これって、この森にいた棍棒栗鼠の群れは、擬態鬼達に全滅させられたってことですよね……?」
僕が近くの骨片を指し示すと、ティルヒルさんはうへーという感じで眉を顰めた。
「うっわ、そーゆーことっぽいね…… でも、この辺に擬態鬼が居るなんて聞いたこと無かったなー…… もっと東の方に居るって話だったもん」
「東、ですか……?」
ティルヒルさんのその言葉に、僕は引っ掛かりを覚えた。
こいつも西じゃなくて東……? 確か、人面鳥の群れも東から来たような……
現在、大陸茸樹怪に追い立てられたらしい西の魔物が、ナパの中で多く目撃されている。
しかし、あのクソデカ茸がいる方角の反対側からも、魔物がナパに移動してきている……?
「--タツヒト。何か気になる事があるようだが、ここの危険性は十分に理解できた。すぐにでも移動しよう。
防御の要たるティルヒルが疲弊している状況では、また同規模の群れに襲われたら防ぎきれない」
ヴァイオレット様の指摘に、僕は思考を中断してはっと顔を上げた。
そうだ。今倒したのも全部じゃ無いはず。音や血の匂いで、次の群れが駆けつけてくるかも知れない。
「そうですね…… 了解です。すぐにここを離れましょう」
隊列を組み倒した僕らは静かにその場を離れ、また黙々と山を登り始めた。
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