第355話 嵐に消ゆ
「ギャハッ、ギャハハハァッ! きょ、今日こそ、ブチ殺してヤるぜぇ…… アズルぅぅぅ!」
カリバルは僕らの前で止まると、目を血走らせながら哄笑を上げた。表情がやっと分かるくらいの遠目の間合いなのに、獣のような笑い声が妙に耳に響く。
以前の彼女は、身長は160cmの僕と同じくらいで、体型は程よく筋肉がついた健康的なものだった。
それが今や身長は180cmを優に超え、全身の筋肉がはち切れんほどにバルクアップしている。体重は尻尾込みで200kgに迫りそうだ。
少し距離があるのに筋肉の陰影がはっきりと分かり、顔を含めた身体中に血管が浮き出ている。仕上がり過ぎだ。
加えてその振る舞い。以前から知性豊かという感じではなかったけど今は狂人のようだ。
声と顔に面影がなければ、彼女だとは信じられない程の変貌ぶり…… 一体、何があったんだ……!?
「う、嘘…… その声、その顔…… 本当に、カリバルなの……!?」
アスルも同意見なのか、驚愕に目を見開いている。
カリバルのインパクトが凄過ぎて今気づいたけど、彼女の後ろに控えている取り巻き達の格好はボロボロで、非常に疲弊した様子だ。
副官のイカワラも不安そうな表情で自分達のボスを見つめている。
『--アスル、どう考えても様子がおかしい! 何があったのかイカワラに聞いて!』
『わ、わかった』
僕は水中で喋ることができないので、アスルに訊いてもらう事にした。
「イカワラ! 一体何があったの!?」
「わ、わからねぇ……! 一週間前、黒い海底遺跡に入ってからカリバル様はおかしくなっちまった!
飯はバカみたいに食ってこんなにデカくなっちまうし、力も前とは比べもんにならねぇくれぇ強ぇ……
だが、殆ど休み無くずっと魔物を殺しまくってるし、めちゃくちゃ凶暴になっちまった……!
馬鹿なあっしらにだって分かる。こんなのぜってぇ普通じゃねぇ! あの遺跡ん中で何かあったんだ!」
「黒い、遺跡……?」
視線で問うてくるアスルに、ヴァイオレット様が首を横に振る。
『いや、我々もそのような遺跡は目にした事が無い。あの急激な変貌、尋常な手段によるものでは無いと思ったが……』
『にゃ、にゃあロスニア。人間て、一週間であんにゃにでかくなれるもんなのかにゃ……?』
『な、なれるわけないでしょう! 極めて異常ですよ! あんなの、体に負担が無い訳がありません…… またしても…… またしても古代遺跡ですか……!』
『ロスニアさん……』
樹環国での事を思い出しているだろう、彼女は痛みに耐えるような表情で声を荒げた。
「アズルぅ、てめェ…… 俺を無視すンじゃねぇぇ! ガァァァァッ!!」
混乱する僕らと違って、カリバルはただ一人だけを見ていた。
彼女は体から緑がかった青色の放射光を発し、その巨軀に見合わぬ速度でこちらに突進してきた。
青鏡級……! 彼女の位階は緑鋼級の下位から中位くらいだったはずなのに、僅か一週間でどうやって……!?
二度目の驚愕にざわめく僕らを他所に、アスルが前に出た。
『みんな、下がって……!』
『アスル!? 今のカリバル相手に一人じゃ危険だよ!』
『お願い、やらせて。カリバルの相手は、私の仕事。大丈夫、今の私は、絶好調』
彼女は僅かにこちらを振り返り、微笑んで見せた。
『……! 危なそうなら、勝手に助けるから!』
僕らが距離を取るのと同時にカリバルが殺到、アスルの土手っ腹目掛けて三叉槍を突き出した。
アスルは渦巻く水流でその攻撃を逸らしつつ、自身の体も水流でずらし、スレスレでその刺突を回避した。
上手い……! 多分先ほど受けた投擲攻撃で、すでにカリバルの評価を上方修正していたんだろう。
ドッ!
次の瞬間、三叉槍を引き戻そうとしていたカリバルの頭が、突然凄まじい勢いでかち上がった。
多分アスルが放った圧縮水塊の殴打が、カウンター気味に決まったのだ。
しかし食らった当人はばね仕掛けのように首を元に戻し、全くダメージが無い様子でニタリと凶暴に笑った。
「んなもン効がネぇぇっ!!」
それからの戦いは熾烈を極めた。カリバルが攻撃を仕掛け、アスルがそれを躱してカウンターを決める。
パターンそのものはいつもの二人の決闘でよく見るものだったけど、今回はその壮絶さが違った。
カリバルの猛攻はどんどん力強さと鋭さを増していき、いつもは殆ど無傷で勝ち越すアスルの体に、浅くない傷が幾つも刻まれていく。
それに応えるかのように、アスルの水魔法も徐々に遠慮がなくなってきていた。普段のカリバルであれば即死してしまいそうな攻撃が何度も決まる。
戦いが加速度的に激しさが増していく中、台風もどんどん僕らのいる場所に接近しているらしい。
暗さと濁りで海中は視界はますます悪くなっていき、強い海流に体が流されるので、観戦するだけでも大変だ。
「アズル! ゾんな攻撃、痛くも痒ぐもねぇゼぇぇぇ!? ギャハハハハァ!」
「……! 調子に、乗るな!」
血まみれで挑発するカリバルに、アスルがイラつきを隠せない様子で両腕を広げた。
すると強力な魔法の気配が迸り、彼女の周囲に数えきれないほどの空間の歪みのようなものが現れた。
そして歪みはどんどん小さくなっていき、極小の点となったその時、アスルがカリバルに向かって両腕を振り抜いた。
『千連穿水!』
ジュヴァァァッ!!
瞬間。歪みは点から線、幾百もの切断水流へと変じ、その全てがカリバルの胸元へと殺到した。
一撫で効かないのであれば何度でも。そんな意思が込められたかのような連撃が、カリバルの異常に強力な身体強化を突破。その胸を大きく切り裂いた。
初めてみたけど、今のは多分アスルの切り札の一つだろう。あれ、初見の時に使われてたら僕ら死んでたろうな……
流石にダメージも出血量も大きかったのか、カリバルは初めて動きを止め、傷を抑えながらアスルを睨みつけた。
「や、やリやがったなぁ…… アズルゥゥッ! だがマだだ…… まだ俺は負けテねぇぇ!!」
「はぁ、はぁ…… その傷。今日は、もうおしまい。今のカリバル、絶対に変。早くロスニアに診て--」
「うルぜぇぇっ! 俺ハ…… 俺はァァァ!」
心配げなアスルの言葉を遮りカリバルは絶叫した。そしてその時、彼女の胸の傷から何かが溢れた。
出血が酷くなったのか……!? 一瞬そう思いかけたけど、すぐにそれが間違いだと分かった。
彼女の胸元から生まれ出たのは、数えきれないほどの真っ黒な触手だったのだ。
「あ……? あ、あヅぃぃぃっ!? な、なンだこれェェッ!?」
触手は傷口を塞ぐように折り重なった後、他の腕や顔などからも次々に生え始め、直ぐに彼女の半身を覆い尽くすほどになった。
絶句しながらその様子を見ていた僕の脳裏に、ある魔物の姿が浮かんだ。
知的な緑鬼の友人、エラフ君の城塞都市で遭遇した、あの不気味な黒い巨犬だ。
『そ、そんな…… あれってまさか!?』
『バ、黒妖巨犬でありますか……!? どうしてカリバルが!?』
僕と同じ考えに辿り着いたのか、アスル以外のみんなが驚愕に息を呑む。
そんな中、アスルだけがカリバルに声をかけ続けた。
「カリバル! しっかりして! カリバル!」
「ウ、ウルセェェェ! アズルゥッ、テメェヲ殺ロス! 見ルナ…… 俺ガ最強ダ! 俺ヲ置イテイクナ…… 食ッデヤル! 助ケテ…… 近ヨンジャネェ! 怖ィ…… 嫌ダ…… オ袋…… --アズルゥゥッ!」
「カ、カリバル……」
錯乱し、体を激しく痙攣させながら暴れるカリバル。その表情はもはや黒い触手に覆われて窺い知れない。
アスルは、何かに変貌していくカリバルを小さく震えながら見つめている。
「ゴ…… ゴァァァァッ!!」
そして一際激しい咆哮と共に、カリバルは触手に覆われた腕をこちらに向けて一閃した。
数えきれないほどの黒い触手群が急激に伸長し、呆然と立ち竦むアスルに襲いかかる。
『……! 前衛組、前へ!』
『『応!』』
即応してくれたみんなと一緒にアスルの前に出た僕は、身体強化を最大化させて衝撃に備えた。
ガガガガッ……!!
連続で襲い掛かる強烈な衝撃をなんとか耐える。長く伸びた触手群は僕らだけじゃなく、十数m下の海底までもを強く打った。
ただでさえ濁っていた海水中に大量の砂が舞い上がり、視界を覆い隠す。
しばらくしてようやく少し視界が晴れると、そこにカリバルの姿はもう無かった。
「カリバル……? カリバル、どこ!?」
アスルは絶叫するようにカリバルの名前を呼び、体を撓めた。一人で探しに行く気だ……! 僕は彼女の前に出て慌てて止めた。
『アスル待って! 一人じゃ危険だ! 海流も激しくなってきている……! みんなで固まって探そう!』
「うぅ…… わ、分かった……! イカワラ! あなた達も、カリバルを探して!」
「わ、わかってやす! お前ら、行くぞ!」
「「へい!」」
その後、僕らは周囲の海域を必死に捜索した。けれど、時間の経過とともに海中の視界はどんどん悪くなり、海流はまともに泳げないほどに強くなっていった。
これでは自分達が遭難してしまう。そんな状況では、僕らもその日の捜索を諦めざるを得なかった。
激しい台風に呑まれてしまったかのように、カリバルは忽然とその姿を消してしまった。
お読み頂きありがとうございます。
よければブックマークや評価、いいねなどを頂けますと励みになります。
また、誤字報告も大変助かります。
【月〜金曜日の19時以降に投稿予定】
※ちょっと下に作者Xアカウントへのリンクがあります。




