第318話 黄金を抱くもの(1)
ステルス状態で火山の斜面を登っていくと、元から低かった気温がさらに下がり、降り積もった雪がちらほら見られるようになってきた。
ただ、雪は火山灰を豊富に含んでいるらしく、白ではなく黒に近い灰色だった。
山頂に近づいたことで魔素も濃くなってきたのか、そこに小型のネズミのような魔物も現れ始めた。
驚くことに、彼らはその灰まみれの雪をシャリシャリと食べていた。
あんなものに栄養があるとは思えないけど、魔物だしなぁ。僕らとは違う何かを栄養源にしているのかも。
加えて、そのネズミ型の魔物を狙う小緑鬼のような魔物も現れ始めた。本当に彼らはどこにでもいるな……
ラスター火山の過酷な自然環境下で繰り広げられる生存競争。僕らはそれを『姿隠しの天幕』越しに眺めながら、粛々と歩き続けた。
初日は何事もなく過ぎ、野営を挟んだ登山二日目。今の所魔物に存在を察知される事もなく、とても順調だ。
ただ、標高が高くなり、傾斜もキツくなってきたことで別の問題も生じていた。
「はぁ、はぁ…… はぁ…… 神よ。この苦しみも、人に課せられた、試練なのでしょうか……?」
「ひぃ、ひぃ…… おぇ、気持ち悪い……」
魔法型のロスニアさんとプルーナさんが今にも死にそうな声を出している。これはまずい。
「--一旦休憩しましょう。あそこのちょっと平になった場所が良さそうです」
適当な場所移動して『姿隠しの天幕』を下すと、二人は崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「すまない二人とも。行軍速度が速過ぎたようだ」
気遣わしげなヴァイオレット様に、二人は青い顔で首を振る。もうしゃべるのもしんどいようだ。
「少しまずいですわねぇ…… 戦闘中もこんな調子だと、走って逃げることもできませんわぁ。
二人とも、大変でしょうけれど少しづつ体を慣らして行きますわよぉ」
キアニィさんの言葉に、ロスニアさんとプルーナさんは絶望的な表情で顔を見合わせていた。完全に高山病のようだ。
戦士型の身体強化は心肺機能も強化するので、魔法型の二人以外の面子はちょっと息が切れるくらいで済んでいる。
それでも万全とは言えないので、呪炎竜に接敵する前に、全員体をここの環境に適応させていく必要があるだろう。
それから僕らは、少しペースを落としながらも着実に山頂に近づき続けた。
ラスター火山の噴火口は頂上の一箇所だけでは無いらしく、所々に小規模な噴火口を見つける事ができた。
中には白い煙をあげる噴出口もあって、よく見ると穴の周りは黄色い何かが析出していた。
近くを通る際に腐敗した卵のような刺激臭がしたので、多分硫黄か何かだろう。
その黄色い何かを舐め取っている山羊型の魔物見かけたので、この山の魔物達は硫黄がエネルギー源なのかもしれない。驚きの生態だ。
そしてその日の夕方、おそらく数千mは登り山頂も間近になった頃、ちらほら見かけていた魔物達が完全に姿を消した。
空気が張り詰め、山頂方向から粘つくような異様な圧力が発されているのを感じる。
僕らは互いに緊張した面持ちで頷き合い、さらに慎重に登り進める。
すると、斜面が削り取られて広場のようになった場所に出た。広場の奥には、ぽっかりと巨大な洞窟が口を開けている。
「あれか…… 聞いていた通り大きな洞窟ですね」
「ですね…… ど、どうします……? 多分、中にいますよね……?」
ロスニアさんの問いかけに、全員の視線がキアニィさんに集中する。ここは本職の意見を聞きたいところだ。
「--マニルの話からすると、そこまで深い洞窟では無いはずですわぁ。入り口から少しだけ覗いてみましょう。まずは対象の姿を確認しませんと」
そのの言葉に頷いた僕らは、ゆっくり時間をかけて洞窟の入り口に到達し、そっと中を覗き込んだ。
「「……!」」
全員が息を飲む。居た。洞窟の暗がりの奥に、体を丸めて横たわる巨大な何かの輪郭が見えた。
目を凝らしているとだんだんと目が慣れてきて、それの姿が浮かび上がる。
黒に近い紫色の巨躯は、猫科の猛獣を思わせる強靭でしなやかな印象で、高い運動能力を予感させた。
四肢の先端には刀剣を思わせる鋭い爪、長大な尾と大きな翼を備え、火竜とは思えない流線型の頭部が印象的だ。
おそらく眠っているのだろう。その双眸は閉じられているけど、山頂一帯を支配する異様な雰囲気はこの洞窟の奥から発せられている。
間違いない。あいつが呪炎竜だ……!
加速する自分の鼓動を聴きながら観察を続けると、奴が何かに抱きつくように寝そべっている事に気づいた。
その何かは直径数十mのドーム型で、表面はのっぺりとしていて銀色に鈍く輝いている。
周囲には大量の金銀財宝も山と積まれているけど、今はそんなものどうでも良かった。
あった、古代遺跡……! 思わず声が漏れそうになった瞬間、閉じられていた奴の双眸がゆっくりと開いた。
ぞわり。
ただ視線を向けられただけ。それだけで肌が粟立ち、凍えるような悪寒が背筋に走った。
僕らはその圧力に押されるようにゆっくりと後ろに下がり、奴からの視線を切った。
そのままジリジリと距離をとっていると、巨体を思わせない軽やかな足取りで奴が洞窟から姿を表した。
彼我の距離は数十m。『姿隠しの天幕』は機能している筈だけど、何かを感じ取ったのだろう、奴はキョロキョロと辺りを見回している。
気配を殺し、心臓の鼓動まで止めるつもりでじっと息を潜める。
永遠にも感じられる数秒の後、奴は首を傾げて見回すのをやめた。どうやら気のせいと思ってくれたらしい。
その事にほんの少しだけ安堵していると、奴は四肢を撓め、大地を揺るがしながら真上に跳躍した。
突然の行動に困惑しながらも、僕はその姿を目で追った。
暗い空を背景に奴の両翼がぴんと広げられ、その全体が紫色の強烈な光を放つ。
ほぼ同時にジェット機のような轟音が響き、一瞬で水蒸気の輪を纏うほどに加速した奴は、そのまま凄まじい速度で飛び去ってしまった。
「--はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
いつの間に呼吸が止まっていたらしい。奴の姿が見えなくなった後、僕は息を整えながら冷や汗を拭った。
みんなも似たような様子だ。プルーナさんなんかへたり込んでしまっている。
「あれが紫宝級の魔竜…… あんなの、本当に倒せるんでしょうか……!?」
「正面からは到底無理ですわね…… でも、今の数分間でいろいろな事がわかりましたわぁ」
「そ、そうであります! まずあの洞窟の奥にあった構造物は、間違いなく古代遺跡であります!」
「ああ、やはりあれがそうなのか…… 自分で予想しておいてなんだが、呪炎竜は随分とその古代遺跡とやらを気に入っているようだったな」
「うむ。奴にとっては余程寝心地が良い枕なのだろう」
一気に緊張から解放されたせいか、みんなが一斉に話し始めた。
確かに、当初の目的である古代遺跡の存在を確認できたことは大きい。
でも今となっては、呪炎竜の能力の一端を確認できた事の方が重要だ。
「--あの飛行速度は脅威ですね。翼を持つとはいえ、巨大な火竜がどうやって飛ぶのかと思っていましたけど、あんな方法だったなんて……
おそらく、翼全体で小規模な爆発を連続で起こし、その反力で飛行しているんです。
強固な身体強化と、強力かつ繊細な火魔法の合わせ技です。やっぱり強敵ですよ」
「そーいや、おみゃーも前に似たようなことやってたにゃあ。あんときはそれで命拾いしたにゃ。
--にゃ、にゃぁ。今の内にあそこに忍び込んで、シャムのパーツを頂くてにゃんてのはどうだにゃ……?」
ゼルさんがそう言っておずおずと洞窟を指さすが、そう都合よくは行かなかった。
たまたま奴が飛び去って行った方を見ていたシャムが、悲鳴のような声をあげたのだ。
「あ……! タツヒト! 呪炎竜がもう戻ってきたであります! あと数秒でここに到達であります!」
すぐにシャムの指す方に視線を向けると、空の彼方にまだ小さな点のような呪炎竜が居た。
シャムの言う通りその姿はみるみる近づいてきている。
「やっぱり速すぎる……! とりあえず広場から撤退しましょう! 踏み潰されてしまうかもしれません!」
全員であわあわしながら広場から斜面に出たところで、呪炎竜が轟音と共に広場に着地した。
この短時間で何をしてきたのかと思って見ていると、口に普通の牛の倍くらい大きさの牛型魔物を咥えていた。この短時間で狩ってきたのか……
奴はその牛をポイと地面に放ると、小さく紫炎のブレスを吐いて遠火で炙り始めた。
ゴォォォ……
時折裏表をひっくり返しながら、じっくりじっくりとブレスで牛を炙る呪炎竜。
それを固唾を飲んで僕らが見守るという奇妙な時間が一時間ほど過ぎ、あたりには香ばしい肉の焼ける香りが広がり始めた。
「グルルッ……♪」
やっと満足のいく焼き加減になったのか、奴は嬉しそうに牛の丸焼きに食らいついた。
こんがりと焼き上がったそれを美味そうに丸齧りする姿には、妙な人間臭さが感じられた。
ほんの数分ほどで牛を丸々一頭平らげた奴は、満足そうにペロリと口元を舐めると、また洞窟の中へ戻って行った。
--寝て、起きたらじっくり時間をかけて料理して食事を楽しみ、また寝る。なんて羨ましい生活を送っているんだ……
天幕内に何だか微妙な空気が流れる中、キアニィんさんがこほんと咳払いをした。
「えっと…… ともかく、方針は変わりませんわぁ。どんなに強い魔物でも、必ず隙が生まれる瞬間があるはずですわ。
今のように奴の嗜好や生活周期が把握できれば、きっと仕掛けるのに最適な時間帯なども分かってくる……
それまで、辛抱強く観察しますわよ……!」
「「……お、応!」」
彼女の言葉に、僕らは少し戸惑いながらも小さく声を上げた。
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