第039話 大狂溢
小走りで屯所の前に着くと、門の前には見たことのある兵士の方達がいた。
数週間前に会ったことを覚えてくれていたのか、彼女達は走って近寄ってきたきた僕らへの警戒を緩めた。
「む、貴殿はいつぞやの」
「あぁ、タツヒト君だ。それにそちらはボドワン村長殿。何かただならぬ様子ですが、どうされたんですか?」
用向きを尋ねる兵士さん達に、ボドワン村長が前に出て答える。
「はい、ベラーキ村のボドワンでございやす。突然で申し訳ありやせんが、ヴァイオレット様にお目通りさせて頂けやせんでしょうか。 ……うちの村の近くに魔窟が出現しやした」
その言葉にやはり兵士の人達も表情を引き締めた。
「了解した、しばし待たれよ」
取次を待つことしばし、面会の許可を得た僕と村長はヴァイオレット様の執務室に通された。
「やぁ村長、それにタツヒト。よくきてくれた、そこに掛けてくれ。おや、なんだか疲れた顔をしているな」
部屋に居たのは、奥の執務机に座っていいるヴァイオレット様と、従卒っぽい只人のお姉さんの二人だった。
今日は筋肉至上主義の副長、グレミヨン様は居ないみたいだ。
「おはようございやす、ヴァイオレット様。失礼しやす」
「おはようございます。ちょっと村からここまで走ってきたものでして」
二人して答えながら執務室の正面のテーブルセットに座る。
「なんと、それはさぞ疲れただろう。モニク、二人にお茶を入れてくれ」
「はっ」
従卒の人がお茶を入れてくれたのを見計らい、ヴァイオレット様が切り出した。
「さて。魔窟が現れたと聞いたが、詳しく説明してもらえるだろうか?」
「へい。タツヒト、昨日森であったことを最初から説明して差し上げろ」
「はい。昨日は修行で森に入っていまして--」
僕の説明を聞き終わったヴァイオレット様は渋い表情をしている。
「なるほど、おおよその事情は分かった。だがその前にタツヒト、森に一人で入るなど、なぜ君はそんな無茶をしたのだ」
ヴァイオレット様からの初めての叱責に、胃のあたりにひんやりとした感覚が広がる。
昨日に引き続き叱られてばかりだ。いや、ありがたいことなんだけどね。
「すみません、その、慢心していました」
「全く…… しかし無事でよかった。私はできたばかりの友人を失いような目には遭いたくないのだ。もっと自分を大切にしてくれ」
友人……! 諭すようにそう言ってもらえたことへの嬉しさと、友人かぁという少しの落胆が混ざって変な表情になってしまった。
「はい…… 本当にすみませんでした。それと、気にかけてくださってありがとうございます」
彼女は表情を緩めて僕に頷くと、村長に向き直った。
「すまない、話が逸れてしまったな。村長、あなたが最も懸念しているのは単なる魔窟の狂溢では無い。そうだろう?」
「へい。魔窟が入り口を作ったってことは、その土地の魔力が濃くなったってことです。
それに、アルボルマンティスやらアクアングゥイスなんていう、森の浅いところにはまず居ない魔物が出てきていやす。
これは、大狂溢が近いんじゃありやせんか?」
大狂溢? 村長が言った言葉に僕は首を傾げた。
魔窟から魔物が溢れる狂溢は聞いたことがあるけど…… それの規模が大きい版ということかな。
「……あぁ、残念ながら私も同じ見解だよ、村長。ちょうど今日調査結果がまとまったのだが、実はベラーキ以外の森に近い村々でも、同様の現象が確認されているのだ。
これだけの広範囲にわたり、魔素濃度の上昇を示唆する事象が確認されているのだ。
近いうちに大狂溢が起こる可能性は極めて高いだろう」
「そう、でやすか。くそっ、ようやく防壁が完成して、軌道に乗ってきたってのに……!」
珍しく感情的に呟く村長。やっぱりかなり深刻な話のようだ。
「あの、すみません。大狂溢とは一体なんでしょうか?」
「む、そうか。タツヒトは知る機会がなかったかもしれないな。ふむ……魔物が魔素を糧としていることは知っているな?」
「えっと、魔力のことですよね? はい。今回魔窟が見つかった森のような、魔力が豊富ないわゆる魔物の領域だと、他の餌が少なくても生きていけて、尚且つ繁殖力も上がるとか」
「そうだ。奴らは魔素の影響を色濃く受ける。そして今、我がヴァロンソル領に接する大森林で魔素濃度が急激に上昇しているのだ。魔素濃度の上昇は一時的なもので直に収まるだろう。だが、収まったとして増えた魔物はすぐには消えない。魔素や食料の不足に喘いだ奴らはどうするだろうか」
そりゃぁ、住み良い環境だと思って増えるだけ増えた後、急に資源が無くなったとしたら……
僕の脳裏に、イナゴの大群が思い浮かんだ。
「魔素や食料を求めて、森から一気に溢れてくる。そうゆうことでしょうか」
「そうだ。想像できるだろうか。あの果てしなく広大な大森林で増殖した魔物達が、時として深部の強力なものまでもが一気に溢れ出てくるのだ。
一つの魔窟の狂溢とは全く比較にならない、規模によっては国が滅ぶほどの大災害になる。大狂溢とはそれほどのことなのだ」
ヴァイオレット様の言葉を聞いて、背筋が凍った。
僕が命懸けで、死んだふりまでしてやっと倒したようなアクアングゥイス。
そいつのような強力な魔物が、他の魔物と一緒になって森から大量に溢れてくる。そんな想像をしてしまったのだ。
そんなの、本当にどうしようもないじゃないか……!
「やっと、お二人と危機感を共有できた気がします。でも、この国はいまだに滅んでいません。何か、対策があるんですよね?」
祈るような気持ちでそう聞くと、彼女は微笑んだ。
「あぁ、もちろんだとも。単純かつ効果的な方法だ。強力な防壁を構築し、内側に守るべき民を囲い、大狂溢が収まるまで防御に徹する。この領都の防壁は、そのためにあるのだ」
僕は領都を囲む特殊な城壁を思い出した。
大森林から豊富に取れる木材を魔法で圧縮加工した非常に頑丈な素材からできている。
確かに、ここの城壁が壊されることはあまり想像できないな。
「なるほど、それならやり過ごすことができそうですね。あれ、でも人は避難できるとし、領都と森の途中にある村は、畑なんかはどうなってしまうのでしょうか?」
「どうにもならねぇ。おそらく、大量の魔物に壊され、踏み潰され、全てが台無しになっちまうだろうなぁ。 --だが、それでも生きてりゃぁやり直すことはできる」
村長は、すでに困難を受け入れて再起する闘志を燃やしているようだった。
村の防壁も外の麦畑もかなり立派なものだった。やっと作り上げたそれらが全て踏み潰されるかもしれないのに、すごい人だ。
「すまないが、我々領軍にも村一つ一つを守り抜けるほどの力は無い。村長達がいかにしてあの村を作り上げたかを私は知っているつもりだ。だが、すまない……」
「謝らねぇでくだせぇ。切り替えていきましょうや。領都が布告を出したり、避難民の受け入れ準備を整えるまで時間がかかると思いやす。森の大狂溢に合わせて魔窟の狂溢まで起こっちゃ敵わねぇです。まずはうちの村の近くの魔窟を叩きやす」
「あぁ、そうだな。切り替えていこう。魔窟の討伐だが、実は先ほど述べたように大森林近くの村々はどこも同じ状況だ。たまたま他領からも有力な冒険者達が集まってきていたのだが、今は全て出払ってしまっているようなのだ。魔窟討伐には、我々領軍が当たろう」
「本当ですかい? ありがとうございやす!」
ガバリと頭を下げる村長に続き、僕も頭を下げる。
「うむ。では、早速明日にでも立とう。魔窟討伐だ」
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【日月火木金の19時以降に投稿予定】
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