第367話 姉と妹
大変遅くなりました。木曜分ですm(_ _)m
結構長めです。
「もがぁっ!?」
転移後に消えた五感が戻った瞬間、全身が冷たく濡れる感覚と共に、鼻と口に大量の海水が入ってきた。
半ばパニックになって踠いていると、強力な水流が僕の体を上へ上へと押し上げ始めた。
そのまま海上に軽く放り出された僕は、再び海中に落下することはなく、固形化した海面の上に転がった。
すぐに四つん這いになり、咳をしながら貪るように空気を吸う。
「ごほっ、ごほっ……! ふぅー…… た、助かったよアスル。危うく溺れるところだった」
「う、うん。突然海の中に放り出されたから、私もびっくりした。大丈夫……?」
涙目でお礼を言うと、カリバルを抱えたアスルが気遣わしげにこちらを伺っていた。
なんの準備もなく海中に転移させられた僕らを、アスルが水魔法で浮上させ、さらに足元の海水を固形化してくれたのだ。
「うん、もう落ち着いたよ。他のみんなは……」
近くを見回すと、他のみんなも僕と同じようにゴホゴホと咳き込んでいた。幸い全員揃っている。
暫くしてみんなの咳が落ち着いた頃、僕はその場で深々と頭を下げた。
「あの、みんなごめんなさい。ちょっと不遜なことを考えてたら、心を読まれてしまったみたいでして……
勇魚の神獣様の勘気に触れてしまったようです」
僕の言葉を聞いた全員が、やはり、といった呆れ顔を見せる。ぐぅ…… 普段の行いのせいか。
「はぁ。どんな内容か大体想像がつくぞ…… 全く君は本当に…… その、気の多い男だ」
「ヴァイオレット。素直に見境がにゃいって言っていいと思うにゃ。あんにゃおっかにゃい神様に色目使うにゃんて、正気とは思えねーにゃ」
「ゼルの言うとおりですわぁ…… でも、アラク様のおっしゃっていた通り温厚で、慈悲深い方でしたわねぇ。
だって、わたくし達全員無事に帰ってこれましたもの…… アスル、カリバルの様子はどうですの?」
キアニィさんの言葉に、全員がアスルに抱えられたカリバルに注目する。
カリバルは、普段の粗暴な言動に見合わない安らかな表情で眠っている。
「大丈夫、眠っている…… だけだと思う」
「少し、診せて下さい。 --うん、どこも異常は見当たりませんね。元の健康優良児なカリバルちゃんです。
私では、崩壊をほんの少し遅らせるのがやっとだったのに…… まさしく神の御業です……!」
感心したようなロスニアさんの台詞に全員がほっと息を吐き、その場に弛緩した空気が流れる。
僕もそうだけど、激戦の後にさらに偉い人と謁見したので、みんな流石に疲れてしまったようだ。
けれど、ここに止まっているわけにもいかない。
「それじゃあ、連合艦隊の所に戻りましょうか。っと、その前に、カリバルを一旦ラケロン島に預けてきましょう。
このまま連れていってしまうと、彼女が暴食不知魚の本体だったのだと大勢の人にバレてしまいそうですし」
「うん、それがいいと思う。島主の屋敷に連れていって、マハルに様子を見てもらおう。待ってて、今、島への道を作る」
アスルはそう言って、軽い感じで腕を島の方向に掲げた。すると。
キンッ……
二人並んで走るのに十分な幅で海が固体化し、島に続く海上の道が生成された。
何度も見た魔法だけど、驚くべきは、その道が水平線の向こうまで続いている事だ。
全員が感嘆の声を上げ、それを成した本人も驚いたように自身の右手を凝視している。
そこには、勇魚の神獣様から下賜された勇魚の牙環が嵌っている。
「す、すごい…… そんなに魔力を込めていないのに、海が、まるで自分の手足みたいに……!」
「い、勇魚の牙環の力だね。さすがは神器…… ありがとうアスル。これで結構早めに島へ着けそうだよ。行こう、みんな!」
「「応!」」
アスルが作ってくれた海上の一本道を高速で走り抜けた僕らは、すぐにラケロン島に到着した。
港で僕らの無事を喜びながら出迎えてくれたマハルさんは、鯱人族であるカリバルを少し怖がっていたようだった。
しかしアスルが私の友達を頼むと言うと、とても嬉しそうにカリバルを預かってくれた。
そこから僕らはすぐに連合艦隊の方に向かい、海上を警戒しているらしい人達の間を抜け、ラケロン島の軍船へと戻った。
甲板に上がった僕らの元へ、すぐに軍の人達とリワナグ様が駆け寄ってくる。
「よく戻った! 全員無事のようだな。それで、宿主は……!?」
「はい、無事打ち倒すことができました」
「……! そう、か…… こちらも、あらかた支配の黒線虫を駆除し終えた所だ。今は念のため、討ち漏らしがないか周囲を捜索している。
だがアスルは…… その、随分とすっきりとした表情をしているな……?」
リワナグ様が気遣わしげに、かつ不思議そうにアスルの様子を伺う。
その反応は予想できていたので、僕は彼女に耳打ちした。
「宿主についていた支配の黒線虫は、駆虫薬で死滅しました。
そして、宿主は無事です。今は島主の屋敷で休んでいます。事情は後ほど……」
僕の言葉にリワナグ様が目を見開き、アスルの方を見る。彼女はそれに大きく頷いて応えた。
「そうか……! 皆、暴食不知魚の本体は『白の狩人』が討ち取った! 勝鬨を上げろ!」
「「おぉぉぉぉぉ!!」」
本体討伐の報はすぐに全軍へ伝達され、ティバイ将軍が三国合同討伐作戦の終了を宣言した。
今後も暫くは周辺海域の継続的な調査が行われるけど、とりあえずひと段落だ。
その後は祝勝会の流れになったのだけれど、何せ作戦に参加した人数が膨大なので、プギタ島を中心とした周辺の島々で分散開催されることになった。
僕らは上層部の方々からのお誘いを固辞し、ホームグラウンドであるラケロン島の会場、港で一番大きな酒場で祝杯を上げていた。
会場には、作戦に参加した人達だけでなく一般の方々も大勢労いに来てくれていて、店の外にまで人が溢れていた。
「あんたら『白の狩人』はこの港を救ってくれた恩人だ! ほれ、これも食ってくれ!」
「うむ、ありがたく頂こう! キアニィ、君もどうだ!?」
「もちろん頂きますわぁ!」
「おい英雄殿、楽しんでるかぁ? お前らのお陰で俺らの船は誰も死ななかったんだぜぇ?」
「ええ、楽しんでますよ!」
酒場の中央、主賓席っぽいところに座らせてもらった僕らの元へは、赤ら顔の人々がひっきりなしに声をかけに来てくれる。
店の中は楽しげな喧騒に満ちていて、勝ち取った平穏をみんなが喜んでいることがひしひしと伝わってくる。
「姫巫女様! どうやって海の悪魔を倒したの!?」
「聞かせて! 聞かせて!」
「ふふっ、慌てないで。今話す。私達は最初、海の悪魔を沢山の船で囲んで--」
一方アスルに集まった人だかりは年齢層が低めだった。以前彼女に手作りのお守りを贈った子供達にせがまれ、討伐作戦のお話を聞かせている。
とても微笑ましい光景だ。そして、カリバルが無事で本当に良かった。でなければ、彼女のあんなに穏やかな表情を見ることは出来なかったはずだ。
「ふふん。悪魔にとどめを刺したのは、シャムとプルーナが作った薬なのでありますよ!」
「えー。プルーナお姉ちゃんはわかるけど、シャムちゃんてあたしと年かわらないじゃん! それほんとー?」
「ほ、本当であります! 疑うなら、暗算で勝負であります! シャムは10桁の四則演算を瞬時に算出できるであります!」
「シャ、シャムちゃん、大人気ないよ…… でも、シャムちゃんがたくさん調べて、いろいろ工夫してお薬を作ったのは本当だよ」
「へー。くものお姉ちゃんが言うならほんとなんだなー」
「むぅぅぅ……! タ、タツヒトー!!」
子供達に言い負かされ、シャムが僕の膝の上に逃げ込んでくる。
この子、体が縮んでから言動がどんどん幼児化していってる気がするぞ。早く何とかしないと……
しかし、それはそれとしてめちゃくちゃ可愛いので、僕は彼女の頭を入念に撫でた。
「ははは、大丈夫。僕もみんなも、シャムが頑張ってくれた事を知ってるよ」
「もががー!」
僕のお腹に顔を押し付けながら何事かを叫ぶシャム。その様子を、プルーナさんがチラチラと見てくる。
「あの、タツヒトさん…… あとで僕も--」
「皆、楽しんでいるか?」
プルーナさんの台詞の途中で酒場の扉が開き、リワナグ様が入ってこられた。
彼女のよく響く声を耳にした会場の人々が歓声を上げる。何せ、今日の会費は彼女持ちなのだ。
「島主様! 楽しくやらせてもらってやす!」
「リワナグ様、万歳!」
「そうか! それは重畳。さて、アスルは……」
「母、こっち! 一緒に食べる!」
はしゃぐように腕を振るアスルに、リワナグ様が頬を歪めながら歩み寄る。
「うむ。だがその前に、お前に会いたいという奴がいてな……」
「え、誰……?」
アスルが首を傾げながら席を立つと、リワナグ様の後ろから、一人の蛸人族がおずおずと姿を表した。
それは、アスルの姉のムティヤさんだった。青白い顔は俯きがちで、その体は小刻みに震えている。
「「……!?」」
アスルや僕をはじめとした『白の狩人』の面々に緊張が走る。
前回彼女達が対面した際、ムティヤさんは幼き日のトラウマから酷い恐慌状態になってしまい、それを目にしたアスルは心を閉ざしてしまった。
あの時、その場にはリワナグ様も居合わせていたのに、なぜ今彼女を……!?
僕らの緊張が酒場全体に伝搬し、その場の全員が静かにアスルとムティヤさんを見守る。
すると、ムティヤさんは体の震えを徐々に大きくしながらも、目に涙を溜めながらアスルに歩み寄った。
一方アスルの方も泣きそうな表情で不安げに俯き、ムティヤさんの顔すら見れないでいる。
そして二人の距離が手の届くところまで縮まった時、ムティヤさんはゆっくりと腕をあげ、アスルの頭の上に手を置いた。
弾かれたように顔を上げるアスル。ムティヤさんはやや引き攣った微笑みを浮かべながらも、ぎこちなく、しかしとても優しい手つきでアスルの頭を撫でる。
「ア、アスル…… 母から、貴方の働きを聞きました。よく、やりました…… それでこそ、私の妹です」
「……!」
瞬間、アスルの目から大粒の涙が溢れ始めた。
彼女はそのまま顔をくしゃりと歪め、しゃくりあげながら必死に言葉を紡ぐ。
「ムティヤ……! ひぐっ、ごめんなさい……! あの時、私、なんて酷い事を……!」
「いいのです。私の方こそ、貴方を苦しめてしまいました…… 長い間、本当にごめんなさい。
これからは、また以前のように……」
と、そこで限界が来たのか、ムティヤさんは微笑みを浮かべたままがくりと膝を折った。
力尽きたように気絶してしまった彼女を、すかさずリワナグ様が抱き止めた。
「ムティヤ……!?」
「心配ない。少し、疲れたのだろう…… ムティヤに今回のアスルの働きを話したら、直接誉めたいと言い出してな。
--アスル、お前は本当によく頑張った。島の誰もがお前の働きを認めている。そしてムティヤも、今日、幼き日の心の傷を乗り越えた。お前達は、俺の誇りだ」
「母…… ありがとう」
リワナグ様が慈母のような笑みを浮かべ、アスルがムティヤさんごと彼女を抱きしめた。
酒場の所々から、もらい泣きしたような鼻を啜る音が響く。
アスルやリワナグ様の苦悩を知っていた僕らも、正直ちょっと涙ぐんでしまっている。
「うむ…… さて、そろそろ我が夫ヒミグが騒ぎだすはずだ。俺は一旦ムティヤを屋敷へ連れて行く。皆、引き続き楽しむがいい」
リワナグ様は、ムティヤさんを担いですぐに酒場から去ってしまった。
店の中に徐々に喧騒が戻る中、アスルは少し呆然とした表情で二人の去った扉を見つめている。
僕は居ても立っても居られなくなり、席を立ってアスルの頭をゆっくりと撫でた。
「格好良かったね。流石、アスルのお姉さんだよ」
「……! うん……! 私、ムティヤの事大好き……! その…… タツヒトの事も、大好き!」
僕を見上げてはにかみながらそう言うアスルに、どきりと胸が跳ねる。
それは、初めて見る彼女の満面の笑みだった。
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