第354話 海底魔窟(5)
ちょっと長めです。
今は静けさが戻った大きな空気だまりの中。岸の上でアスルは目を覚ました。
魔窟の壁が放つぼんやりとした光すら眩しく感じられ、頭痛と吐き気もする。
しかし、横たわる自分を心配そうに、しかし少し身構えながら覗き込むキアニィとゼルを目にし、それどころでは無くなった。
「あ…… わ、私……」
アスルは、酩酊河豚の毒を吸ったと確信した後の事を、断片的にだが覚えていた。
毒のせいとは言え、自身の感情を制御できなくなり、こうして気にかけてくれる二人の仲間を殺そうとしたのだ。
その事に思い至ったことで、申し訳なさ、幼き日の過ちの記憶、嫌われてしまう恐怖、それらが一気に襲いかかってくる。
彼女は腹の底から凍えるような心地がして、ただ震える事しか出来ないでいた。
「ふぅ…… お目覚めですわね。あなたを絞め落としてから、一時間ほど経ちましたわぁ。
そしてその様子だと、正気に戻ったみたいですわねぇ。良かったですわぁ。
この手の毒に解毒薬はありませんの。一応、あなたの鰓はよく洗っておきましたけれど、完全に抜けるまでお水は沢山お飲みなさぁい。
後でロスニアに解毒魔法もかけてもらいましょう。きっと回復が早くなりますわぁ」
ほっと息を吐いた後、キアニィはアスルを優しく抱き起こして水の皮袋を渡した。
「アスル。おみゃー、さっきまでの事覚えているかにゃ? まぁ覚えてても、毒のせいだにゃ。あんまり気にすることにゃいにゃ。
ウチらは懐が深いから笑って許してやるにゃ。にゃはは」
ゼルの言葉に、アスルはハッとして二人の様子を観察した。
少し気だるそうな二人の装備は所々が裂けたり凹んだりしている。治療薬を使ったのか怪我は無いが、それらの原因は明らかに自身だった。
彼女はその場で跳ね起きると、眩暈を覚えつつ二人に向き直り、両手を付いて地面に頭を擦り付けた。彼女達から学んだ最大級の謝罪、土下座である。
「ご、ごめんなさい! 私…… 私なんてことを……!」
「あー、いいにゃいいにゃ。そんで、ウチらの方も悪かったにゃ……
おみゃーからしたら、タツヒトといちゃつくウチらにムカつくのは当然だにゃ」
「ですわねぇ。わたくし達もタツヒト君に救われて惚れ込んだのに、同じ道を辿っているアスルの気持ちに気づかなかったのは愚かでしたわぁ。
見た目のせいで、あなたの事はまだ子供だと思い込んでいましたの。謝罪いたしますわぁ。
--好きなんですのね? タツヒト君のこと。友人でも、仲間でも、ましてや父親としてでもなく、一人の男として」
「--うん。す、好き…… 頭が、おかしくなるくらい……」
しばしの沈黙の後、アスルは真っ赤な顔で俯きなそう呟いた。
そんな彼女を、キアニィは慈愛の笑みを浮かべて抱擁し、ゼルは頭をワシワシと撫でた。
「うふふ、全く可愛いですわねぇ。初々しいですわぁ」
「にゃはは、ウチらの男は本当に罪作りなやつだにゃ。やっぱり、二つ名は『雷公』じゃにゃくて『傾国』に戻した方がいいにゃ!」
「--ううん。悪いのは私。キアニィ、ゼル。あんな事をした私を、許してくれてありがとう。
でもやっぱり、私は『白の狩人』にいるべきじゃない、と思う……
だって、私はタツヒトを独占したい。大切な仲間のはずのキアニィやゼル達が、タツヒトと仲良くしているのを見るたび、殺したい程に嫉妬してしまう。
今回は毒が引き金だったけど、ふとした瞬間にまた…… だから--」
目に涙を湛えて言い募るアスルに、キアニィとゼルは顔を見合わせて肩を竦める。
「まぁまぁお待ちなさぁい。アスル、あなたは普段は理性的ですし、その感情も自然なものですわぁ。
そんなあなたにいい提案がありますの。アスル。理想と現実の中間点、淑女協定に入りませんことぉ?」
「しゅ、淑女協定……?」
「ええ。タツヒト君を独占せず、みんなで仲良く、淑女的にお付き合いする集まりですわぁ。
あなたにとっての最上ではないでしょうけれど、あなたも、タツヒト君も含むみんなにとって、これが最良だと思いますわぁ」
「ウチもそれがいいと思うにゃ。まぁ、おみゃーなら分かってると思うにゃけど、こーいうのは力づくでやるのはやめておいた方がいいにゃ。
タツヒトはそういうの大嫌いだし、それやって盛大に失敗した女を一人知ってるにゃ」
「うふふ。あなた、あの方を殴り飛ばしてましたものね」
「うにゃぁ…… 言うんじゃにゃかったにゃ。いい加減忘れて欲しいにゃ……」
自身に殺されかけたと言うのに、それでもアスルを受け入れると言ってくれるキアニィとゼル。
飄々と語る二人を見て、アスルは自分の胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
彼女達への嫉妬の炎は、未だ消えずに燻り続けている。しかし同時に、彼女達は自分の胸に温かな火も灯してくれたのだ。
「キアニィ、ゼル…… ありがとう。私、二人の事が…… みんなのことが大好き……!」
泣き笑いのような顔で、アスルは二人を思い切り抱擁した。
***
時間内に空気だまりを見つけられなかった僕とヴァイオレット様の組は、集合場所である分かれ道の前に戻り、キアニィさんの組を待っていた。
しかし、約束の時間を一時間過ぎても彼女達は戻ってこなかった。
これは何かあったのだろうと全員で探しに行くと、大きな空気だまりにたどり着き、その岸の上にキアニィさん達全員を見つけることが出来た。
「見つけた! 良かったぁ…… って、三人とも大丈夫ですか!?」
安堵と共に岸に上がった所で、三人が尋常な状態でない事に気づいた。
キアニィさんとゼルさんの装備はボロボロで、アスルもなんだかぐったりしている。
「みんな、何があったでありますか!? この魔窟に、それほどの脅威が存在するとは思えないでありますが……」
シャムが慌ててあたりに視線を走らせるのを、ゼルさんが手で制す。
「おー、実はめちゃんこ強いやつに襲われたんだにゃ。まぁ大変だったにゃけど、もう大丈夫だにゃ」
「そういえば二時間で戻る約束でしたわねぇ。ごめんなさいですわぁ。
あ、ロスニア。アスルに解毒魔法をかけて頂けます? ちょっと毒魚の毒を吸ってしまいましたの。わたくしとゼルの怪我は、治療薬で治したので大丈夫ですわぁ」
「ど、毒魚ですか……!? はい、只今! アスルちゃん、どこか痛むところはありますか? 痺れや吐き気、眩暈などは?」
「え、えっと、今はちょっと気持ち悪いだけ…… 今は……」
「アスル、何かして欲しい事はある? 水…… はもう飲んでるか」
ぐったりしているアスルの側でわたわたしていると、彼女は僕の方を見て仄かに微笑んだ。
「うん、今は大丈夫。 --タツヒト。いつも、本当にありがとう」
「へ……? あ、うん、どういたしまして……?」
「ふふふ……」
笑みを深くするアスル。体調は悪そうだけど、機嫌はすこぶるいいらしい。
--何かちょっと変な感じだけど、この場で起きた問題は解決済みという事なのかな……? まぁ、結果的に空気だまりも見つかって良かった。
その後、治療や装備の応急補修を終えた僕らは、そのまま野営の準備をしてしばらくぶりの食事にありついた。
そして、人心地ついてみんなで食後の珈琲を楽しんでいると、食事中妙に口数の少なかったアスルが神妙に切り出した。
「--みんな、少し話を聞いてほしい」
「え、うん。どうしたの?」
先を促すと、彼女はどこか怯えたような表情で、しかししっかりと姿勢を正して口を開いた。
「みんなが探している銀色の遺跡…… 実は、私はその場所を知ってる……」
「「……!」」
アスルは話によると、僕らが探しているものと思わしき銀色で半球状の古代遺跡、それを以前目にした事があったのだそうだ。
場所はラケロン島領海に存在する深い海溝、その中程の水深数百mの場所に横向きに引っかかっていたそうだ。
海溝の底を見てみようと思い立ち、探検していた際に見つけたらしい。道理で見つからないわけだ……
遺跡が見つかったら僕らが居なくなってしまう。そう思うとどうしても言い出せなかった。
目に涙を湛えてそんな風に謝る彼女を、僕らは全員でしっかりと抱擁した。
遺跡から目的の部品を回収できたとしても、さっさと居なくなったりはしない。しばらくは一緒にいる。そう伝えると、彼女は安堵したように微笑んでくれた。
その後、和やかな雰囲気で一晩を明かした僕らは、空気だまりを後にし、数階層下で主の部屋を発見した。
待ち構えていたのは、身体中に長い棘の生えたピンク色の巨大なカニ型の魔物だった。
倒すのが勿体無いほどの素敵なデザインだったけど、涙を飲んで討伐した。アスルは何か吹っ切れた様子で、特に張り切っていた。
忘れずに魔窟本体も破壊し、急いで来た道を戻って魔窟の外に出たのが今だ。
『ふぅ…… 結局一週間くらいで済みましたね。早めに討伐できて良かった。
おっと…… 今日はなんだか海が荒れてますね。日も翳ってるし……』
水面に向かって泳いでいると、いつもよりも砂が舞っていて視界が悪く、強い海流に体が持っていかれそうになった。
時間的にまだ昼頃なのに、頭上に広がる水面の色は灰色。その形は、波が高いのか大きく、複雑に変化している。
『多分、台風が来ている。プギタ島の組合への報告は後日にして、今は、急いでラケロン島に帰るべき。
みんななら、怪我はしないと思うけど、流されたら大変』
『ふむ、そうか…… 時間としてはちょうどカリバル達が遊びに来る頃合いだが…… 仕方あるまいな』
『あ、遊びにって…… でもまぁ、確かにもう攻めてくるって感じじゃないですよね、彼女達』
ヴァイオレット様の呟きに、プルーナさんが苦笑を浮かべながら反応する。
台風は心配だけど、一仕事終えた後ともあっていつにも増して和やかな雰囲気だ。
だがそこで、横合いから突然銛のようなものが飛来した。
気泡を纏う異様な速度で迫るそれの向かう先はアスルの脳天。いつかの焼き増しのようなその攻撃に、僕は慌てて槍を合わせた。
ギィンッ!
想像以上に重い攻撃だった。銛は僕の槍で僅かに軌道を逸らされるも、そのままアスルへと向かった。
気づいていたアスルも水流で防御したようだったけど、銛はアスルの顔すれすれを掠めた。
『危なっ……! アスル、大丈夫!?』
『う、うん…… 掠っただけ。でも、逸らしけれなかった……』
自身の頬を手で押さえながら、アスルは驚愕した様子で銛が飛んできた方を見た。彼女の頬からは僅かに血が流れ出ている。
『……! 全員警戒体勢! 九時の方角です!』
まさかと思いつつも銛の飛んできた方角を見る。すると残念なことに、そこにはお馴染みの鯱人族らしき集団がいた。
そして彼女達の先頭にいる人物。彼女に気づいた時、僕は自分の目を疑った。
姿形は普段その位置にいる彼女に似ている。だが大きさがおかしかった。
遠目なので断言はできないけれど、彼女の体格が、以前見た時より二回りは大型化していたのだ。
「アズルー!! 会いだかったぜぇー!! ギャハハハハァッ!!」
遠くからでも聞こえる大音声は、確かに彼女、カリバルの声だった。
しかしそのひび割れた声には、どこか魔物の咆哮を思わせるような異質な響きが含まれていた。
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