第315話 トゥヌバ塩湖の幽霊(3)
「上です! 何か居ます!」
僕は叫びながら足元の水を掬い取り、思い切り真上に投げつけた。
すると水は上空で何かにぶつかり飛散し、周囲に浮かんだ灯火の光を散乱した。
煌めく飛沫が、暗い空を背景にぼんやりと何かの輪郭を浮かび上がらせる。
それは異形だった。僕らの上空十数mほどの場所に、おそらく透明で巨大な昆虫のようなものが存在していた。
細長い胴体からは、同じく細長い四本の足が四方に伸びている。
飛沫の範囲から外れているのでその末端は見えないけれど、凄まじく長い足を使い、覆い被さるように僕らの頭上に立っているようだ。
こんなに巨大なものが、いつの間に頭上に……!?
唖然としていると、僕が打ち上げた飛沫が霧散し始め、異形の輪郭がまた見えなくなってしまった。
そしてその胴体のあった辺りの虚空から、またぽたりと血が滴り落ちた。
「……! みんな! 胴体は避けて足の辺りを攻撃して!」
「「応!」」
僕の号令に、遠距離攻撃手段を持つみんなが一斉に攻撃を始めた。
火線や石弾、投げナイフなどが次々と打ち上げられるけど、透明な上に細い足が的なので、中々当たらない。
このままでは取り逃す。そんな焦りが募る中--
「えい!」
ガキュッ!
シャムの狙いすました一射が、音を立てて空に穴を穿った。
「ギギィッ!?」
悲鳴のような鳴き声が上から降ってきて、それと同時に虚空から突然人影が現れた。
慌ててその落下地点に走ってキャッチすると、やはりメームさんだった。
「がはっ、がはっ……! はぁ、はぁ…… お前なら、気づいてくれると思ったぞ……!」
「メームさん! よかった……!」
腕の中で咳き込みながら笑う彼女に、心の底からの安堵を感じる。
しかし、彼女をよく見ると片腕から大量に出血していた。もう片方の手には、僕が以前贈った夜曲刀を握っている。
どうやら上空の何者かに掴まった際に、自分で腕を切りつけて血を流し、僕らに知らせてくれたようだ。
さすがメームさん、冷静すぎる。しかし、この出血量はまずい。
「ロスニアさん! メームさんを!」
「はい、すぐに止血します!」
「みんな、メームさんは救出しました! 当てられるところに当てて下さい!」
「「応!」」
僕はメームさんをロスニアさんに預けると、上空に向けて攻撃を続けるみんなに合流した。
しかし、メームさんを取り戻した際の隙をついてこの場から離れてしまったのか、シャムの一撃以降攻撃が全く当たらない。
「あれが幽霊の正体、透明な魔物だったのか!」
「タツヒト、見失ったであります! やはり赤外光も透過しているようであります!」
「シャムの矢の傷跡は見えていましたのに……! 」
敵を見失い、みんながまた辺りをキョロキョロと見回し始める。
僕も同じように必死に視線をめぐらせるけど、灯火の光量程度では黒い空と水面の背景から小さな矢傷を見つけるのは困難に思えた。
--いや、そうか。暗いから見えないのであれば、明るくすればいいんだ。
僕は漆黒の槍を捧げ持つと、いつもの祝詞を唱え、上空に向かって魔法を行使した。
『天叢雲!』
習熟により、僕の天候操作の技能は少しずつ上達していた。
上空の分厚い火山灰の雲が徐々に薄まり、雲間から日光が降り注ぎ、その範囲は瞬く間に広がっていく。
そして見渡す限りとは行かないまでも、広大な領域の空が晴れ上がり、暗かった空は雲ひとつない青空に変わった。
青空を映した水面もまた青く染まる。眼前には、空と水面が一つに繋がったかのような絶景が広がっていた。
「「おぉ……!」」
一瞬戦闘中であることを忘れたかのように、みんなから感嘆の声が漏れ出た。
その最中、魔力切れで膝を突きながら僕は必死にあたりを見回した。
そして僕らから数十mほど離れた位置、高い場所に違和感があった。
青く染まる世界の中にたった一箇所だけ、空間に虫食い穴のようなものが空いていたのだ。
「見つけました! あそこです!」
僕がそれを指差して叫ぶと、虫食い穴がびくり震えてから異様な速度で遠ざかり始めた。
「逃しません! 『千連石筍!』」
練達の土魔導士であるプルーナさんが地面に手を翳すと、水面から何十本もの白い石筍が突き出てきた。
帯状の石筍群はちょうど虫食い穴の進行方向を塞ぐように出現し、枝分かれしながら凄まじい速度で成長。あっという間に高さ数十mの壁となった。
やたらと背が高いらしい透明の魔物もこれは乗り越えられなかったのか、虫食い穴は戸惑うように停止した。
しかも焦っているのか、壁の手前の水面がバシャバシャと波立ち、どこに実体があるのかが一目瞭然だった。
『白の狩人』の前衛組に、この好機を逃す人は居ない。
すでに駆け出していた三人の内、先行するゼルさんとキアニィさんは風のよう駆け、一瞬で壁際まで到達した。
「にゃ!」「はぁ!」
ガガッ!!
ほぼ同時に振るわれた双剣と強烈な蹴りは、透明な魔物の足を見事に捉えたようだった。
破壊音が響き、二人が壁際から飛び退く。すると数秒後--
バシャァン!!
凄まじい水音を立てて何かが落下してきた。
巻き上げられた水飛沫が、その透明で細長い輪郭を再び浮かび上がらせる。
そいつは残った足でなんとか立とうと踠いていたけれど、その前に最後の一人が蹄の音を響かせてそこに到達した。
「ぜぁっ!!」
ザガンッ!!
ヴァイオレット様の放った渾身の延撃が、水面で蠢く何者かを真っ二つに両断した。
メームさんの治療を終え、残心を解いた僕らは慎重にそれに近づいた。
「うわぁ…… ちょっと気持ち悪いですね。どうなってるんだ、これ……?」
僕らの腰より少し高いくらいの場所には、巨大な何かの断面映像のようなものが浮かんでいた。
十数mの細長いそれは鏡映しの様に二つ存在していて、ごちゃごちゃした臓器が詰まった断面から体液が流れ出ている。
この状態でさっきまでびくびくと痙攣までしてたので、かなりのホラー映像だった。
流石に悲鳴をあげそうになったし、シャムは僕の足にしがみついてちょっと泣いていた。
「これは…… 手応えからそうだと思っていたが、昆虫だろうか?」
「そうですね。中に骨格のようなものが見えません。強靭な甲殻と身体強化で体を支えていたんでしょう」
「透明に見える場所にも手応えがある…… 中身までは透明ではないということですわねぇ」
「おー、すげーにゃ。にゃんか不思議だにゃ」
一方、物怖じしない人達もいる。ヴァイオレット様とロスニアさんは断面を覗き込み、キアニィさんとゼルさんはパントマイムのように断面の下の空間を触り始めた。
それから全員でそいつを調べてみると、どうやら巨大なナナフシのような形状をしていることがわかった。
……地球世界のナナフシって草食だった気がするけど、魔物って基本的に肉食だからなぁ。
違うところは食性だけでなく、発達した両腕はカマキリの腕のような多関節構造になっていて、その内側は透明ではなかった。
おそらく、透明で細長い体を生かして獲物の真上に陣取り、マジックアームような両腕で獲物を瞬時に釣り上げてしまう生態なのだろう。
ためしにそいつの腕に内側に手を入れてみたら見えなくなったので、これがメームさんを攫ったカラクリのようだ。
「あの時俺は、いきなり上に引っ張り上げられ、呼吸も出来ないほどに強力かつ瞬時に拘束されたんだ。
何とか知らせようと手探りで夜曲刀を抜いて、自分の腕に突き立てたのだが…… うまくいってよかった」
冷静にそう述べるメームさんだけど、僕はその存在を確かめたくて思わず彼女の手に触れてしまった。
「でも本当によかった…… メームさんが消えた時、物凄く怖かったんです。あのまま二度と会えないんじゃないかって……」
「タツヒト…… すまん、心配をかけたな……」
二人して暫く見つめあっていると、ようやく立ち直ったらしいシャムが元気よく声をあげた。
「なるほど、理解したであります! 透明で巨大な虫の魔物だったのでありますね…… やっぱり幽霊なんて居なかったであります!
でもこんな魔物、シャムが参照した冒険者組合の資料には存在していなかったであります。新種かもしれないであります! 早速組合に知らせるであります!」
「おっと、そうしようか。街の皆さんも心配しているだろうし。素材を剥いだら撤収しましょう」
「「応!」」
幽霊討伐の知らせを持ち帰った僕らは、組合の人達だけでなく街全体から歓迎された。
組合の人が古文書のように古い資料を調べてくれて漸く分かったのだけれど、幽霊の正体は幽霊七節という魔物だった。
密林の奥地で過去に数例だけ討伐報告がある、半ば伝説の魔物だったらしい。道理で誰も知らなかった訳だ。
受付のお兄さん曰く、ラスター火山の噴火以降、こうした普段見られない魔物が現れる事が増えているそうだ。
ともかく、これでこの街は塩の採掘を再開できる。中々大変な寄り道だったけど、トラブルを解決できてよかった。ちょど良い素材ゲットできたしね。
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