第359話 暴食不知魚(1)
ちょっと短めです。
執務室に重苦しい沈黙が落ちている。
このタイミング、どう考えても暴食不知魚の正体はカリバルだ。僕らも、恐らくこの場で最もショックを受けているであろうアスルも、リワナグ様の言葉にろくに反応できずにいる。
「--この辺り、即ち東南アスリアでは、こうした外洋からの強力な魔物の来襲は歴史上何度もあった。
その度に、普段はお世辞にも友好的とは言えない各国が手を取り合い、脅威の排除を行ってきた。
まず間違いなく、ハルリカ連邦上層部は共同討伐作戦に合意するだろう。無論、我がラケロン島も戦いに参加する。
だがこの戦いに、余所者や、敵を前にして戦えない者まで参加する必要は無い」
リワナグ様は一呼吸置くと、彼女の意図を図りかねている僕らの顔をゆっくりと見回した。
「『白の狩人』。お前達はもう十分にこの島に貢献してくれた。そしてアスル。お前には、全てを投げ打って彼らに付いていく選択肢もある。
島主としてはこんな事を口にするべきでないが…… やはり俺は、この愛おしくも小さな島の主が精々の器らしい。
自分の娘やその友人達が友と殺し合う。俺はそんな光景を見たくはない。お前達がカリバルを、友を討つ戦いに加わる必要などないのだ。
以前、俺はアスルに、もしもの時は人々のために心を殺せなどと言ったが、俺の方ができておらんな……」
「リワナグ様……」
為政者にあるまじき優しさを見せながら、リワナグ様は自嘲気味に笑った。
彼女の言葉に思い出すのは、僕とヴァイオレット様が全てを投げ出して王国から逃げた時の事だ。
自然とヴァイオレット様の方に顔が向き、同じくこちらの方を向いた彼女と視線が絡み合う。 --どうやら、同じ事を考えていたらしい。
僕は彼女と頷きあうと、俯くアスルの方へ視線を向けた。他のみんなも今や静かにアスルの言葉を待っている。
彼女がどんな選択をしたとしても僕らはそれを肯定する。彼女はもう僕らの仲間、『白の狩人』なのだ。
長いようで短い沈黙の果て、アスルはゆっくりと顔を上げた。
「私は…… 島主の娘。海神の巫女。そして軍人。それを…… 島のみんなを守る事を、投げ出すことはできない……!
だから私が…… 私が暴食不知魚を、カリバルを討伐する……!」
目からは涙、硬く握りしめられた拳からは血を流しながら、アスルは絞り出すようにそう言った。
アスルの覚悟を見届けたリワナグ様と僕らはすぐに動き、ハルリカ連邦上層部への暴食不知魚に関する情報開示、共同討伐作戦への参戦の表明、鯱人族の国への連絡などに奔走した。
そうする内、各国の状況や利害が絡む中での様々な調整の末、暴食不知魚の共同討伐作戦には近隣の四カ国が参画する事になった。
烏賊人族が最大勢力を持つここハルリカ連邦を中心に、南西の蝦蛄人族の国、南の魚人族の国、そして南東の鯱人族の国だ。
蝦蛄人族の国についは、実は一番最初に奴から襲撃を受けていて、その被害規模は魚人族の国以上らしい。
--奴の正体がカリバルであることは、ラケロン島と鯱人族の国の一部しか知らない。
カリバルが一体何万人を喰らってしまったのか、僕はもう考えたくも無かった。
それで、暴食不知魚に関する情報提供であり、邪神討伐作戦でも知られる僕ら『白の狩人』は、四カ国首脳部から作戦立案のアドバイザーとして招聘された。
その会議の場では、まず被害にあった二カ国からの奴に関する詳細な情報提供があった。
最後に確認された段階で奴の体長は100mを超えており、外見は無数の触手に覆われた黒い鯨のよう。位階はすでに紫宝級に達しているそうだ。
そして名前の通りに底なしの胃袋を持ち、その行動原理はとにかく食欲に支配されているらしい。
触手の最大射程は数kmにまで達し、幾つもの眼球を備え、異様な頑丈さと力強さ、器用さまで兼ね備える。
奴が食らった人の多くは沿岸部に住む漁村や港の人達で、この長大な射程の餌食になったそうだ。
加えて、ダメージを与えてもすぐ新たな触手が生えて元通りになってしまう。
やはりとてつもなく厄介だ。知性は見られず本能だけで行動しているけれど、とにかく規格外の力、大きさ、しぶとさを持ちながら、なおも成長中なのだから。
しかし、僕らは奴と同種の黒妖巨犬を討伐した経験がある。
さらにシャムとプルーナさんのおかげで、黒い海底遺跡の資料から奴を討伐する上で有用な情報も得られている。
僕らはそれらを勘案した作戦を首脳部に提案し、概ねそれは採用された。
そして方針がまとまり、ひとまず会議がお開きになったところで、僕らの元に急報が入った。
それは、魚人族の国の沿岸を彷徨いていた暴食不知魚が、ゆっくりとラケロン島に向かい始めたというものだった。
やはり、彼女なのだ。僕らは急いで迎撃の準備を開始した。
そして救援要請から僅か数日後、僕ら『白の狩人』はラケロン島南の洋上でその時を待っていた。
僕らが乗っているはラケロン島所有の軍船で、まだ戻ってきていないゼルさん達以外の全員が乗船している。
周りにも大小数百隻の軍船、東南アスリア地域における四カ国連合艦隊が布陣している。
どこにいるかは分からないけれど、カリバルの取り巻、イカワラ達もこの場にいるはずだ。彼女達もかなり苦悩したようだったけど、結局この戦いに参加することに決めたらしい。
ふと空を仰ぐと、太陽は中天に位置していた。
「もう直ぐか……」
「うん……」
僕の独り言に、隣に立つアスルが反応してくれた。水平線を見据える彼女の目には、強い決意の光が宿っているように見えた。
しかしその頬は窶れ、体は小刻みに震えている、カリバルが失踪してから彼女の食べる量はどんどん減っていて、まともに睡眠も取れていないようだった。
その痛々しい姿に思わず手を握ると、彼女は指先の冷たくなった手でしっかりと握り返してくれた。
どのくらいそうしていただろうか。言葉もなく二人で同じ方向を見つめていると、辺りが俄かに騒がしくなった。
「きっ…… 来たぞぉー!!」
マストの上の物見台から降ってきた声に目を凝らす。すると、黒く、そして禍々しい影が水平線の向こうから姿を現した。
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