第350話 海底魔窟(1)
ちょっと長めです。
早足で組合の応接室に案内された僕らは、カサンドラさんから早速状況の説明を受けた。
まず海底魔窟とは、名前の通り海底にできる魔窟なのだそうだ。陸上のものと同じく、海水を吸排出して呼吸するし、中に魔物も呼び込むし、成長するにつれて深くなる。
そしてもちろん、大量の魔物を一気に吐き出す狂溢も発生させる。
実は世界中の海では、絶えず海底魔窟が生まれては死に、狂溢を起こしているらしい。が、が殆ど問題になっていない。
何故かというと、地球同様、この星を覆う海は陸地の倍以上も広い。さらに海中は、陸地と違って高さ方向にも魔物が分布できる。
なので何処かの深海で狂溢が起こっても、魔物の存在密度は無限希釈されてしまうのだ。
しかし、それが水深が浅めの人里近海となれば話は別だ。
漁場や航路に魔物が溢れてしまったら、海に生きる人々は生活が成り立たなくなってしまう。
そんな海底魔窟が、今回はプギタ島とラケロン島の領海の境という、かなり嫌は場所に出来てしまったという訳だ。
「急いで討伐する……! 狂溢が起これば、島の人達は漁に出られなくなる。
それに、陸に上がってくる魔物もいるかも知れない。そしたら、島そのものが危ない。みんな……!」
カサンドラさんの説明の後、アスルは僕らに祈るような視線を向けてきた。
こんなもの答えは決まっている。念の為みんなの顔を見回すと、全員が大きく頷いてくれた。満場一致のようだ。
「わかりました。その海底魔窟の討伐依頼、僕ら『白の狩人』で受けます」
「……! みんな、ありがとう!」
アスルがほっとした様子で僕らにお礼を言ってくれる。いいってことよ。
「私からも感謝を。今の時期、他の冒険者の皆さんは海底遺跡の方に夢中で、危険な魔窟討伐の依頼は受けたがらないでしょうから。
今回の海底魔窟ですが、報告によると呼吸周期は三十分程とのことです。
まだ成熟していない、おそらく数十階層程度の若めの魔窟なので、皆さんなら確実に討伐できると思います。
すぐに手続きをしましょう。少々お待ちを」
カサンドラさんがぱたぱたと部屋を出ていく。受注書類を取りに行ったんだろう。しかし、海底遺跡の次は海底魔窟かぁ……
--あ、そういえば。明日はカリバル達が遊びに…… じゃなくて攻め込んでくる日だった。
まぁ今回は緊急事態だし、仕方ないか。お詫びに次回はいつもよりも豪華なお弁当を持って行こう。
***
タツヒト達が海底魔窟討伐の依頼を受けた時とほぼ同時刻。カリバル達は、自分達の領海で魔物相手取って修行に励んでいた。
「らぁっ!」
カリバルが裂帛の気合いと共に三叉槍を突き出す。
海中で気泡を発生させる程の速度で放たれたそれは、巨大な烏賊型の魔物の急所、眉間に深々と突き刺さった。
攻撃を受けた魔物は、鉤爪付きの触腕をむちゃくちゃに動かし始め、カリバルはそれに巻き込まれる寸前で離脱した。
やがて触腕の動きが止まり、魔物が絶命すると、彼女の戦いを見守っていた取り巻き達が歓声を上げた。
「さっすがカリバル様! 今のやつ、黄金級でもかなり強い奴でしたぜ? --おっと、背中から血が…… 上がって治療しやしょう」
「うるせぇぞイカワラ。こんなんかすり傷だ。いちいち治してる暇なんてねぇ……!」
自身の副官であるイカワラの気遣いを、カリバルは煩わしそうに振り払った。
あまり浅くない傷を背中に受けたというのに、彼女はすでに次の獲物を探し始めている。
その姿には強敵を倒したという達成感は無く、顔には強い焦りの表情が浮かんでいた。
「やれやれ…… ちょいと無茶しすぎですぜ。死んじまったらアスルに勝つどころじゃありやせんよ?」
「……チッ、行くぞ。この辺の奴は狩り尽くしたみてぇだ」
そう言ってより強い魔物がいる海域に向かって泳ぎ出すカリバルに、イカワラ達取り巻きは苦笑いしながら付いていく。
「--くそっ…… 情けねぇぜ……!」
集団の先頭を泳ぎながら、カリバルは小さな声で悪態を吐いた。
彼女がここまで無茶な修行をするようになったのは、タツヒト達が来てからだった。
彼女から見ても元々化け物のように強かったアスルは、彼らがきてからますますその力を研ぎしましている。
ごくたまにタツヒト達に相手してもらうこともあるが、位階の差と幾度も修羅場を潜った経験の差は大きく、やはり勝つことは出来なかった。
アスルに出会う前は、同年代で自分に勝てるものなど存在しないとカリバルは考えていた。
その万能感とともに攻め入った蛸人族の国で、彼女は自分より遥かに年下に見えるアスルから徹底的に打ちのめされ、しかも殺される事なく見逃されてしまった。
これまでに感じた事のない挫折と屈辱。それ以降、カリバルの頭の中をアスルが占領するようになった。
最初は、殺意や苛つき、邪魔だという感情しかなかった。カリバルは自身が馬鹿だと自覚しているが、それでも常にアスルに勝つ方法を、アスルの事ばかりを考えた。
だが、そうして何度何度もアスルと戦う内、言葉にできない別の感情が生まれた。
カリバルは決して認めないが、タツヒトから見ればそれは友情と呼べそうな何かだった。
もちろん負ければ悔しい。しかし、カリバルはアスルと戦うこと、アスルと会ったり言葉を交わす事を楽しく感じるようになっていた。
だが、自身とアスルとの力の差が広がり始めた最近では、強烈な焦燥感を感じるようになっていた。
その感情に突き動かされ、カリバルはがむしゃらに三叉槍を振るう。
「はぁ、はぁ、はぁ……! まだだ…… まだ足りねぇ……!」
「ぜっ、ぜっ…… い、いや、カリバル様。そろそろ戻りやしょう。あっしらには、手に負えなくなってきやしたぜ……!?」
周囲には、彼女達が屠った何十体もの魔物が浮かんでいる。
カリバルも、イカワラを始めとした取り巻き達も、呼吸が乱れ負傷が目立ち始めている。
この辺りは魔物が強すぎるため、普段は彼女達でも立ち入らない深い海域だった。
「馬鹿女郎。強ぇ奴が出てくんのは好都合-- ん?」
貪欲に次の獲物を探し始めたカリバルの目が、海底から届く仄かな光を捉えた。
彼女達の目は、深海からの大幅に減衰した光も捉えることもできるのだ。
「あん? こんなところに遺跡かぁ……?」
数百メートル下の海底に目をこらし、カリバルは考える。
古代遺跡からは魔導具の他に、稀に高性能な武具が出土することがあるのだ。
そして今の彼女は、力を得るためには手段など何でも良かった。
「--おめぇら。あの遺跡調べんぞ」
「遺跡……? あ、あれですか? いやー、あれはちょっと深すぎますぜ…… あ、カリバル様!」
予想される水深の深さに難色を示したイカワラだったが、カリバルは一人で潜り始めてしまった。
「仕方ねぇ…… おめぇら、無理すんなよ。行けるところまでお供すんぞ」
「「へい!」」
カリバルを先頭に、鯱人族の集団が海底に向かって泳ぎ始める。
普通の鯱人族でも水深100mほどの深さまで潜ることができる。位階が上昇した戦士型なら、さらなる深海に到達することも可能だ。
取り巻き達が次々に脱落し、最後に副官のイカワラが限界に達した後も、カリバルは潜り続けた。
そして、彼女が潜水できるほぼギリギリの深さに到達した時、ようやく目の前に大きな遺跡が現れた。
この深度ともなるとカリバルの目でも辺りは薄暗く、他のものと違って黒く金属質で威圧的な外観を持つその遺跡は、どこか異様な雰囲気を放っているように思えた。
「他の遺跡と違ぇな…… へっ、こりゃ期待できそうだぜ。おら!」
ゴォンッ! ゴンゴォンッ!
入り口らしき扉は、身体強化を最大化させたカリバルをして、何度も殴りつけなければならない程に頑丈だった。
扉がひしゃげ、漸くできた隙間から中に入った瞬間、カリバルは息を呑んだ。
内部は広く、金属質の壁や床からは物々しい雰囲気が伝わってくる。そして、奥にはまた頑丈そうな扉があった。
「--けっ、めんどくせぇなぁ…… だが、この奥にはそれだけすげぇもんがあるって事だよなぁ!?」
期待感に突き動かされたカリバルは、それから部屋の中で最も頑丈そうな扉を破るという事を繰り返し、奥へと進み続けた。
彼女は気づかなかったが、素通りした保管庫には、古代に使用されていた銃のような兵器も山積みされていた。
そして、最後の一際頑丈な扉を苦労して破ると、中は意外にもそこまで広い空間ではなかった。
カリバルには何か分からなかったが、壁際には様々な装置や計器類が並び、配管や配線が一つの方向に向かって伸びている。
それらが繋がる先、部屋の中央部には、一抱えほどの光る透明な筒が鎮座していた。
カリバルはその光に誘われるように透明な筒に近づき、それを覗き込んだ。
何かの液体で満たされた内部には、目も口もない、黒い蛇のようなものが保管されていた。
「なんだ、これ……? 気持ち悪りぃな……」
カリバルは眉を顰めて蛇から視線を外すと、あたりをざっと見回した。しかし、彼女が望むような武具はそこには無かった。
「--チッ。こんだけ苦労したのに、ハズレかよ……! くそ!」
パンッ!
カリバルは三叉槍を一薙して透明な筒を破壊すると、肩を怒らせて出口に向かった。
その彼女の後ろで、筒から解放された黒い蛇がぴくりと動いた。
ゆっくりと首を巡らせた蛇は、海水に混じるカリバルの血の匂いを嗅ぎ取った。
そして組み込まれた本能のまま、匂いの元に向かって体を撓めると、自身を矢のように射出した。
「いでっ!?」
カリバルの背中の傷口に突き刺さった蛇は、そのまま体を捩りながら彼女の体内に侵入し始めた。
反射的に身体強化を最大化させ、後ろを振り返ったカリバルが蛇の姿が無いことに気づく。
あの気色悪い蛇から攻撃を受けた。瞬時にそう理解した彼女だったが、すでに手遅れだった。
「うっ……? あぁ……!?」
強烈な痛みと違和感。その発生源である背中に手を伸ばそうとするも、体に力が入らず上手くいかない。
その内違和感は全身に広がっていき、体全体に虫が這い回るような不快な感覚が走る。カリバルは、もはや身動き一つできなくなっていた。
何かが体の中に無理やり侵入してくる嫌悪感、自身の体を奪われてしまうという強い喪失感。そして恐怖。
蝕まれる感覚がついに頭まで達し、意識すら薄れゆく中、カリバルの口が僅かに動いた。
ア、ス、ル……
しかし声は発されず、彼女の唇だけが友の名を紡いだ。
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